King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

夏休みが終わるときに

2019年08月30日 10時10分32秒 | 珈琲

昨日の夜は川向こうのコースを左回りで、つまり逆回りで公園橋から

巴川橋影森中影森小踏切越えて長福寺から自宅までというコースに挑み

ました。

 

これは時計回りのコースより厳しいもので最初に公園橋ののぼりでまいってしまいその後

長い公園橋から桜橋の下りも回復せず桜橋から帰ってしまうという結果になってしまい

本来の目的も挑んだ意味もなくなってしまいました。

 

その前の日の不調をそのまま引きずったのも原因の一部ですが、涼しくなり走るのもずっと

走りやすくなったとの思い込みも簡単に崩れてしまいなんともしがたいしこりとなって残り

ましたが、まあこれも経験です。

 

切り替えて積みあがった月末の処理と来月の季節のブレンドの準備と突き進まねばなりません。

 

GSOMIA破棄に米の批判を歓迎するかのように韓国と米国のやり取りを報道していますが、

日本の戦後の条約を守れという態度はもはや関係改善を放棄した態度でこの先の未来志向へ

繋がる見込みはなく、韓国国内で持ち上がった文政権への反発の行方に期待しているのかと

いう感じです。

 

つまり、この政権が反日を利用して政権運営をするというのは自らの国内運営の失敗から

目をそらし、支持率を無条件に上げるガソリンとして利用し、当然日本は謝罪と反省をして

貢献すべきという考えがあるようですが、今までかなりそのように時あるごとに日本側が

折れて友好国として対応してきたという甘えもあり、修復不能なところまで来てしまったと

いうのは完全に韓国のこの安易な反日利用のせいでしょう。

 

ビジネスマンであり、サラリーマンの鑑として期待された李明博大統領が期待の経済面で

活躍できず支持率が10%に落ち持ち出したのが反日政策で竹島上陸という暴挙でここから

日本は反韓に転じたのですが、この時こじれたものが全く解決していないのにさらにまた

文在寅大統領が反日政策で徴用工判決への不作為や不買運動など次々に反発や反日政策がとられ

ついにはGSOMIA破棄という軍事協定にまで及びました。


こう見てみると反日という利用してはいけない人の過去の怨念で過去の解決したものを齟齬にしたり

さらにあおるようなものを創造してはさらに反日を煽りというのも日本がもう過去のように謝罪と

反省と折れてくれないとなることまでは考えなかったようで、まだ荒立たせれば消えない戦争の不法行為

において謝らざるを得ないと思っているのも不思議な思考回路です。

 

日本も李明博がとった竹島の実効支配や天皇謝罪発言がもとで起きた結果とそれが国際法違反であることと

是正がなんらされないこと、国際的に解決したことを簡単に破るようなことのないよう説明していくしか

ないのではないでしょうか。それにしても大統領が辞める度に犯罪に問われ囚われて死刑になったり自殺したりと

罪に問われるということは誤った政策がずっと続いているという事で今回もそうならないようちゃんと民主主義が

機能するように願います。

 

昨日は暑さが復活して蝉の音も喧しい日中でしたが、陽が落ちると秋の虫たちの音が響き渡る夜になり、

夏休みの終る悪夢を今の齢になっても感じたり、夏の終わりの感傷もあったりと複雑な心持の中、いつもの

珈琲タイムは全ての尺度となり、今に自分をとどめまた計画的に時間の経過を追う事も思う事もできるのでした。

 

そしてその基本の想念は無であり、時間は一時的モラトリアムのようでもあります。

 

そんな珈琲タイムは必要で、季節に飲むその時々の味も重要です。

 

来月の季節のブレンドもご期待ください。

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戦争論により知る安全保障

2019年08月29日 23時56分34秒 | 珈琲

毎年この時期に戦争関連の番組が増えるのは仕方のないこととしてもこの

100分DE名著にも『戦争論』というのはあまりに露骨なという感じを受けました。

ですから見るのもずっあとになってビデオをみたのですが、その一回目が実に

衝撃的でした。まず戦争というのものが狩猟採集時代の争いから貴族の戦争、民主主義の

戦争と分けて語られ特に近代の一般市民層が現れ、それが18世紀の武器で殺し合い、

大量破壊と民衆の存在確認と合わさり拡大したという点と、核兵器によりその大量殺戮が

出来なくなりどうなったかという考察はまさに現代のテロとの戦いにみられることであり、

戦争が日常化潜在化したという未来をこの本の中で見事に予見していたのだという感に

とらわれました。

 

それにこの貴族の戦争から国民の戦争というあたりで日本人はまた考えねばなりません。

 

というのは世界最大の軍艦を持ち所ジョージの言うところでは世界一の性能の歩兵銃を備えた

国なのになぜ日本は敗戦を迎えたのかという単純な問いにここのところのNHKの特集では2.26事件

や5.15事件といった事件で日本は国の総理大臣を失っており、そういったテロにより軍部に

物を言える人はいなくなった中軍人の総理大臣が立ち戦争に突き進んだということと、ガダルカナル

では陸軍と海軍がバラバラでなおかつ通信設備や情報共有という意識も乏しくとても統一された思想の

元の戦いではなかったという感じになります。なお無謀の戦端の拡大など戦術そのものが高度に意図

されたものでなく、各々の名誉や神国という無意味な自分たちこそが正しいと信じる思想などまったく

持つべきものを正しく使えていない戦略とか幼稚な考えとそもそもの戦う意味が何だったのかの差が

もたらしたのかというイメージになります。

 

米国がそもそも自由のための戦いであり、ひとりひとりの兵士がヒーローですが、日本は臣民であり天皇陛下の

ために死を賭して戦うと云う皇民の戦いなのです。これは兵器にもその思想が現れていて世界一の戦艦大和最速で

46センチ砲という世界最大の砲台を持つ世界一美しい兵器もすでに空母などの機動戦の時代に戦艦戦は古く、

日本は静音性や航続距離でも世界一の潜水艦もあり、空母や戦闘機乗りの着艦能力などやはり武力だけでは

負けるとは考え難く、最初の真珠湾攻撃にしろ最初に石油確保の道を築いてから世界戦に拡大したのでも

よかったのではという戦略のなさが一番浮かぶのです。

 

神風攻撃や桜花や天海など人命軽視の作戦がなんのために戦ったのかという根本思想まで理解できないところに

この戦争論は明確な答えを示したように感じたのです。

 

つまり戦争とは産業革命により爆発的に増えた工業力と生産能力により一般市民という階層の出現と資本主義という

社会が大量消費を必要とする体質であり、戦争がそれにマッチして工業力と戦争による大量破壊がマッチして経済成長と

戦争は辞めることができないものとなったのです。

 

ここで重要なのは権力や政治に利用されない知恵であり、本能や名誉で武力に走ることなく、平和を築く努力が

必要となります。それは相互理解と相手の尊重なのですが、相手が愚かなところとか野蛮な思考に捉われていると

同じ価値観が保てなくなり、武力による解決に頼るという選択をしてしまうこともありえます。

 

つまり全部の人が平和と文化的に暮らしたいと常に思っているわけではないことと時に愚かな考えにあり、それが正しいと

譲らないで人の尊厳や共通の認識である基本的人権を侵してしまうときに有効に正当な状況にするには武力に頼るのが

簡単で野蛮で愚かだと言い訳するのも簡単です。

 

しかし、核兵器の登場でその大量破壊も人類終了という事で今までのような世界戦は出来ないことになり、それでも

戦争をしたい向き(戦争による大量破壊が必要な向き)は戦争をする道を探ります。それは極東の赤化阻止という事で

実現します。朝鮮戦争以降弱い物や反撃できないところに限って軍事介入するという戦争手法に変わり、それがテロ

との戦いという常時戦闘社会に変わってしまいました。常に国境も人種も関係なく、やられたからやり返すという

潜在的な不満分子と宗教原理主義者などのテロ主導国家の出現で戦場も国もなくどこでも戦闘が起きるようになった

のです。

 

