多くの人がよく使う慣用句に「目くじらを立てる」や「目から鱗が落ちた」があります。
人間の目に何故「くじら」や「鱗」が付いて慣用句ができたのか?
今日は「目くじら」と「目から鱗」の語源について調べました。
「目くじら」の語源
他人の欠点を探しだしてとがめることを言う慣用句に「目くじらを立てる」があります。
調べてみると「目くじら」とは、「目の端、目じり」のことで、海を泳いでいる「鯨」のことではありませんでした。
「目くじら」の「くじら」の語源は諸説あって、一つは北陸地方と鹿児島の方言で「隅」を意味する「すまくじら(くじり)」ということばの略ではないかという説、即ち、“目の隅”=「目じり」ということからのようです。
他には、先のとがった錐(きり)のような道具や、えぐることを「くじり」と言い、目の吊り上った様子を表したという説です。
「目くじらを立てる」とは、“目じりを立てるように吊り上げてにらみつける”という意味で、「目くじら」は「目くじり」とも言うことから「くじり」が「くじら」になったようです。
「目から鱗」の語源
次に「目から鱗が落ちる」の語源を調べました。
「目から鱗が落ちる」の意味は、何かがきっかけとなり、急に視野が開けて物事の実態が理解できるようになることで、「目から鱗」とともによく使われる慣用句です。
この慣用句は新約聖書『使徒行伝』第9章の「直ちに彼の目より鱗のごときもの落ちて見ることを得」から生まれたもののようです。
それによれば、熱心なユダヤ教徒のサウロ(パウロ)はその立場からはじめはキリスト教徒を迫害する側に立っていましたが、復活したイエス・キリストから、「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかけられ、その後、目が見えなくなりました。
イエス・キリストは弟子のアナニアというキリスト教徒を派遣し、神のお告げによってサウロのために祈るとサウロの目から鱗のようなものが落ちて、目が見えるようになりました。
これが「目から鱗が落ちた」の語源になっています。
サウロはこの出来事によって回心し、パウロと名を改め、キリスト教徒となってキリスト教の伝道に重要な役目をはたしたと伝えられています。
英文の聖書にも「like fish scales(うろこのような)」と書かれているようです。