らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

論語

2016-09-21 | 雑学

「志学(しがく)」、「而立(じりつ)」、「不惑(ふわく)」、「知命(ちめい)」、「耳順(じじゅん)」、「従心(じゅうしん)」。
この6つの言葉は論語の中の言葉ですが、何を表しているのかお分かりでしょうか?

今日は論語からご紹介します。
冒頭の6つの言葉は皆さまもお聞きになったことがあると思いますが、『論語』為政第二の第四節にある言葉で、孔子が晩年に振り返って言った言葉の一部と言われています。
その言葉とは、
『子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順(したが)う、七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず。』です。

この言葉の現代語訳は次の通りです。
先生が言われた。私は十五歳のとき学問に志を立てた。
三十歳になって、その基礎ができて自立できるようになった。
四十歳になると、心に迷うことがなくなった。
五十歳になって、天が自分に与えた使命が自覚できた。
六十歳になると、人の言うことがなんでもすなおに理解できるようになった。
七十歳になると、自分のしたいと思うことをそのままやっても、人の道を踏みはずすことがなくなった、と言う意味です。

ここから、「志学(しがく)」、「而立(じりつ)」、「不惑(ふわく)」、「知命(ちめい)」、「耳順(じじゅん)」、「従心(じゅうしん)」の各言葉があるのですが、これらは各年齢を表している言葉なのです。
即ち、 ・「吾、十有五にして学に志す。」が「志学(しがく)」で15歳を、
     ・「三十にして立つ。」は「而立(じりつ)」で30歳を
     ・「四十にして惑わず。」は「不惑(ふわく)」の40歳を
     ・「五十にして天命を知る。」は「知命(ちめい)」で 50歳を
     ・「六十にして耳順(したが)う。」は「耳順(じじゅん)」で60歳を
     ・「七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず」は「従心(じゅうしん)」で70歳を表わしており、これらの言葉は各年齢の異称として使われています。

この論語の一説は、孔子が自分の生涯を振り返って述べたこととされているのが一般的なようですが、実は、孔子が人生の理想像、つまり、こういう人生を送りたいという理想を述べた、とする説もあるということです。

省みて、既に「従心」を過ぎている小生はどうか?
確かに、子が曰っているように、「心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず。」は、十分実感できるものです。


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1 コメント

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らいちゃん  へ (iina)
2016-09-21 08:44:05
論語は、道徳や倫理の古典として学校で学びました。

江戸時代を通して、武家層を中心として儒教は日本に定着しましたが、一般には普及しなかったとされます。
なにより日本では論語を形だけ導入したとは、小説などでときどき見受けします。

それに、ことわざの「論より証拠」とは関係ないようです。

>爪の長い女性、生活に不便ではないのでしょうか。ツリーハウスは樹木の成長とともに傾いたり壊れたりしないのでしょうか。
>背の高い女性やウェストの細い女性、健康は大丈夫ですか。本当に撃てる小さな銃は怖いですね。出回らないようにしてもらいたいです。
ギネスに名を留めるために頑張る者も多いようです。

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