このテロとの戦争を予見したことでこの戦争論は秀逸でさらなる変化も予想される国という概念もなくなる近未来では戦争はどういう

形をとるのかという事を考えるとまずどうしたらこのテロとの戦いもその後の戦いも止められるのかということに

我々は考えて行かなくてはなりません。

 

 

 

 

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涼しい夜とたっぷりとした珈琲感

2019年08月28日 12時19分43秒 | 珈琲

最近のテレビのニュースというのはかつて心霊番組とか秘境に挑む探検隊のレポートと

同じでトンデモ本の範疇のようなものが増えているように感じます。

韓国のGSOMIA破棄でよいよ軍事協定まで話が及んできたかという事ですが、冷静に

この出来事の評価や改善に向けたものはなく、おかしな感情論や誤った歴史認識など

変更をしてしまいたいという見えない向きの力を感じる事も度々です。

 

そもそも端を発した徴用工判決ですが、先のニュース番組では個人賠償権は事実上消えたが

戦争による不法行為による賠償権は消えていないという解説をしているところがあり、これでは

日本は戦争に負けたのだから何でも賠償しろという話になってしまいます。韓国の判決を出した

裁判所の法理は国家間の賠償は消えたが、個人の賠償権は消えていないという事で有罪判決をだし

その賠償として日本企業の資産を差し押さえて現金化しようとしているのです。

 

つまり、韓国政府としては金をもらって解決したとしている以上この様な判決には韓国政府が対処して

判決が出ないようにするとか代わって賠償するとかするのが筋であり、原告の人も韓国政府に金を求めて

訴訟を起こしたのに原告に通告ないまま企業に差し押さえしたりしたのは弁護士でもはや政治利用されて

いると自分たちの手を離れた問題になってしまったといいます。

 

どちらにしろ日本政府が条約を盾に韓国政府がどうにかしろといい続ける以上今後に展開の望みもなく、

現実的に企業の資産が勝手に現金化されればもっと何か対抗的策を実施されるだろうことを思うと

どんな未来なのか全く見通せません。

 

ただ、米のイラン合意破棄のように経済制裁とは戦争と同じ紛争としては軍事行動に近い直接攻撃に

等しいことの理解も足りないようです。かつて日本が経済封鎖にあいやむなく軍事活動による打開しかないとなった

軍部の増長と肥大は悲惨な戦争になったわけですが、正義を求めるとはなんなのかここにきて考える

事も多くなっています。涼しくなり、かつてより深く眠れると思ったら夜強くなった雨の音で起きたり

かつて夜でも30度を超してそれでもクーラーもつけずにぐっすりと寝ていたのに、寝付くのに時間が

かかったりしています。

 

こんな時こそ正しき情報に接して変な方向に引っ張られたりしないようにしたいものです。

 

夜のランニングも涼しくなり、距離も伸びる傾向で雨に降られることは多いのですが、途中に歩いたり

することもなくタイムもよくなっています。

 

こうなってくると珈琲タイムも本格的な珈琲感の強い味が飲みたくなります。

 

やはりそうなるとブラジルのチョコ味などは一番にほしいところろです。

 

逆にワインのようなモカマタリもこれからの秋にはぴったりでしょうし、中米の複雑な酸味の珈琲とか

これから秋に対して飲みたい味が次から次に浮かんでは消えするのでした。

あなたの秋への備えにご利用お待ちしております。

 

 

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左回りと思い出されたようなオーダー

2019年08月27日 10時45分49秒 | 珈琲

昨日のランニングコースはまた荒川をまたいで巴川橋を渡り桜橋から公園橋まで走りました。

走り出しはノロノロとしたもので、雨が降り出してこれは中止かなとかコースをどこで端折り

短くしておしまいにすることを考えたり、トイレに寄ろうかとかぐずぐずとしてペースが

あがりません。ペースが上がらず、コースも短くしたりするのが夏の暑さの中ではあること

ですが、この左回りのコースだとかつてのようなK5分のペースに上がることも可能で、この

コースタイムが一時間と数分で走れます。

 

昨日も一時間6分でした。これはもう暑さがかつてのような夜でも下がらないというものでなく、

30度を切っており、夜の川風で涼しく走れるというのもあります。また、このペースで走ることに

よって体に起きる変化とか色々な効果があるのですが、最初こそなかなかそんな走るペースにならず、

何か理由を見つけてやめて変える方法を考えていたりします。

 

しかし、本来持っている走る力とか精神力とか当然これはいつもやっていることであり何も困難な

無理難題に挑んでいるわけではないのです。いつもやっていることであり、十分自分の体力内の

行動です。なのに、あふれる汗や時折ぶつかる虫やら不快なものもあり、やめてしまえという

欲求を意識にあげてきます。

 

真夏の一番厳しい時にはこれでまた自分は強くなれると言い聞かせながら走ったものです。

今ではスピードに乗り出すともう何も必要ありません。周りの様子や見かける散歩の人の

様子とか色々と観察ポイントや精神的変化とかまた味わうべきものが出てきます。

 

23番からの別所の道は巴川からずっとゆるゆるとした下りです。意外と早く桜橋について

しまい、こうなればいやでも三段坂の公園橋に行かないわけにはいきません。昨日はひとりの

ウォーキングの女性にすれ違いました。これは珍しいケースでウォーキングの人は公園橋から

また公園橋を引き返す人が殆どでこちら側に足を向ける人はいないのです。

 

私が走って逆コースを辿ると登ってくる夫婦の人とか歩いている人とはすれ違いますが、下る人は

滅多にいません。こういうくらい道だとランナー同士だとあいさつされたりしますが、歩いている

人が走っている人にあいさつしてくることは滅多にありません。これはどうしてなのかというと

走っている人はスピードがありますから、声をかけずらいということと仲間意識はやはり同じ

スタイルの人という事なのでしょうか。キヤノンの通りだと歩いている人に走っているときは

声をかけられないのですが、信号で減速したり止まると声をかけられます。

 

これはどうやら顔を覚えられたという事なのでしょう。

 

こんな何気ない事でも実は走り続けるには重要なことです。

 

昨日は最高気温が30度を超さず時折雨も降るという天候で、そうなると思い出したように

珈琲を欲しいという方の電話がなります。

 

併せて週末の予定も色々と用事やらお誘いやらがあり、月末で色々と処理もありまた調整が

必要となる事態となりました。

 

来月には二回の連休でその予定やらイベントの招待やらもあり、いつまで夏気分でいられない

秋の行楽シーズンという観光地ならでわのイベントやら行事やらまたぞろ色々と話があります。

町の中でも秋の芸術祭とか音楽祭とかのポスターが見られます。

 

まだ暑いけれどもう秋は始まっているという感じです。夜はもうすっかり虫の大合唱があり、

夜走っていてもいろいろな虫の音がします。

 

珈琲がほしくなる季節もすぐそこという感じです。

 

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バスケットと試飲タイム

2019年08月26日 09時54分06秒 | 珈琲

たまたま見た日本代表のバスケットの試合がいつの間にこうも世界に対抗できる

レベルになったのかと隔世の感覚とそれでも何かぎくしゃくとした合わせ切れていない

物も感じる不思議な試合でした。見たのはアルゼンチン、ドイツ、昨日のチュニジアと

タイプの違うチームでした。

 

