ボクは雑草です

シフトクリエイティブ社長のブログです。

表現の自由

2019-08-20 20:57:35 | 報道/ニュース
“愛知県で3年に一度行われる国内最大級の現代アートの祭典“と華々しく開催されたあいちトリエンナーレ。その中の”表現の不自由展・その後“が中止されました。8月1日から始まって3日目です。従軍慰安婦像の模型と天皇の写真を燃やすものが含まれていました。それに対して「もっともだ」とか「検閲だ」とか「表現の自由がおかされた」とか、まあ、いろんな人がああだこうだと大騒ぎ。検証委員会なるものまで税金を使って始まりました。トリナーレは10月で終わってしまうのに検証委員会の結果は11月になるとのこと。いつものことだけど無意味な検証に終わるでしょうね。
という訳で、きょうは表現の自由について考えます。と、その前に、ちょっと寄り道。愛知県は人口750万人、名古屋市は230万人、今回の企画展は共同開催でした。ところが愛知県知事と名古屋市長、これがとんでもなく仲が悪い、言わば犬猿の仲なのです。知事の大村さんも市長の河村さんも国会議員からの転身組。スタート時は河村市長が大人気で地域政党「減税日本」もイケイケどんどん。それに便乗した大村さんは河村さんの強力な後押しで知事に当選しました。二人は手を取り合って選挙カーで満面の笑みでした。当時、大村さんは人気がなく河村さんの票で当選したようなもの。と思っていたら、知事になったとたんに手のひら返して自民党にすり寄りました。自民党の支持を得られた大村知事は恩人の市長を突き放します。他人を利用してのしあがる典型的なNasty Person (いやな奴)でした。ところが政界は安倍一強です。自民党に寄っていれば落ちることはありません。市長より知事の方が上と言わんばかりの言動が目立ち、とうとう二人は絶縁関係になりました。
今回の企画展も「これはまずい」と言ったのは初日に内容を知った名古屋市長、会長の大村知事へ連絡、知事が翌日見に行って「権力が中止させるのは検閲にあたるが、これだけ抗議や脅迫が来てはスタッフの安全が守られない」とスタッフの安全を理由に中止となりました。いちいち面倒くさい、中止なら中止でいいじゃないの、それより開催されるまでふたりとも内容をまったく知らなかったことに「仕事をしてないなあ」と思ったものです。
と、寄り道はここまで。今回中止になった「不自由展」は公立美術館で「ふさわしくない」と展示が断られたり撤去された作品を集めたもののようです。これを表現の自由だと抵抗するのはちょっと違うと思いますね。そもそも表現には枠があってその枠の中での自由が「表現の自由」です。
アートも同じです。なんでも自由というのは無人島にひとりで暮らしているような場合に限られます。作品を不特定多数に見せたい場合は社会の枠の中での自由です。その枠にはまらないものには自由という概念があてはまりません。
テレビのコマーシャルなんか、スポンサーの意向や放送倫理などとんでもなく制約があり、その中で自由に作っています。なんの制約もなく予算も無限で好きなものを作ってくださいと言われたら、できませんね。もし「できます」と言うCM制作者がいたら、その人は素人です。プロではありません。映像にも制約があります。画面サイズが決まっているからです。16対9という“枠“の中で、自由に表現ができます。枠をはみだしたら見えませんから。自由とは”枠“の中での自由なのです。ファッションも陶芸も絵画も映画もみな同じ、枠の中で作者は自由に表現しているのです。しかし、戦時下や共産国家のようにプロパガンダで制作する場合に「自由」はありません。作りたくないものを作らされるのは「自由」とは言えませんからね。
と、言う訳で、今回の「不自由展」の中止を表現の自由で論じるのは焦点がボケてしまいます。それよりこれらの作品がなぜ美術館で展示を断られたのか、その理由についてみんなで考えた方がいいと思うよ。慰安婦像が断られたのはあきらかに美術館が関わりあいたくないからです。「表現の自由」とは別問題。それに断られた理由はそれぞれの作品ごとにあるかもしれませんよ。中には断る理由がない、ただの下手もの、と言う場合もあります。もうちょっと上手くなってから持ってきて、という理由です。それやこれやを集め「不自由展・その後」なんて、ちょっとセンスがないな。と感じました。
なんでもかんでも自由と言っている人たちは実は自由が分かっていない、そんな人たちを多少は知っています。しかし今日本で問題なのは今回の「単発的自由の侵害」ではなく、じわじわ長期的に国民の自由が失われていることです。安倍政権下で「報道の自由」がなくなりました。報道の自由がないということは国民が何も知らされていないということです。国民にとって必要な統計や役人の記録が次々と隠されました。日本の経済状態や国民の暮らしぶりなど、数字で表されるものが信用性のないものばかりになりました。こちらのほうがむしろ問題です。いっそ「報道の不自由展」でもやったらいいのに、と思いますね。今回の中止で空いたスペースが使えますよ。でも今度は安倍さんが中止と言うだろうな・・・ジャン

2019/08/20

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