振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

山陰縦走ツーリング(雑考)津和野は島根県ですよ

2018-09-28 17:17:20 | バイクツーリング
今回4人でのツーリングで津和野に行ったが、山口県出身の私以外の3人は津和野を山口県だと思っていたことがわかった。3人は皆、京都で生まれ育ったので仕方ないか。

津和野駅の近くに大型の観光案内の看板があって、山口県の萩を含めた広域地図を見ていて津和野=島根県だとわかったようだ。この看板の隅には山口・島根の両県の観光協会が共同で作成して島根県に設置したと、わざわざ書かれていた。旅行代理店のツアーでも萩と津和野がセットになっていることも多いので、共同作戦はありだ。

山陰の小京都と呼ばれる津和野、賀茂川に似た津和野川、太鼓谷稲成と伏見稲荷、殿町あたりの街並み、古い京都の街の一角としては似ているかもしれない。





一方で、SLやまぐち号の終点が山口線の津和野駅で、これから津和野が山口県と誤解するケースが少なくないと想像する。



画像は津和野駅を米子に向けて出発した特急スーパーおき。乗客は少なかった。キハ187系の3両編成で1日3往復。

津和野に到着する前に島根県益田市を通過したが、ここにある島根県営石見空港への道路案内表示は「萩・石見空港」となっている。1993年に開港したが知名度を上げるためか、10年後に愛称として萩の名称を先に加えている。萩への観光客の空港利用を促進したいのだろうが、山口県が表示費用の負担していることはないだろう。

現在は全日空の羽田便が毎日2便あるが、人口の少ない地域でビジネス需要も低いので搭乗率も低く、県では空港へのアクセス費用の補助などもしている。そこまでして空港は必要だったのだろうか。益田から出雲空港までは150kmくらいあるが、山陰道が整備されれば車で2時間くらいか?より厳しくなるのではないか。

話は変わるが、2015年に世界遺産に登録された、明治日本の産業革命遺産と言うのがある。製鉄や造船、石炭産業が勃興した当時の遺産が認定され、山口、福岡、佐賀、長崎、熊本、鹿児島、静岡、岩手の8県にまたがる全23の施設だが、何となく違和感を覚える施設がある。それは萩の松下村塾と萩城下町で、明治維新を推進して産業革命に繋がる改革者を輩出したとは思うが、やや拡大解釈が過ぎないか。

また、世界遺産施設の一つに萩市郊外の山中に大板山たたら製鉄遺跡がある。萩にある同じく世界遺産施設の恵美須ヶ鼻造船所跡があるが、長州藩がそこで建造した木造洋式帆船に使われた鉄釘が大板山で作られ、その関連で認定されたようだが、これも違和感がある。

今年の5月、島根県内の出雲たたら遺跡を見て回ったが、たたら製鉄は奈良時代ごろから明治時代まで続いた製鉄の技術で日本の産業革命以前の伝統技術だ。現在も日本刀文化の保存に並行してたたら製鉄技術も島根県で継承されている。

大板山でのたたら製鉄は出雲から原料の砂鉄を輸入するだけでなく、多くの技術者を移住させている。たたら製鉄技術の本家は明らかに出雲にあるのに、旧来の伝統技術で製作した鉄釘のみで大板山遺跡が明治産業革命世界遺産を標榜するのは、違和感あるなあ。それに、恵美須ヶ鼻造船所にしても薩摩藩や佐賀藩のように蒸気船は作っていないしなあ。ユネスコが地元選出の現総理を忖度したとも思えないが。

ツーリングのテーマから大きく脱線してしまった。




山陰縦走ツーリング(5)新門司港から名門大洋フェリーで大阪南港へ

2018-09-25 22:16:30 | バイクツーリング
大渋滞で角島まで渡れなかったのは残念だ。橋の真ん中でUターンしたが、行くか戻るか迷っていたので海や島の景色を見る余裕がなかった。