中でも圧巻は世界五位のアルゼンチンに対しても力負けしていない高さとスピードでも

同じレベルで戦えるようになったんだという驚きです。ただ、ニュースなどでは互角の戦いと

報じていましたが、即メダルに近づいたと思うのはあさはかで、スリーポイントの確率とか

フリースローの精度などまだ差があり、本来ならついて行く場面で放されるのはベーシックな

部分での能力差とか本来準備すべき底力が足りない感じなのです。

 

ついて行けるレベルの選手は確かにいるのですが、すべてではないというもどかしさもあり、

これは国際大会などを経てもっとレベルを上げていける部分かなという感じもします。

 

というのは数年前には思いもしなかった、世界に挑戦しようという選手が増えた事です。

 

竹内兄弟が出てきたときなど世界に挑戦しないというもどかしい状況を感じたりしましたが、

今の選手はプロリーグが統一され活躍の場が昔と違い格段に広がったのでしょう。早くから

海外留学したりより高いレベルでの挑戦を果たす選手が出てきたことがこの結果なのでしょう。

 

週末は色々な方が見えて試飲タイムもエアコンを効かせてホットを飲み色々な話題を交わすと

いう本来の時間が戻った感じです。

 

この夏の振り返りをすると昨年は中学生の走る群れにあいさつされ刺激を受けたのが、今年は

それがないことに気が付き訝る中、色々な変化を聞くようになり、中でも感じたのは祭りの

多さだったように思います。亀の子石のスペースには何度かイベントがあり、納涼会とか

フードフェスなどという催し名が付いていてもどれも大規模の飲み会のようにしか見えず、

そういう集まりがあちこちであり、そもそも町内会の納涼会というのは子供のためにやる

イベントだったものがいつの間にか大人の飲み会にとってかわられたというように見受けられ

その席数の数は年々規模を増し、テントや照明に鳴り物など派手になっている感じを受けます。

 

秩父では夏祭りは各所にあり、花火があちこちで聞こえたりしますが、その上各町内会の

納涼大会までやるというどんだけ飲み会が好きなんだいということです。

 

そしてその夜のイベントがどれも人出でにぎわっているかというとそうでもなく、何のために

という感じの寂しそうなイベントもいくつかありました。それらはみんな私が夜走って通りかかり

実際に目にした光景なので、その変化は空気感とともに確かに感じた事です。

 

つまりはちぐはぐで空疎、私のように酒を飲まない人間には余計出歩く当てもない夏の夜と

いうことになり、夏の楽しみは色々とあり、秩父の魅力を色々と感じつつも、なくなる店や

寂しいイベントの様子などを見かけると大丈夫かという気持ちが沸き上がるのでした。

 

そんな秩父の現象とは裏腹に私自身は物の見方とか新たな発見とか知見とかその都度

人間の成長というか人が生き果たすこととはという意義なども考えてみたりして常にそんな

自身の成長と残すべきことなどを毎日飲む珈琲で測り、感情として感じたり、心の大きさで

感じたり、日々考えてそれには常に珈琲というバックグラウンドがあるのでした。

 

今のように激しく雨があったり、体温並みに気温が上がってもほっとする時にはやはり

熱いホット珈琲で時間を過ごさないといけません。季節のブレンドもそんな思いからいつも

ブレンドされています。この夏のブレンドは『百夏』です。

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朗読劇『線量計が鳴る』鑑賞

2019年08月24日 23時54分15秒 | ライブ・コンサート・展覧会

この朗読劇のポスターを見かけたのは六月頃いつも市民大会の会場になる

文体センターで見ました。会場はうちの近くの伝承館です。興味があったので

伝承館でチケットを聞くと詳細は解らず、肝心のポスターも貼ってなかったのです。

というわけでポスターにある問い合わせ先に電話してチケット入手先などを聞くと

前売りはしてなくて、当日渡すから会場前に来いというなんともおかしい対応だった

のです。

 

何カ所かでこのポスターを見かけるようになり、当店の珈琲の卸先でも貼ってあったので

券はどうなっているか聞くと知らないというのです。券を売るためのポスターかと思えば

その問い合わせの電話番号でしか受け付けていないようで、そもそも券の前渡しも前売りも

しないという事でした。席数200席のイベントで開場と同時に券の売り捌きもしようとするのか

とても当日の対応に不安を覚えて不信感を募らせたのですが、対応先はここだけだという

電話口の態度は頑なで大丈夫かと思いながらも券を予約したのでした。

 

そして当日、券は売り切れ満席という表記の所で予約してあると名前を言い券を受け取り

席に着きました。前回の鴻巣クレアがとても寒く、いつもより一枚余計に着込んできましたが、

伝承館は冷房が効きすぎることもなく、クレアより若干広い天井も高くてゆったり感があります。

劇はおもむろに始まり、普通なら舞台登場とともに拍手で主役を迎えるはずが、もともと舞台袖が

ない構造で楽屋口のドアから中村敦夫が登場し、それも中腰で手に持った機械をピーピーいわせ

舞台中央スタンドとマイクまで来てそのまま劇は始まりました。

 

登場したのが中村敦夫本人なのかスポットライトもないままマイク前でいきなり台本を読み出し

ますが、それがどこの方言なのか解らないけれど帽子をかぶってリュックをしょった姿はあの

紋次郎というより普通のじじいでしかなく、芸能人のオーラもなく、セリフ回しは田舎の爺さんの

語りそのままです。設定としては福島第一原発に配管工として勤めその現場の杜撰さを指摘したら

辞めるように言われ飯館村にて有機農業とゲストハウスを経営することになり、作物も実りよいよ

というときに妻が脳梗塞で入院した時に震災が起きて飯館村に防護服を着た人が線量計で計測している

人がいたのを発見し、数値を教えるように迫ると逃げるようにいなくなったので技師時代の荷物から

線量計を取り出し測ると針がビンビンと振れるので、これはいけないと妻の病院に向かいやっと

到着するとすでに妻は強制転院した後でそれを追うという展開。とまあなかなか当時のどたばた

ぶりを思い返すような進行で、東電の事故の隠ぺい体質やうそだとか原発マフィアとよばれる

企業体質とか福島第一のマークワンといわれるジーエム製の原発が欠陥品だったとか、お友達作戦

の米軍が被ばくして五人は死んだとか語られるが、これらはあくまで中村敦夫の創作した台本での

話で、現実に働いていた原発作業員の声でもなければ証言集を集めたものでもないのです。

 

これが気になったことで、これは確かにひどい事故でそれに懲りずに再稼働が進むという現実に

たいして果たして有効なことなのかという気もするのです。

 

政府や東電にはこれだけ嘘や欺瞞に満ちていたという世論を醸成し原発はやめなければならないと

いうのであれば、もっと別な方法でやって感情ではなく、きちんとした科学的な理論として脱原発を

訴えなくてはならないのではないかと考えてしまいます。

 

確かにお友達作戦といいつつ、米軍が東北地方の救援に回った時わざわざ日本海を周って青森経由で

仙台に到着したことは明らかに放射能を避けての行動で後に知った時にはそこまでひどいと認識しても

お友達作戦などという実働可能能力のほんの数%の活動しかしなかった人たちが被ばくして死んだ人も

いたのかは知りようもありません。しかし、ニュース等で軍の命令でがんになったと訴訟になったケースは

報道されています。

 

この様に私の知る事実以上にひどいことであるとする糾弾する声には果たしてどの程度正確かという懸念も

ありました。増え続ける汚染水や取り出してもどこにもやりようもない燃料デブリなど本当に取り出す

気なのかとか、チェルノブイリと同様石棺で閉じ込めるのがいいのではないかという疑問もあります。

つい先日福島第一と第二も廃炉というニュースがありましたが、取り出せないデブリがあり続けると

いう事実は廃炉などとい名目が付いたところで現実に変化はなく、何の意味もありません。

 

