振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

開いてる図書館と閉まってる図書館

2020-03-21 13:50:53 | 日記
昨日(20日)、京都市立向島図書館に本を返しに行ったが、20席くらいある閲覧デスクには5人くらいしかいなかった。2週間前に借りに行った時は閲覧者がもう少し多かった気がするが、従来に比べるとコロナウィルスのためか利用者が減っている。



実は1週間前に自宅近くの宇治市立図書館に雑誌でも読もうと行ったが、コロナウィルスのために閉館していた。政府が学校の一斉休校を要請した時に埼玉県の加須市立図書館が一緒に閉館するニュースが流れ、賛否両論あることを報じていたが、自分の住む宇治市の図書館も同様の理由で閉館しているとは行ってみるまで知らなかった。

調べてみると約20館ほどある京都市立図書館は館内で予定していたイベントなどは中止しているが、貸し出しや閲覧は通常どおりやっていて、近隣では大津市や亀岡市も同様だった。しかし城陽市、八幡市、長岡京市、向日市そして大阪市などは宇治市同様に閉館している。

ついでに他のエリアも調べると、休館している自治体が多く、全体的には開館している方が少数派のように思える。東京の区立図書館は区によって異なっていた。

一方で横浜市や高槻市、奈良市、枚方市などは閉館しながらもWEBから予約した図書の貸し出し返却はやっているので、完全閉館ではないようだ。宇治市も3月25日からはWEB予約の図書の貸し出しは始めるようだ。

自分的には京都市の図書館も利用できるので問題はないのだが、学校の一斉休校にならって図書館も休館するのはいかがかと思う。閲覧席に長時間滞在したり、貸し出しや閲覧の図書に触れることで起こるウィルスの感染リスクが皆無ではないが、来館者へのマスク着用義務付けや図書の消毒、閲覧席の削減などで回避は可能ではないか。

右にならえして休館する方が無難なのだろうが、せめてWEB予約図書の貸し出しなど、運用上の工夫によって完全閉館を避ける方法もあるはずだ。小売りや飲食業の方々は収入が激減して大変な時期に、完全休館している施設で働く公務員さんは何をしているんでしょう

六歌仙の在原業平が隠棲したとされる、京都大原野の十輪寺

2020-03-14 17:46:59 | バイクツーリング
テレビを点けてもネットを開いても、話題は新型コロナウイルスばかりでウンザリする。予定していた飲み会も2件ほど中止となり、4月出発のヨーロッパツアーに申し込んでいたが取消料がかかる前にキャンセルした。催行されたとしてもこんな状況では楽しい旅行になるはずがない。外出の機会が減って、家で欝々とする日が増えた。

そんな時、快晴の天気で少し暖かったのでバイクで出掛けた。電車やバスと違って、バイクならコロナウイルスの感染リスクはゼロに近いだろう。

十輪寺を知ったのは元号の令和を考案した国文学者の中西進氏の著作「百人一首の京都」の中で紹介されていたからで、バイクでなら3~40分で行けそうな場所だ。西国三十三ヶ所の二十番札所の善峯寺に向かう道の2kmぐらい手前にあり、エリアとしては大原野の南部になる。JR向日町駅、または阪急東向日駅から善峯寺行きのバスで行ける。

駐車場にバイクを置いて少し歩くと山門があり、脇にある入口から進むと受付がある。拝観料は400円。



9世紀の中頃に文徳天皇の勅願寺として創建されたとある。

本堂は後回しにして裏手の山に登ると、こじんまりとした在原業平の墓があった。晩年はこの寺に隠棲していたとある。



更にもう少し登ると、塩竃の跡がある。





業平は難波から海水を取り寄せて、ここで塩を焼いていたとある。寺のある場所の地名が小塩とあるのは、このことに由来している。

この寺の北方に大原野神社があるが、看板の説明では業平の昔の恋人で清和天皇の后となった二条后が参詣の折に、塩竃の紫煙を上らせて想いを伝えようとしていたとある。小高い場所に塩竃を築いたのは遠くまで紫煙が見えるようにして、自分の存在を知らせたかったのだろう。

山を下りながら本堂を見ると、少し変わった屋根のかたちをしている。



鳳輦形と呼ばれる、神輿を模した屋根になっている。

庭園は「三方普感の庭」と呼ばれ、庭を囲む高廊下、茶室、御殿の三方から眺めて楽しめるようだ。応仁の乱で焼失した後、18世紀中頃の再興時に造営された庭園だが、限られた空間を最大に楽しむための工夫とも言える。





あと数週間もすれば、なりひら桜と呼ばれる樹齢二百年のしだれ桜が満開になるようだ。その景色はJR東海のポスターにも採用されていた。


ところで、百人一首の中で業平の歌は「ちはやぶる 神代も聞かず 龍田川 からくれないに 水くくるとは」で、すべては覚えられなかった百首の中ではすらすらと読める歌だ。

これを機会に業平を横展開してみると、伊勢物語の中でも著名な歌で、今でももすらすらと読める「から衣 きつつなれにし つましあれば、はるばるきぬる、旅をしぞおもう」「名にしおば、いざこと問はむ 都鳥 わが想うひとは ありやなしやと」忘れていたがこれらも彼の歌だった。

業平は皇孫の血筋を持ちながら今で言うところのイケメンで、恋多き生涯を送ったようだが、それらが歌人としての素養に繋がっているのかも知れない。今さら不勉強を嘆いても仕方ないが、もう少し突っ込んで歌の背景を勉強していたら古文の授業も面白かったかも知れない。




十輪寺からの帰り、菜の花が一面に咲いている畑があった。