角島大橋は以前に車で渡ったことがあるが、その時にバイクで渡れば気持ちいいだろうと思っていて、やっと実現できるはずが実に残念。天気も至極良かったのに。

多少時間に余裕ができたので、下関の唐戸市場に行くことになった。J氏がフグの干物を買いたいようだ。



市場は水族館のある海響館やレストラン街、巌流島や関門架橋を回る観光船の港に隣接し、一大ウォーターフロントとして開発されたようだ。周辺には韓国からの観光客らしき人達が多かった。夕方近くのためか市場内は閉まった店が多く、期待したお土産は買えなかった。

下関を後にして九州に渡るため、関門国道トンネルの入り口に向かった。渋滞は予想していたが料金所の手前から列ができていた。



100円の通行料を払った後もずっと渋滞の列で、トンネルの海底部まで何度も停車した。海底部までは下り坂なので再発進も楽だが、登りは坂道発進になるのでイヤだなと思っていたら、スイスイと進み始めた。

門司港レトロを少しだけ見ようと立ち寄ったが駐輪出来る場所がない。仕方なく古い建物群を横目でみながら通過となり、フェリーに乗るため新門司港に向かったが乗船場が分かりにくかった。

県道を新門司方面へ向い、フェリー乗船場と書かれた標識に従って左折して進んだが、着いたところは阪九フェリーのターミナルだった。名門大洋フェリーには昨年5月に単身で乗り、ターミナルからシャトルバスに乗った経験があるので阪九ターミナルから南側に離れていることは知っていたが、道に迷ってしまった。県道まで戻ってしまい、何とか到着したが分かりにくい。

大阪南港も2社のフェリーターミナルはかなり離れていて、昨年の九州ツーリングの際はJ氏がターミナルを間違ってしまった。アクセスルートの途中にもう少し案内表示をするなどの工夫を増やして欲しいもんだ。

出港は19時50分だが18時30分には乗船して直ぐにシャワーを浴び、船内レストランで打ち上げとなった。食事はバイキング形式で朝食券もセットで買うと2100円。





生ビールは自動サーバーで500円で飲めるが、我々は船内売店の自販機で第3ビールのロング缶を240円で購入して持ち込み。宴会代としては安くてありがたい。料理のバラエティも豊富だ。

名門大洋フェリーのこの航路は4隻の船で1日2往復あるが、1隻が修理のためドッグに入渠中で、今夕の大阪南港行きは1便しかない。そのためか船内は乗船客が多く、我々が予約したカプセルホテルのような船室、ツーリスト洋室も満室のように見えた。バイクの乗船料を含めて片道9000円のセット料金。宴会をして眠って帰れるのだから楽だ。

翌朝の8時30分、定刻通りフェリーは大阪南港に接岸。バイクの車両甲板は4階で、3階車両甲板の車両が先に下船しないとリフトアップされた3階への可動式スロープが使えず、我々の下船までに30分近くかかった。





午前11時、無事に帰宅。


山陰縦走ツーリング(4)山口県内各地で渋滞に遭遇

2018-09-24 13:16:30 | バイクツーリング
観光客がまばらな津和野の街を散策して宿に戻ると夕食が待っていた。



画像を撮った後で野菜を炊いた皿が追加されたが、品数としては多くない。しかしながらメインの料理は200グラムはありそうな島根和牛のステーキで、これが柔らかくて大変美味しかった。4人泊まれる洋室だが2食付きで一人8100円(税込み)で、この和牛ステーキ付きとは安い。三連休の初日だ。大の肉食系T氏は大喜び。

昨日日曜日の朝刊に1ページ広告で、9月29日からのSLやまぐち号の運転再開と津和野観光が宣伝されていた。やはり今年の夏の運転中止は津和野に大きな影響があったに違いない。宿がこの値段で和牛ステーキを付けているのが良く分かった。

宿泊地として萩と言う選択肢もあり検討したが、我々にとって適当な値段の宿がなく、津和野に割安感があったので選んだが、それなりの理由があったわけだ。


翌朝の津和野は山の中だけに雲がかかり、小雨模様だった。出発を1時間遅らせたが、それでも雨具を付けてスタート。国道9号線を南下して山口県に入り、徳佐を過ぎるころに雨は止んだが、長い木戸山トンネルを抜けた途端に再び雨。

自分が生まれて10歳まで過ごした生家跡のある仁保に寄った後、中学、高校を過ごした山口の市街地へ。住まいのあった一の坂川沿いや、瑠璃光寺の五重の塔に寄ってみた。天気は回復してきた。