最終処分場にしろ誰も自分の住んでいる近くにそんなものを置かれたなくはないのですから、決まる

はずもありません。ただし、それを言ってしまうと何故そんなものを作ったというとりとめもない話も

出てきてしまうため、本音としては誰も認めることなく今後も移転先のない仮置き場なり、処分場なり

はつづき、原発があるところから使用済み燃料など運び出すこともできず、再処理施設やらできもしない

リサイクル施設はきまっていてもできないと言ってしまったら新たな搬入は出来ないからリサイクルの

方向の看板は下ろすわけにもいかず、事故やら不始末だらけの燃料リサイクルや再処理はつづけられて

いるのです。

 

オリンピックで蓋をしてという表現が出てきましたが、それは目くらましどころか先日の報道では

補修が必要な橋とか施設が70%もあるというものがあり、それなのに新国立競技場を作ったり

オリンピック施設などを作るより先にやるべきだったんじゃないのかというのは誰もが思った

はずです。どこかの高速道路の天井がまた崩落して死者でもでないとそんな議論もされないのでしょう。

 

秋田と山口に配備のイージスアショアも結局日本国民の生命と財産を守るためよりアメリカのための

施設だというのがばればれでそんなもの作る金があるのならという思いを強くするだけです。

日本も米のいいなりをやめいうべきことは言う時なのではないでしょうか。米軍基地の負担増をいうのなら

どうぞお引き取りをといっていい時期だし、地位協定も見直して主権国らしい態度を持ってもらい

たいものです。

 

とまあこれだけの不安要素や問題があるのに世の人は選挙にすら行かず京アニのニュースなどが

連日流れるのです。

 

それでもこの朗読劇が需要があり、日本全国80箇所にも上る上演があり、今後も続いていくとの

ことなので、決して忘れてしまった人ばかりでもないんだという気もしてそれなのによい方向性

とか原発を止めようとか議論も上がりそうもなく、どこでどう人々の声は消えてしまうのかまったく

謎なのでした。

 

 

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今朝も雨夏の終焉の声を聞く

2019年08月23日 09時51分45秒 | 珈琲

ここのところ台風の後もずっと雷雨が続き、カラッと晴れることもなく、

明るい空なのに大粒の雨が降ったり、夕方になれば稲光が見えたりと不安定な

天候です。

 

なかでも、夕方以降何回も雷雨になったり、その雷雨の最中の雷光も今までの

黄色い光とは違い、赤い複雑な光がフラクタル図形のような広範囲に広がるさまは

今まで見た事の無いものです。

 

昨日夜走っていても武甲山の辺りはまだ明るい夕空なのに西の方は真っ黒い雲に覆われ

金仙寺原に来るとその西の方からの冷たい異様な風が吹いてきて多分雷雨になっている

甲府方面なのかなどと思っていると武甲山の横に稲光が点滅している蛍光灯のようにぼうぼうと

光るのでした。

 

その少し上の空は晴れて星も出ています。

 

最近この影森キヤノン辺りは走る人が増えて信号待ちなどしているとあいさつされたり

します。嬉しそうに大声でいつも同じころに会いますねえと先日も声をかけられましたが、

私は毎日コースを変えることで継続性を持たせることになっていると思っていますので、

その声の人と頻繁に会っているわけではないのです。

 

その人がどの程度の頻度で走っているのか知りませんがその周期と私のコース取りが

たまたまあっただけなのかもしれません。人は自分中心にものを考えますから、こちら

の都合や予定など忖度することなく自分の出没時に私が現れるとなったのでしょう。

 

しかし、人は苦しい時こそ少しの変化に希望を見出すもので、走りが苦しい時こそ

人に会ったり、咲いた花の香だとか草の香とか時にはスナックの看板の明かりにさえ

励まされたりします。

 

ですから走る人が増えるのはまあおおむね歓迎です。それら今までは暑くて走れなかった

のが夜は涼しくなり走れるようになったという事の証明ではないかという事と、秋の

虫が鳴き始めた事など夏が終わろうとしている現象はカレンダーの残りの日付を数えなくても

着実に感じられます。

 

今朝は涼しい朝で、初めから雨空で珈琲を飲んでまったりするには良い感じです。

 

あまりまったりし過ぎないよう雨を見つめて予定を詰めるのでした。

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雨が降りゲームオブスローンズで時間無くなる

2019年08月22日 09時45分40秒 | 珈琲

昨年の今頃というと甲子園などいつもは見ないのに金足農業の快進撃で

ブームとなり私もテレビで観戦したのでした。今年も大会屈指の投手が現れ

またその再現かと思われましたが、そもそも予選の時にも話題の投手を出さずに

予選を負けたことで議論が勃発してそれを批判した名物番組コーナーがまた話題に

なったりしました。

 

その議論の中で当然出てきたのは球数制限です。出す出さないでもめるなら明確な

ルールとすべしというのです。これは至極当然明確な解決策のようにみえますが、

それは中央で物を見ている人の視点でまるで地方の事を思ったこともない人の意見です。

 

まず甲子園に出てくるような高校は練習環境も整っていて人材も豊富でプロ野球のような

複数ローテーションも可能な状況がみられます。ただ、同じ土俵には田舎の公立高校もあり

選手が登録ぎりぎりしかいないという高校もあるのです。

 

今や部活の選手などバスケットでは選手五人しかいないなんて部活も沢山いて、そのチームが

ベスト8くらいでも残っていたりします。

 

部活で高校生活一度も試合に出ない選手もいたり、ベンチにすら入れなくても部活で全国大会に

参加したという人もいるでしょう。

 

私も今までバスケットを続けてきて試合に出てわかる事とかゲームを通して

やるべきこととか競技のあるべき技術とか実際に気が付いたこともやってみて思ったこととか

やはり経験してみないと解らないことはあり、また気付けた喜びも長くゲーム参加してきた

からだと最近思います。

 

何も競技をして全国一になるだけがスポーツでなく、好きな競技をずっと続けて楽しむ環境が

あるというのが大事で、競って一番になることが目的ではないのです。

 

しかし、何かと勝つことが求められ遊びとスポーツは違うとか何か勘違いが世間を覆っていて

本来のスポーツを楽しむこととは違っていないかと思うことが多いのです。例えばこの夏で部活を

辞めて引退という人が多いと思いますが、そうするともう二度とその競技をしない人が大半で

ましてプロなどという環境に行く人は甲子園に出ている人でもその数人だけです。

 

そしてその数人がまた人々の記憶に残る活躍を続けられるかというとこれもまたほんの数人と

いう厳しい世界です。

 

しかし、現実には誰もが自分を主人公にした物語の中にいてそれはもう勝てなくなったから引退

という事はないのです。生きている以上その主人公の物語は続き、誰からも注目され祝福される

事も他人に知られることさえもない物語が毎日繰り返されているのです。そしてその物語の幕は

毎日毎日繰り返し、どんなことがあろうとどんな注目や観客がいなくても続けられるのです。

 

それが一部の人だけ注目を集め話題となり、一番以外はダメというような社会をよしとして

いますが、その社会とは実はダメな人たちの物語の集合なのです。

 

そんなダメな人たちが日々努力して仕事した成果がだめな人たちに供給され食糧であれ、着るもの

であれ、みんな人の手により成り立っているという意識がないとそもそも人をおもんばかるなどと

いう事はないでしょう。政治家の不祥事や暴言などこの人たちがどれだけの人の期待を背負って

今の地位に押し立てた結果か知っていれば当然起きないことです。

 

昨日は突然の大雨やら途中にしたゲームオブスローンズの考察などで時間を使い、予定の仕事を

終わらせることが出来なくてまた今日もあわただしいことになってしまいました。

 

