風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

お城とお蕎麦と温泉と(兵庫・但馬地方) 2-(2)

2013-11-17 | 近畿(兵庫・大阪)
● 出石温泉館乙女の湯
● 船着場跡・おりゅう灯籠
● 有子山城跡
● 出石城跡
● 有子山稲荷神社
● 出石の皿そば

2-(1)からの続きです。

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● 出石温泉館乙女の湯

出石の街の中心に入る前に、いい温泉があると聞いたので、寄ってみました。
その名も『乙女の湯』。美肌が約束されたような名前です。
これは入らない手はありません!

「着いたわ」と入ろうとしたら、いかつい柔道着の男性達が立っていたので、(ここが乙女の湯?うっそー)と驚きました。
よく見たら、そこはスポーツセンターでした。
「そうよね~(笑)」とほっとして、その奥にある乙女の湯にたどり着きました。
もちろん、柔道の人だって、ツヤツヤ美肌になっていいんですけれどね!



駐車場では、お風呂あがりの乙女たちが車に乗り込んでいるのが見えました。
ここは城ブロガーの特典で入るという、二度オイシイ場所です。
つるつるのなめらか肌になれる、いいお湯でした。

まだ日の高いお昼どきでしたが、ルノワールの絵に出てくるような乙女?たちが、大勢お湯につかっていました。
すっかり乙女気分になった私たち、お風呂あがりには、牛乳を飲みながらマッサージチェアを使い、さらに極楽気分になります。
・・・って、やっていることは、全然乙女じゃないじゃないー!
休憩所には男性もたくさんくつろいでいました。
ええ、男性だって、プリプリ美肌は大切ですから!
温泉入口には野菜の即売所コーナーが設けられており、おいしそうな採れたて野菜がたくさん売られていました。

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● 船着場跡・おりゅう灯籠

町に入っていく時、大きな灯籠があることに気づきました。
これはいったい何でしょう?
看板を見ると「おりゅう灯籠」だとのこと。
かつての船着場の灯籠で、鎌倉時代の悲恋話の女性の名前をとったものだそうです。
自然木で作られているのが雰囲気があっていいなあと思いました。



出石の町中は、かなり混んでいました。
駐車場に停めるのにかなり待ちます。



この日は日曜日。紅葉シーズンでもありますし「但馬の小京都」といわれる出石は、人気の観光スポットなんですね。

出石といったら有名なのがこの辰鼓楼(しんころう)。
ポスターなどでよく見る、時計が見える面ではない角度から撮ってみました。



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● 有子山城跡

まずは出石城の背後の山を望みます。そこにあるのが、有子山。
上までは上りませんでしたが、そこには有子山城跡があるのです。



こちらは但馬の守護大名、山名氏の城跡。
豊岡市内にある此隅山城が落城したため、山名祐豊・氏政父子が、天正2年(1574年)に新たにこの有子山城を建てました。
ところが天正8年(1580年)、信長の命を受けた羽柴秀吉の攻撃を受けて、城は落城しました。
山名氏は、6年しか住めなかったんですね。
秀吉との間に、そんな確執があったとは知りませんでした。まあ、その頃はまだ信長の部下という形だったのですけれどね。



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● 出石城跡

有子山城跡を仰いだ後に、出石城に向かいました。



秀吉が天下を取った後は、落城した有子山の城主は山名氏ではなくなります。
城主が数名変わり、秀吉の家来の小出吉英が城主の時代に、山麓の館を出石城として居城とし、有子山城を廃城にしたそうです。
江戸期の1604年に築城された平山城で、一国一城令により、ここ出石城が、唯一残された但馬国の城郭となっています。
1871(明治4)年に廃城するまで、この城が但馬の中心となっていたのです。



つまり、こういうことなんですね。

【城主・但馬守護大名山名氏が建てた】此隅山城→(廃城)→【城主・山名氏が建てた】有子山城→(廃城)→【城主・小出吉英が移住】→出石城(城郭)



