King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

『ブッテンブローク家の人々』読書中

2019年08月02日 09時11分21秒 | 読書

なにかと水分を摂れだのエアコン使えだのとおせっかいな近頃のニュース

ですが、そんな時に畑で死んでしまうお年寄りの気分とはどんなかと想像するに

何の悲しみもわずらわしさもなく日常の中逝ったという事でそれはそれで最高の

生き方なのではと思ってしまいます。

そんな真夏に読む小説として今読んでいるのが『ブッテンブローク家の人々』です。

ドイツの古い小説なので型ぐるしく矢鱈人が出てきてわけのわからない物語を想像

していました。よくご存じのように朝の連続テレビ小説になった『楡家の人々』は

この小説に触発されて北杜夫が書いたというのは有名な話で知られています。

そもそも北杜夫がドクトルマンボウ航海記を書いたのはトーマス・マンの墓をお詣り

するために当時渡航がそんな簡単でない中果たす方策としてマグロ調査船の船医を募集し

ていてそれに応募し、夢を果たしたのです。その資金の返済などのためにふざけて書いた

航海記がまさかの大ヒットとなり人気作家となるのですが、本人はあくまで文学的に

行動してマンの精神に触れたいという欲求がその航海をさせたという事を思うとそれほど

トーマス・マンという作家のすごさに触れてみたいと思うのも無理なからんところ。

私の中学時代ドクトルマンボウ航海記は教科書に載っていたと思います。面白いと思い

直ぐ本屋で買って読みました。同じように教科書に載っていた小説は坊ちゃんとか明治の

文豪のものです。当時、三島由紀夫とか川端康成が世界的注目を集めているときに多感な

少年には昆虫好きでユーモアのある作家というのはちょっと魅力的なおじさんであり、

大人への入り口を示してくれる存在でした。その作家が憧れて墓を見たいとまで思い

焦がれる作家とはとずっと気になっていたのがトーマス・マンです。

当時は時代とか世界情勢とか文化的進展とかまで知識が深くなく、西欧キリスト教文化にも

そんなに理解がない中、とにかく西欧の文化はすすんでいるとか先進国の小説としてどんな

世界なのかというものはあったもののずっと読まずに来た本でした。

ところが、昔から本棚にはあり、もしかしたら読んでいたのかも知れないと思うように

なったのは今読み出してほとんど知った物語だったのです。

まず、楡家の人々のようにいろんな人が出てきて騒がしく結局何が言いたいのかという

物より、自分の出自を記録しておくという事なのかという読んで面白く、また自分の精神背景史を

記すというテーマが重要なのかという感じもしてくるこういう物語は他にも多く読んでおり、

自分の自伝的小説というのはどの作家も書いています。

宮崎輝の流転の海シリーズみたいに人生の折々で読み継いだ本もあります。

皆作家としては私小説は残したい履歴書のようなもので書かずにはおかれないものなのでしょうか。

数年前イギリスでダウントンアビーが大ヒットしたのと同じでただ、歴史がずっと前の産業革命が

人々の生活も社会システムまで変えたころの話だという事です。

革命があり、貴族階級などが没落して新たな市民という階層が出来て社会を動かしていくその前夜の

話であり、ダウントンアビーも貴族社会がどんな社会かという興味よりその貴族の果たした役割とか

それが成立していたそのままを人々は愛したのであり、もちろん現在の法の下の平等、国民主権、基本的人権

と私有財産の保証など個人の自由と国家のありかたに何の不満も疑問もなく、より平等で先進的な国を目指して

いるのは間違いない事ながら、古き昔の人々の織り成す暮らしの豊かさとその事件の驚きのうねりをもう一度

体験してみたいという欲求がこういう物語の鑑賞にはひそんでいるのでしょう。

今の時代とは違うとかもう過去としてこれからは作り替えることができるけれどこれらは起こってしまった厳然として

ある事実であり、変えることも忘れることもなく、それは自分たちが受け入れて変えていかなくてはならない課題

そのものなのです。

しかし、当時の社会がどんなシステムなのかという事よりとかく誰々の結婚は財産目的で破綻したとか

本人は働き者で頭もいいという人の事業がことごとく失敗して行くさまや革命として貴族社会がなくなろうと

する様などどうしてそれが起き、どうしてそのようなことになったのかというシステムの変更についての考察は

実はおざなりなのです。当然私たちは歴史を見ており、産業革命で得たものとなくしたものもしっています。

ただ、こういう小説を読むうえで書かれていないシステムとか社会の習いというものをもっと知り理解すると

いう事も必要なのです。

それは唯、コンズルの娘の社交界でのうごめきとかゴシップは楽しいし、あの恋ばなはどうなったのかという

恋愛事情も愛のない結婚も面白いけれどその時に果たされた社会構造とか経済構造は果たして十分検証可能で

小説からも読み取れるのだろうかという事です。例えば北杜夫が夜と霧の隅でで芥川賞をとった夜と霧とは

フランクルのユダヤ人虐殺の歴史ですが、それがなぜどうしてどのように起きたかについてはちゃんと書かれて

いないのです。ユダヤ人はキリストを殺した人たちで、キリストを認めなかったからその後差別され定住の場所も

なくいつも差別されているというイメージしかありません。現在それがイスラエルという国を持ちそれも聖書に

書かれたのと同じところに住み、米のお墨付きまで付いているという地位も誰も疑問視しないし、なぜそうなった

のかどんな借りが彼らにあったのかと思わないでしょうか。日本を始め世界は政教分離で超自然の力から放たれ

政治の世界で動いていて神の意志や神の加護といったことで動いているのでなく宇宙の循環で動いているとその

公式や構造を示す方程式も原理も確立しており、キリストやモハメッドや仏陀とは別の次元で決していると

人々は思っているでしょう。しかし、ついこの間まで天皇陛下万歳といって大勢の人が死んでいった国としては

宗教が人々を殺す理由になっていることに注目しないわけにはいきません。

信教の自由と表現の自由が当たり前の現代でさえ未だに超自然の力が人々の心を支配し死んだあとのことを

理由にしていたり、現実には目にしない超自然の力をいまだに信じて生きている人は多いのです。

そういうものを改めて目に見えるものとしてくれるのがこういう昔の小説なのではないでしょうか。

ダウントンアビーもなぜドイツの暴走を許し戦争と混乱を当時起こしたのかというのは人々はときに

思い出し、現在に生かしていかなくてならないのです。

相手に有無を言わせず意のままにする唯一の手段として今だに軍備に多大な国力を注入するのは今も変わらずで

それが本当に人類のためになり、豊かな社会になっているのか実際に何百万もの死者をだしてしまうそういう

争いを起こそうというのか人々は今までの人類の成果としてこういう歴史小説にもっと見つめていかなくては

いけないでしょう。


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