夏なんて騒いでいてももう季節は既に秋の気配が漂い、農産物でもその品ぞろえの変化をみせて

います。桃やブドウやナシなどうれしいもらいものもこの季節ならではでナス食べるとかキュウリが

余ってるとか顔を合わせる度何か食べろといわれるのも実りって良いなあという気にさせます。

 

何かにつけてひとの手と手間というのは私も珈琲豆を焼くという生産者なので良く解ります。

 

人の手間を理解するというのは自分の大変さも知ってこそで時間が限られているというのも

日々感じて生きていかねばなりません。それなのについ余計休んだり、やれどこに行って

温泉に寄りたいとかつい考えてしまうのです。こんなに毎日暑く、台風がきたり、突然の雷雨など

に見舞われてもまだ平然と悠久の時間の上に自分があるかのように悠然と休んでそのうえに

佇んでみたいと考えるのですから贅沢なものだと思います。それもみんなが毎日一生懸命なんら

かの手を尽くしているからなのです。今日の珈琲タイムはそんなことを思いました。

今日もまたととのいました。

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ゲームオブスローンズ5の感想

2019年08月21日 14時25分04秒 | 映画

アマゾンで見られるのはシーズン6まで最終話はシーズン8だけど

どうしたものかということで、このままアマゾンプライムを続けて

よいものかそれとももうそろそろ違う事に集中しようかということもあり、

整理のためにもこのシーズン5までを振り返っておくことにします。

 

世界的ヒットとかオバマ大統領もファンだとか話題のこのシリーズも

私は楽しみに最後に残した海外ドラマでよいよ見るものがなくなり見始めたら

なんとあまりにつまらないので絶句してしまうという内容のなさでした。

ジャンルとしてはまだ人類が魔法と呪術に親しみ、剣と騎士蛮族と魔物という

ファンタジーの世界でイギリスの騎士団と王家の時代のように争いあう権力

闘争を描いているものの見ていて正統性とか何を描きたいのか良く解らない

運命のガラガラとめぐる様子なのか冒険と活劇とエロなのかテーマは良く解らない

ところで、権力やら王の支配という形ならそう簡単に人は死なないだろうと

いうほど簡単に次々と治まる王様が死んでしまい、その不安定さから周辺の国や

かつての王家やら人でないものまで王都を襲うという状況になってきて、その中で

一番の物語の中心のスタークの子供も悲劇の王女様サンサは一番何しない人で

でも誰かが助けてくれてかかわる人はみんな不幸になるという見ている側からすると

一番いやな人ですが、不幸の女王だから一番主人公なはず。物語の一番嫌われ者の

ジョフリー・パラシオンが死んでほっとした向きにはなんとその一番の嫌われ者の

後継にまた嫁ぐというなんともどこまで行っても不幸で自由意志とか自分の行動で

どうにかして他人を巻き込まないでほしいと冷たい見方になってしまいます。相手の

ラムジー・ボルトンはこれも見るからにサイコパス的な嫌われキャラで人を監禁して

皮をはぎ、苦痛と精神破壊で支配してしまうという異常者です。もともとボルトン家の

私生児で最初はスノウと呼ばれていますが、スターク家の城ウィンターフェロンを治め

後継とされボルトンと名乗るようになり、サンサとは中央王都への足掛かりとなる婚姻も

します。これは安全にサンサを保護するためのピーターベイリィッシュ公という娼館の主と

いうフィクサー的存在の策略で彼の策に乗るのが今の自分にとって一番の安全と考えたサンサは

結婚にも同意するのですが、結婚したら監禁されるわ妻としてまともに扱われない毎夜身を削られ

命の危険を感じて逃げ出すことになります。

 

頼りない捕虜のシオンによりどうにか城からは脱出というところで終るのです。妹のアリアは顔のない

神の術を習っている最中に自分の復讐を優先させてしまい目が見えなくなってそのまま死んでしまうのか

というところで終わり、ジョンスノウに至ってはナイトウオッチの総裁になったものの強引な政策で生き残りを

掛けるものだから嫌っていた幹部たちに刺されてしまう。ブラン、リコンは途中で別れブランはそのゴールとも

いえる場所に辿り着くもののその後どうなったかはもう出番なく結局このシーズンでは出番なし。リコンもどこに

辿り着いたかその後出てこない。一番有能で戦上手で連戦連勝とされていた長男など一番最初に母とともに

殺されているし、スターク家はもう終わったという感じ。さらに一番力があり未知の力とこれからの伸びしろで

一番の有力手として見られていたデナーリスも奴隷解放後、認めた闘技場再開で反対勢力に襲われてドラゴンに

乗って飛んで行ってしまうという

展開で今後が読めない方向に向かい、さらに最後は大勢の遊牧民に取り囲まれて終了と主要な人物に致命的

な事態になり最終回を迎えてしまっているのです。

 

これはどうしても次が気になるところですが、しかし、考えようでもうこうなるとどうなってもいいという見方も

できるのです。

まとめサイトやファンの分析サイトなどネタばらしする人はたくさんいるのでそれを読んだだけでみなくてもいいの

ではという気もしてきました。というのも今までが見たから面白いとか気が済んだというより見ても理解できない

でもう一度あらすじサイトなどでおさらいしてみるとか復習も必要なので、情勢としては宦官とインプがデナーリスの

仲間になりそうだし、追放された武官もまだ身を挺して守るようだし、その者たちの力を借りてかつての王権を復活させるのか

それともスタークが王都に戻るのか、はたまたホワイトウォーカーというゾンビにやられてしまうのかとなるのですが

 

一番人気のジョンスノウが死んだ今、どのようにそのホワイトウォーカー撃退と冬到来を処理するのかはシーズン6で

描き切れないように思うし、デナーリスにしろ後ろ盾がドラゴンというのはなんとも不安定でどう転ぶか解らないと

続きはやはり気にはなります。ただし、4000円のプライムは続けなくても見ることはできるし、もう見たいものは見つくした

かもしれない。一旦解約しようかとまた考えるこの頃でした。

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真夜中に見るロックンロールショーに

2019年08月21日 10時09分47秒 | 珈琲

忌野清志郎の命日に野音でロックショーをやるというのは例年のことで

今年が10回目で最後なんだとか。

 

前にも書いたようにこういう亡くなった人で金儲けするのもうやめてくれという

感じをいつも持つのです。

 

清志郎本人が歌わないロックンロールショーはなくなったものの大きさを感じる

だけで人生での喪失感を強くするだけでとてもいい感じにはなれないのです。

 

それでもテレビでそれをダイジェストながら深夜やっているとつい見てしまうのです。

どうせやる内容はかつて30周年とかでやってきたような内容で予想できるし、いつも

出てきてやることも同じです。

 

私は最後のロックショーといわれる青山葬儀以来清志郎を悼むとかロックフェスとか

野音すら行っていませんが、清志郎の曲や歌は私の青春そのものだし、まつわる思い出も

ゆかりのスターが清志郎の曲を歌うというようなスタイルで壊してほしくないし、やるなら

自分の曲を歌い、ロックショーを一晩共有するというスタイルでいいはずです。

 

会場に詰めかけたファンは何を求めて毎年このショーに集うのか謎です。私もやめてくれと

いいつつテレビてやれば見てしまうのですからファンは知らずに食い物にされ消費されて

しまうのだという感じです。

 

あのコンサート会場で始まりを待つワクワク感やチケットを求めてあれこれと苦労する時間や

会場の熱気などもう味わう事もない時間で清志郎のように動向をいちいち追っかけたりする人も

ないのですが、それでも気になるコンサートやライブに出かけることが全くないわけでもなく、

清志郎のような存在はもう現れないだろうけれど喪失と出会いは今後も続くというのが人生

なのでしょう。

 