山口は静かで小さな街で思い出深い場所はいくらでもあるが、メンバーを連れてではゆっくりもできず、一人が希望したお土産を買いに和菓子店に。昔は街の中心部や駅に販売店があったが、今は中心部から少し離れたロードサイドにも出店している。

豆子郎を買いに店に入ったら4人とも茶菓の接待を受けた。バイクで京都から来たと言うと、スタッフの若い女性とも話がはずんだ。買物をしたのは2人だけなのに素晴らしいサービスで、山口に対するメンバーの好感度がグーンと上がった。




山口を出て仙崎に向かった。青海島と元乃隈稲荷が目的だが、その前に昼飯にと半年前にオープンした道の駅「センザキッチン」に寄った。ところが駐車場待ちの自家用車が列を作っていて、何とかバイクは入れたが指定外スペースに駐輪。そう言えば午前中の仁保でも道の駅に寄ったが駐車場が空いてなく、Uターンしたのだった。





ここは道の駅と言いながらオープンモールのようになっていて、かなり広いが三連休の中日とあってかどの店もお客が一杯。結局道の駅を出て青海島に入ったが食べる所もなく、コンビニのイートインで昼飯となった。

このまま元乃隈稲荷に行くと、アクセスが狭く、駐車場も充分でないと聞いているので渋滞の恐れが多分にある。相談の結果中止して、その先の目的地の角島に向かったが、ここもビックリするくらい大渋滞だった。



角島大橋の手前の駐車場が満杯だったのでそのまま橋に進入したら島から戻る車やバイクが大渋滞。島に向かってゆっくりと進みながら、折り返しの渋滞で時間がかかればフェリーに乗り遅れることが心配になり、橋の真ん中の緊急駐車ゾーンで道幅が広くなった所で頭を下げながらUターン。悪いこととは知りながら20台くらいいたバイクのかたまりの後ろに入れてもらった。



橋の入り口に戻るまで10~15分かかったが、対向車線を逆走するバイクは1,2台しかいなかった。渋滞中の橋の全景画像は入口に戻って展望台から撮影。車もバイクも福岡や九州のナンバーが多く、日帰りで来ている様子だ。

この後で下関に寄ってから関門トンネルを渡ったが、ここも渋滞したのだった。






山陰縦走ツーリング(3)大社駅跡と津和野駅でD51に遭遇

2018-09-21 09:12:40 | バイクツーリング
大社駅跡に来るのは確か2度目になるが、3年前にブラタモリの番組で出雲大社とセットで紹介され、大社駅の元駅員のお爺さんが出演していたのを思い出した。確か、切符の販売窓口の中で制帽をかぶっているシーンがあったと思う。今は制服を着たマネキンが立っている。





1990年に大社線の廃線と共に役目を終えた駅舎だが、大正年間に建てられた立派な駅で、出雲大社がイメージされているらしい。駅舎内も自由に見ることができ、懐かしいタブレットやタブレット交換機が展示されていた。





小学校低学年の頃、数人が集まって藁のロープの輪の中に入り、駅に見立てた近所の家を走り回る汽車ごっこは、遊びの定番のひとつだった。その際に大事な道具の一つがタブレット入れを模した物で、薪を束ねる針金の金輪に古くなった皮財布をぶら下げていた。当時はタブレットの名前さえ知らず、その役目も知らなかったが、汽車が駅に着くと機関士が駅員と交換している光景が懐かしい。

ホームに出ると3番線にD51の774号機が置いてある。40数年前に廃車になった後、出雲大社内で保存されていたが、2001年に現在地に移設とのこと。




大社を離れて昼飯に道の駅キララ多伎に入った頃には青空が広がっていた。3連休の初日で駐車場は多くの車で埋まっていた。いくつかある食事処の中でラーメン屋を選び、あご塩ラーメンを食べた。チャーシューの代わりにあごの竹輪が入って、さっぱり系塩味で美味しかった。





この後は今夜の宿のある津和野に向かったが、自動車専用の山陰道が部分的に開通していて便利だ。但し、9号線は海岸に近くて低い場所にあるのに対して、山陰道は山腹を高架橋で繋いだ高い場所にあるので西からの向かい風が強く、自分のアメリカンスタイルバイクでは少し走りにくかった。