時代の変遷を経て、城下町の面影を色濃く残すこの町の中心にそびえ立っている出石城。
城郭はきれいに整備されており、お堀にかかった橋を渡って立派な高石垣を見ながら敷地内へと入ります。









城内の紅葉は美しく、どこを見渡しても絵になりました。







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● 有子山稲荷神社 

お城の敷地内に、長く続く石段参道があり、奥までずっと朱鳥居が立ち並んでいました。
石段は157段、鳥居は全部で37基。
異世界へと引き込まれるようです。





ここは、有子山稲荷神社。
築城の時からこの地に鎮座する、出石城の鎮守です。



出石城の最上段にある本丸よりも、さらにもう一段高い場所にあり、そこからは出石の町並みを一望できました。
上に立って町を見下ろすと、出石の城主気分になれます。



城郭内にあるのに、江戸時代から身分を問わずに参詣が許可されていたのだそう。
出石の殿様は、心が広いですね。5万8千石の町が栄えるわけです。
江戸の庶民もみんな、ここに登っては、出石の景色を楽しんだことでしょう。

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● 出石皿そば

山に登ったら、お腹が空きました。次はお昼の時間です。
出石に来たら、やっぱり食べてみたいのが、出石皿そば。
50件もの出石そば店があるとのことで、どこに行こうかと迷いますが、昨夜の城崎のバーで知り合った
出石出身の女性のお勧め店、南枝(なんし)に行くことにしました。



江戸情緒たっぷりの店内はお客さんでいっぱい。「50皿食べました!」というような色紙がびっしりと壁に飾られています。
お蕎麦がでてくるまで延々待ちました。
この辺は蕎麦の産地なのかな?と思いましたが、ここ出石の地には、山名氏、前野氏、小出氏、松平氏と主が変わったのちに、1706年に信州上田城より仙石政明が入封し、幕末まで七代続いたとのこと。
つまり、仙石氏が、おいしい信州蕎麦を、この地に伝えたのです。



皿そばと言われるのは、小さなお皿に少しずつ盛られているから。
独特な割り子そばスタイルは、幕末の頃から取り入れられ、昭和に入ってから今の形に定着したとのことです。



ようやくやってきた皿そば。一人5皿が基本です。
最初は(食べられるかな?)と思いましたが、一皿ごとの量はそれほど多くなく、2,3口でつるつるするんといけます。
隣のテーブルのご夫婦は、二人で20皿、ぺろりと食べていました。
向かいの4人家族が去ったあとのお皿も、すごい数~。(私たち二人じゃありませんからね!笑)



そばつゆの入った徳利が、いい感じ。
蕎麦を盛る小皿は出石焼で、各店舗それぞれにオリジナルの絵付けがされているとのこと。
このお店の徳利には、店名が書かれていました。
ほかに刻みネギ・ワサビ・トロロ・うずらの卵が薬味として出てきました。

待ちに待った空腹感を覗いても、噛みごたえのある蕎麦はコシがあってお~いしかったです。
これは何皿でも追加できそう。男性には全然足らなそうですね。
でも、予定から1時間遅れてしまっていたので、追加はせずに5皿でやめて、名残惜しくお店を出ました。

まだまだ探訪を楽しめそうな町。またゆっくり訪れたいです。

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● epilogue

初めての但馬エリアの旅、見どころが沢山で、またたくまに時間が過ぎました。
海沿いや山沿いなど、さまざまな自然の姿が見えます。
城下町、出石の散策も楽しく、土地の歴史に触れることもできて、タイトルに揚げた「お城」・「お蕎麦」・「温泉」全てを堪能できました。
大満足の中で、ひとつ心残りなのは、今回挑戦した但馬五社巡りの中で、養父神社にだけ参拝できなかったこと。
また但馬を訪れて、但馬五社巡りスタンプを完成させたいです。いえ、完成させなくっちゃ!



家に送った「こうのとり育むお米」のごはんを噛みしめながら、しばらく但馬の思い出にひたろうと思います。

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     ◆ 兵庫・但馬の旅 index
     ◆ 1st day [余部→城崎]
     ◆ 2nd day-(1) [豊岡]


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