自分に影響を与えた諸々もこんなもので成り立っているという精神史も振り返るよりこの先どんな

出会いや発展を考える方がましと気を引き締め世の中の変化とかに気を使い明日を思うというのが

この番組を見終えて思ったことでした。

 

一夜明け、今日やるべき焙煎と仕事量を思い気を引き締めて飲む珈琲はいつもの味とかおりで

やはり昨日と同じでととのうのでした。

 

朝のはじまりで昨日除草してもう復活している駐車場の雑草を見るとなんという生命力か

と恐ろしいほどにその力を感じるのですが、それでもそれをまた駆逐する自分の意志がまだ

ある以上、それ以上の存在である自分を思い朝のひと時また除草するのでした。

 

当店の駐車場であるという事もありますが、ただ単に草をはやしておくとゴミを放置されたり

散歩の犬がフンを放置したりという醜い面を増やすのでそうしたくないという一点で誰に

命ぜられるのではもなく、ここは汚しちゃいけない場所なんだと感じてもらえばいいという

ことでやります。これは地域でも私が走るランニングコースでも同じで昔は道普請とか地域清掃

とか日常的に行われていたことでそれで美観が保たれていたのが、いつしか行政に頼り役場が

やるべきだとかいう人が多くなり、地域の積極的清掃や町内会の清掃とかもなくなりつつある

のですが、ごみを放置されたりするより、ごみを拾う人もいればまちはきれいになるという

単純なことだと最近では思うようになりました。

 

誰かに強制したり、ごみ捨て禁止を声高に行ったりペットのマナーを注意するより、あの人が

奇麗にしていると気づかせることが重要なのだと思うようになりました。汚いマナー喚起看板や

うるさい貼り紙を増やすより、地域の連帯があると思わせたり、ここは汚してはいけないんだと

思う人が増えれば美観は保たれるのです。

 

観光市とかおもてなしとかをアピールする前に市民にそんな心を醸成していくことが重要で

税金もただばらまくだけでなく育てる方向に使いたいものだと草むしりとしぶとい草とその香りに

人の心の方がそれに勝る力があると思い共通の思いの強さを感じるのでした。

 

これは珈琲を飲んてみんなが感じる安らぎやととのう感じと共通です。誰でも分かり合える

清志郎が言っていた愛しあっているかいという心です。

 

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土砂降りでも結局走って

2019年08月20日 12時41分27秒 | 珈琲

昨日は走り出すときに急な大雨になり、一時は中止も検討しましたが、

どうせ走り出せば汗に濡れるのだからと走り出しました。

ただ、道路が水たまりだらけで途端に靴びしょびしょで靴下までぐっしょり

となりもう水たまりも避けずにそのまま行くことになってしまいました。

 

こういう時は自動車も歩行者に気づきにくいので轢かれないように歩道のない道は

避けなくてはなりません。まあ秩父の細い道でずっと歩道を走るのは困難な選択で

車の少ない細い道に行かなくてはなりません。

 

それに歩道のある道は信号が多かったり車の排ガスも気になります。

 

とかく走りやすいコースは少なく、影森のキヤノンの通りと自宅から昭和電工に至る道を

中心に走ることになります。

毎日休みなく走るのですから当然雨の中走ることも多く、体が冷えるほど雨に濡れるのは

そんなに多くはないのです。ですが、さすがに昨日の雨は全身びしょぬれでそれでも

体は熱くお湯をかぶりながら走っているような状態になりました。

 

最近深夜のドラマでさ道なる番組があり、そのテーマがサウナなのですが、その心地よさを

ある人を探しながら各地の名サウナを紹介するというような内容です。この手のドラマは

ぼろ旅館とか温泉旅館とかよくもまあ色々と探し出すもんだというネタを仕込んでいます。

 

サウナに熱波師という人がいるというのは聞いて知ってはいましたが、私が利用する温泉や

日帰り温泉施設などにはいないのですが、逆にいたらやだなと思うことはあります。というのは

サウナというのはじっくりと人に邪魔されずにただ暑さの中汗を流したいという思いと、

変に盛り上がるところでもないという気持ちからです。ですが、最近はスーパー銭湯などでも

サウナでもこの熱波とかロウリュウを売りにする施設も出ているとかでプロの熱波師という

人も存在し、カップルでそれを体験する施設もあり人気なんだとか。

 

サウナのドラマで主人公が決めシーンでいうのがととのったというセリフです。

 

それを聞くとサウナで強制的に汗をかかなくても毎日走って汗をかく自分はよっぽどととのって

いるなあと思ったりします。

 

特に今年は暑く、夜になってもなかなか涼しくならず、この中走ると脂肪もよく燃えるようで

内臓脂肪量などが冬に比べ少なくなってきました。運動によるさわやかな汗などと表現される

事もありますが、これは嘘だと思います。

 

とにかく、走った後は早く風呂に入りさっぱりとしたいと思います。冬でも夏でもこの風呂に入って

いるときはととのった感じがします。

 

これと共通に、朝や昼に定時に飲む珈琲もそんな気持に浸れます。

 

すると一番手軽なのは珈琲かとそんな気もする珈琲タイムです。

 

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いつもの香に囲まれて

2019年08月19日 09時44分53秒 | 珈琲

煽り運転暴行犯が逮捕されテレビのニュースではいつごろかあんなに変わって

しまって私の知る彼ではないというような人物評がでただけでしたが、ネットで

みると昔からドライブレコーダーに映っているような人だったようです。これって

随分知っているのと知らないのでは世の中の見方も違ってきます。

 

テレビの情報というのはおおむねお上品なものばかりで下世話でざわざわしたことは

伝わってきませんが、世の中ざわざわしたものが周りにたむろしているものです。

 

昔見ていたテレビなどはゴールデンタイムにUFOの特番や秘境に冒険に行ったレポーターが

見たものはというようなものばかりで、かなり信用の高い教養番組なども実は嘘だったというのが

21世紀になるころにバラバラと明かされ今時もうそういうのは流行らないとおもったらまたぞろ

懲りずに似たような番組ばかりがばらまかれているという現状です。

 

私の幼少期にはオカルトブームとかUFOとか無責任な情報でこれはのちに取り返しのつかない印象を

与えて人生そのものに影響を与えたものもあります。

 

TV中継で見た三島由紀夫の自殺とか現実と同時期に接した情報では右傾化した背景とか

文学的な発展性とか昭和の作家の行く末とか見ていても当時のオカルトブームで出た

うしろの百太郎のつのだじろうの説の方を固く信じていたのでした。

 

後に三島由紀夫の本を読み、プライベートの変遷や師匠の川端康成とのいきさつやら戦争に

行けなかった悔恨とか作品の価値を上げる作外活動などを色々と知るにつけ、うしろの百太郎で

語られた戦争の霊にとりつかれたせいだというのが嘘であり、つのだじろうの創作だと解る

のですが、それでも当時受けた印象は覆らず、悪霊に憑依されてあんなとんでもない行動を

とったのだという考えは改まらないのです。

 

それだけ若い時に受けた情報というのは鮮烈で深い根を残すのです。というわけで、ここ数日

NHKのニュースで流れる昭和天皇の拝謁記なるものを報じる姿勢は何か恣意的なものを感じて

しかたありません。

 

いつも終戦記念日に戦争関連の番組は増えるのですが、前は単に戦争は悲惨だという反戦的な

メッセージの再現ドラマだったり、平和な世を望むという安易な内容だったものが、日本人が受けた

理不尽な扱いとか困難な状況はどこから出てきたのかというドキュメントや新しい資料など

見方によると危険な感じのものが増えているようです。

 