津和野は山中にある盆地の街で、山腹を走る9号線から下って行く感じだ。宿にチェンックインしたのは午後4時頃で、風呂に入った後夕食まで時間があるので散歩がてら街を歩いた。

津和野藩4万3千石の城下町だけに古い家が並んでいる。





殿町通りの脇を流れる疏水には大きな錦鯉が泳いでいる。津和野を象徴する風景だ。





名所としては他に太鼓谷稲荷や津和野城跡、ここで生まれた森鴎外の生家などあるが、実は58年前の小学生の時の日帰り遠足の時に来た記憶がある。津和野まで山口線のディーゼルカーで来て、帰りに竹風軒のお菓子、源氏巻きをお土産に買ったことは覚えている。

山口線の津和野駅の横の町営駐車場の横にD51の194号機が置いてあった。本日2両目のD51との遭遇だ。



日本全国には多くのSLが保存されているが、調べてみるとその中でもD51は170両くらいあるらしい。国産SLでは最多の1115両製造されたのだから、1割以上が残っている計算になる。

動態保存車両は2両あり、その内の1両200号機が山口線のSLやまぐち号として、ここ津和野と新山口間で期間運行されているはずだがこの夏は走っていない。夏休みの運行期間の前に広島に出張していたのだが、7月の西日本豪雨で山陽本線が不通になり、新山口駅に戻れなくなったらしい。もう1両の同僚、C57の1号機も京都で修理中だったので戻れず、今月9月末の運行再開までSLやまぐち号は運休となった。

三連休の初日だと言うのに津和野の街は閑散として、我々以外に観光客はまばらだ。やまぐち号運休も影響していると思う。今夜の宿泊料が意外に安かったのはそのせいかもしれない。

1時間ほど歩いて宿に戻った。さあ、夕飯だ。



山陰縦走ツーリング(2)大根島の蕎麦畑を過ぎたら晴天

2018-09-19 13:30:44 | バイクツーリング
天気予報では本日の島根県東部の降雨確率60%とある。朝の出発時に雨は降っていないが西の空は曇天。念のために雨具を着けてスタートした。

米子から西に向かう場合、通常なら山陰道か国道9号線になるが、今回は趣向を変えて境港から中海にある島伝いに松江に行き、宍道湖の北岸を通る国道431号線ルートで出雲に向かった。

以前に一度渡ったことはあるのだが、江島大橋を渡ることが目的の一つで、写真を撮りたかったのだ。だがバイクを停める適当な場所が無く、残念ながら画像が撮れなかった。

この橋は通称「ベタ踏み坂」と呼ばれ、急勾配を利用したダイハツ車のCM画像で有名だ。日本海の美保湾から、中海に面して日立金属の工場などがある安来港まで行き来する船舶を橋桁の下を航行させるため、アーチ状になった橋の最高点は45メートルあるらしい。

江島へ渡れば次の大根島、そして松江までは橋ではなく堤防上の道路で繋がっている。途中で中止になったが中海の一部を干拓する計画と中海淡水化計画で作られた堤防だと思う。

大根島に入ると一面に白い花が広がる蕎麦畑があった。なかなかの景色だ。





出雲ソバの産地かと思い調べてみたが、比較的最近になって栽培が始まったようだ。ここは昔からボタンの苗木と高麗人参の栽培が盛んな島で、松江藩の特産品であったらしい。


空を眺めると所々に青空も見え、雨が来そうにないので蒸し暑い雨具を脱いだ。走りだすと風が大変に気持ち良い。

右手に松江城を眺めながら431号線を出雲大社方面を目指した。左手は宍道湖の湖岸、そして右側に一畑電鉄の単線が並走している。可愛い電車にか細い架線支柱、背景には緑の山と石州瓦の赤い屋根の家々。目を細めて見るとジオラマのようだ。画像が撮れず残念。

出雲大社にはメンバー4人とも行ったことがあるので本殿にお参りするのは止めた。還暦前後のオジンが今さら縁結びでもあるまい。参道前の大鳥居を見てからJRの大社駅跡に行った。