昭和天皇が憲法改正と再軍備を望んでいたとか各首相にどんな印象を持っていたとか憲法下では

天皇が政治に関与することはできず、例え側近に語ったこととはいえそれを国営放送でやれば

今でも天皇の意志ととる人もいるのです。それも繰り返し何日もやっていると何らかの方向性を

示したいのかと余計思ってしまいます。

 

普段流れる情報はやれ水をとれとか冷房使えとか余計なお世話ばかりで肝心なニュースなどろくに

伝えもしないのに、やはり偏向ととられても仕方ないのではと思ってしまいます。

 

先日お伝えした右回りと左回りのランニングの件はその後新たな展開もあり、色々とまた考えて

さらなる検証が必要となってきました。これは後日詳報を載せます。

 

この季節、とかくものが腐りやすい時期で暑くて食欲も細りがちと人々は食に気を使います。

 

されど毎年当店店主は食が細るとか体力低下とか夏に翳るということもなく、夜走れば余計いつも

より脂肪が燃焼しやすい感じで体重計で年齢も若くなる傾向です。

 

これも珈琲の香に守られて過ごしているせいなのではと思うのでした。

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ゲームオブスローンズと右回りと左回り

2019年08月16日 09時16分58秒 | 珈琲

毎日来客用のアイスコーヒーを作りますが、これが今年色々と作りまた

発見やら気付きがありました。まず言えることは水出しが一番味的にも

お勧めで簡単だしよいということです。次にコンビニのアイスコーヒーのように

氷の上に落とすという方法もこれはこれで良いと思います。すぐ作れるし

そのまま冷蔵庫保存しても味の劣化も少ないです。普通の方法で落として

それを冷蔵庫で冷やすというのも方法ですが、これはなぜか保存がききません。

 

一概に言えるのはキンキンに冷やしてしまうと味は解らないという事です。

特にたっぷりの氷と銅のマグカップのような金属容器だとまず味は解りません。

ちょっとヒヤッと感じる程度の温度でしっかりと味が出るのは13度程度かも

しれません。

 

しかし、味にこだわるのであればわざわざアイスにすることはないので冷房の効いた

部屋でホット珈琲を飲めばよいことなのです。当店でもおもてなしの心で冷たいものを

出したいと作っているだけで、アイスコーヒーはこうでなくてはという事でやっている

わけでもないのです。

 

まあ細かい話やさらなる味の話は来店の時にしますが、当店で飲まれた方はお店ででる

物とは違うとびっくりするといういつもの試飲と同じ効果はあります。

 

さて、ここのところの増えた待機時間はもっぱらゲームオブスローンズなどを見ていますが、

これは長いシーズンなのでよいよ見るものがなくなった時にとっておいたものなのですが、

そんな事もあり、実際に目にしたらもうこれは見る価値があるのかと思うような内容でまあ

暇だから見出したので見ているという感じで今でも見ています。

 

今シーズン4の途中ですが、ここに来て主要登場人物がばたばたと死んでしまうというストーリーの

存続にかかわるような事態になっています。今までアリア、ティリオン・ラニスター、ジョン・

スノー、デナーリス・ターガリエンといった人物を中心に物語が進んでいましたが、そもそも

ネッドスタークことエダート・スタークが罪を着せられ死んでしまう事で一家はバラバラとなり、

その視点から進んでいるとみてもよく、スタークの五人の子供とパラシオンの新王との間で

物語は進むのですが、視聴者は事の真相を知っており、正しいことをすべき誠実で正義の人が

運命のいたずらか家族ばらばらとなり、不実でその成り立ちすらも陰謀と画策により不義の血筋の

ジョフリー・パラシオンという見るのもいやな奴が世の統治者権力者となり、スターク家はより

混迷を帯びていくというのが概要です。

 

まとめサイトやあらすじサイトでは各キャラクターを性格付けとか特長を書いていますが、それは

見た印象というより、本の台本上のことでドラマから見た感じはまた別なのかもしれません。

その最たるところでは物語とか原作上では五人の子供の中で長男ロブ・スタークが一番武力も強く、

頼りになる存在という事なのですが、物語を見る限り、連戦連勝で負け知らずの武将でインチキで

血筋もおぞましいジョフリーなんか直ぐ退治して混乱と一家の離散も解消しそうなものですが、

王都に辿り着くまでもなく、どんどん戦力は減少し、挙句間違った選択で母親とともに婚礼の宴席で

殺されてしまうのです。

 

つまり、原作上の性格や人となりの表現など表されるよりもストーリーとしたら本来あるべきところに

いるはずの人が不正義や不義により複雑な生を辿るという見ている側をハラハラドキドキとさせるのに

一生懸命で行き詰りそうになるとまとめて殺してしまうというようなことになっており、長男と母親が

死ぬ時次はにっくきジョフリーも死んでしまうのです。それも同じく婚礼の席という共通点でなんで

こんなに主要人物が死んじゃうんだという感じです。

 

唯一安定していて正統路線で拡大していたデナ―リス・ターガリアンもここにきて停滞してしまいます。

今まで、兄により軍隊を得てかつて君臨した城を取り戻すべく辺境から蛮族に嫁がされドラゴンの卵を

もらいやがてそれを蘇生させるのに成功、旦那は簡単に死んでしまいますが、各地の奴隷を開放して自身の

軍隊とし、海を渡る船も軍隊も得たのに進軍をなぜか中止し、ピラミッドのような国で統治し始めます。

 

ドラゴンは成長しもはやゆう事を聞かず陳情者は増えるという今までは快進撃で唯一正しき我が道をひたすら

邁進して助言者や従者や騎士を自ずと従わせ増やしてきたのにここにきて停滞するというのはまた暗雲のひとつに

なって誰がこの先冬の来る王都を治めて行くのかという不安定な感じと母と長男まで失ったスタークの子供たちは

どうなっていくのかという実際そのはらはらと見守る事こそがテーマとなり、何も気持ちよく解決しないという

本質はずっとこの先つづきそうなのです。でもとりあえず凶暴で憎らしいジョフリー・パラシオンが死んでくれて

サンサはいじめられなくなりほっとできたというのがこのシーズン4まででした。この先8まであるのですが、結局

いつまでやってもめでたしめでたしの結論にはなりそうもなく、ブッテンブローク家の人々のような没落感もなく

何のための話なのかという感じです。

 

さて、もうひとつ記しておきたいこととして夜のランニングでのできごとで自宅から市役所を抜けてだんご坂を

下り、突き当たると川上に南下し、キヤノンの前を通り、巴川橋を越え公園橋まで行き戻ってくるというコースを

週のうち二度は走るようになっていました。これは距離としては10Kより若干少ないものの桜橋から公園橋の坂を

登ると体のスイッチがバチバチと入る感じがあり、信号待ちや暑さやら何かと理由づけてして最後の市内の細々した

ところは歩いて終るようになっていた夏のランニングでもこのコースを辿ると少なくとも市役所の坂に上る踏切まで

走り切ることができ、気分もだらだらとしたジョギングからランニング感がほとばしる感じになるコースだったの

です。

 

信号待ち込みで一時間2分というのがこのコースのタイムですが、トイレに寄ったり信号待ちやら踏切で止まったり

タイムはあまり気にしていません。依然はコースごとにタイムレコードがあり、常にそれを更新していくという気持ちが

ありできなくなるとコースを変えるという行動でした。最近は走る事への義務感が減り、逆に一週間に一度の走休日も

なくなりました。

 

つまり雨が降ろうが常に毎日ジョギングペースながら10K走るのです。依然は13K程を常にタイム更新しながらそれを

続けることを念頭に走っていてフルマラソンも4時間切りに目途が着いたら挑戦するつもりでした。そんな義務感や

走らされている感じから日常に走ることがあるようになり、だんだん目指していることも変わって来たようです。

 

不思議な感じを抱いたのはこの巴川橋と公園橋のコースを逆走した時です。

 

それは気分転換でトラック競技と同じ時計と逆回りに走ったのです。神社を目指し番場通りに降りて秩父神社秩父駅

公園橋と向かいます。この坂を上り長い下りを桜橋まで走ればその勢いで次の巴橋まで走るのですが、ここからが

緩くずっと坂道です。今まで下りで勢いと楽をしたという思いだけでこの坂を上るのはこの暑さの中では体力だけ

でなく何かを奪われるようです。この逆走だとタイムがなんと一時間24分もかかるのです。

 

かつて大野原から秩父橋を渡り寺尾で引き返して巴川橋を渡り自宅まで帰った時には90分以内で走れたことを

思うとなぜこんなとろとろと走るようになったのか理解できません。かつてのK5分ペースの走りをもう一度

常にできるように走らなければならないのではと考えるようになりました。しかし、これが義務感と故障を生む

という事も今まで経験しており今考えてどうしようと思っていることです。

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台風の日と法事とスカイホール

2019年08月15日 09時53分44秒 | 珈琲

今朝テレビで見たニュースは台風一色でした。

 

しかし、こういうのは見始めて10分もするといい加減もう違うニュースがあるだろうと

イライラとしてきます。同じ台風通過予想図を示しながらどこの電車がとまり、宅急便が

配達を見合わせるとか三越やらデパートも今日はお休みということをやっているのです。

そのうえ避難する上での注意とかずっと繰り返しなのです。

 

大分では18人のバーベキューの人が車が水没して救助要求しているというのがあり、なぜ

これだけ連日超大型の台風接近と騒いでいるのに団体で出かける必要があるのかと不思議に

眺めるのですが、こういう人は必ずいて謎というか世の中の不思議というかテレビで繰り返し

同じことを言ってもやはり届かない人には届かないのではという気分になります。

 

早々にテレビのニュースは諦めて溜まったビデオを見ることにしましたが、その前に今日の

豆を焼いたり注文に応えなくてはなりません。

 

昨日は法事に出かけていたので溜まった注文もあります。お盆の法事は年々増え、複数でかける

ことも例年化しています。

 

昨日『007スカイホール』の事を書きましたが、慰めの報酬につづき、スカイホールも放送されたので

見ました。

 

登場するカジノや軍艦島のようなところと地下鉄での追跡となかなかの見どころがあるものの、

ストーリー的にかつてのスパイが元上司を恨んで恨みを晴らすというものは今まで世界を救うという

世界をまたにかけ国際的組織と対峙してきたのと比べありそうもない話であり、国際的スパイが

逆に個人に追い詰められて守るべき存在も組織という裏付けがありながら守れないというおかしな

ことになっています。

 

なぜかこれがシリーズ最高とされ一番美しいストーリーとされたりシリーズ最高傑作などといわれる

のですが、ミッションでいうと最初から最後まで失敗です。何のなぞも解決していないし、守るべき

情報さえ世界にもれてしまいます。

 

相手の罠にはまり、一歩相手が先に行っているのを逆手に自らが餌になり、スカイホールにて待ち受けて

相手をしとめるというというのも結局失敗し、そもそも007セクションが時代遅れで必要ないという物語の

流れになってくというのがこの話の要諦のようです。

そんな流れながら次作のスペクターでは世界的陰謀や情報操作に話は戻るものの、果たして成功しているのか

007だから阻止できたのかというのはどうなんだろうという感じの話になっています。

 

こういう形態は大好きな物語のディテールをいつまでも保ちなおかつ現在に置き直して今ならではの

世界に展開してみるというのはある意味私自身の今の状況と同じでいつまでもバスケとスキーと

珈琲で毎年同じことをしているのと同じなのではと思ったりします。

 

溜まったビデオの中にランスマもありました。

 

この番組は今年になり今までの毎週30分番組が一時間になり、さらにパワーアップというときに

司会の田村亮が闇営業で謹慎ということで放送中止となっていたのが新たに鈴木奈々が新MCで

再開されていました。

 

走力的には10K程度しかなく番組で挑戦したのは10K70分切りというなんとも緩い設定でした。

 

つまりはこれは初心者以下初挑戦者のレベルで若かったり運動経験者から見たらそんなのわざわざ

テレビでやる意味あるのかという内容です。ですが、今や日本はお年寄り大国であり、同じマラソン大会

に挑んだ視聴者は5Kの部に挑戦する60代の夫婦です。特に女性は3Kまでしか今まで走ったことがない

という人でした。2012年から続いてきた番組なら当然長いファンもいてこれを見たから続けられたという

人もいるのです。それに対して出演者交代を機により初心者向けにしたというのはなぜなのかという

疑問とこの番組の行末が見えない展開に次にまたみるかというとどうでもいいかという感じなのでした。

 

やはり自分と同じぐらいのレベルの人が番組でどう挑戦してどう目標を果たしたかというのが一番興味を

集める点だと思いますが、それが今後どんな層をターゲットにしていくのか不明になった感じがします。

 

この日の茨城のメロンランは6000人もの人でにぎわったといいます。当秩父のチャレンジロードレースは

2000人以下です。昨年は川内優輝を招待して華もありましたが、今年は毎年やっているからやったという

だけの大会で、もっと盛り上げようとか今後こうして行こうとか発展性もない秩父の未来と同じで過疎化が

進む町で何も策を持たないそのままの姿のようでした。

 

しかし、実際秩父に移住している人はいて当店にも移住してきましたという人も話を聞くことができます。

珈琲を挟んで話をすると何かまた違った考えや想いが浮び次につながることもと思わせることもあります。

次はランニングについて考察していきます。

 

 

 

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待機時間にホット珈琲を飲む

2019年08月14日 09時08分59秒 | 珈琲

秩父でもこの時季はさすがに道路工事の人も休みになっていたり、近所の解体現場でも

解体途中のまま工事がストップするなど世の中この時期はみんな休むんだというありさまに

なっています。

 

面白いのはそんな時に限って当店では慌ててなくなったという方が買いに現れます。

 

中にはお盆に訪れたお客に出したら喜ばれたからすぐに珈琲がなくなったとかという

予定外の消費量アップの人もいますが、こういう時はみんななぜかうれしそうです。

 

そんなわけで試飲部屋はいつも冷房をかけ待機して珈琲マシンでアイスコーヒーを作って

おくのですが、昨日は氷を入れずに普通に珈琲を作ったのでした。

 

これはいくつかの要因が重なったためだったのですが、珈琲マシンから上がる香りが

部屋いっぱいに広がり訪れる人はその香りだけで試飲してゆっくりしていく人はまれで

皆涼しくなったらゆっくりしていくと先を急ぐのでした。

 

休む店が多くひっそりしているようでいて各家庭には普段とは違いお客がいるようです。

 

周りの変化とは全く関係なく当店ではいつも珈琲とともに時間が流れているという確認が

されると皆さんうれしいようで次はいつ来るからといいつつ帰っていくのでした。

私は月末処理の前倒しと資金準備やら帳簿類などやることがあり、周りののんびりお休み

雰囲気とは違いなんとも慌しく緊張する日々なのですが、新豆とか先行きの豆の値段とか

折角下がったものが商社では今は底ですぐ上がると梅雨の辺りから言い続けています。

 

本来なら今は買い時期に違いないのですが、日本の梅雨を倉庫で過ごした豆はあまり買う気が

しないのです。

 

他の豆屋さんではそんな気もないようで新入荷の豆より安くなった豆を買い集めている同業者も

います。

 

今月にどんな展開があるかまだまだ気を抜けません。

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