プロ野球 OB投手資料ブログ

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難波孝将

2014-02-17 20:55:34 | 日記
1969年

今季、泉とともに成長株の一人として期待される難波が、二十二日の西京極球場での対阪神オープン戦で初登板した。まるで信じられないような話だが、この難波、ことしプロ入り五年目になるが、これまで公式戦はもとより、ウエスタン・リーグ、オープン戦と、とにかく相手チームにはまだただの一度も投げた経験がなかった。阪神戦が文字通りプロ入り初めてのマウンドであった。この試合四回から登板、一回三分の一を投げ打者十人に対して五安打、五自責点をとられて敗戦投手。「マウンドではもうあがってしまって、無我夢中でした」とのことで、日頃の実力を十分に出し切れなかったようだが、言葉ではいい表せない喜びと感激を味わったようだ。難波は四十年大阪にある佐野安ドッグからテストを受け入団した。その前岡山県久世中学から「ただもう野球がやりたくて、その気持ちだけ・・」と、当時、大阪ノンプロ界では強かった佐野安ドッグに入社、二か月後、南海の選手であった黒田の紹介でテストを受けた。中学生にしてはいい体格をしていたが、それでもやはり技術では他の選手に劣っており、ファーム暮らしの生活がつづいた。そして四十二年には、杉浦がピッチングコーチから現役兼務になったこともあって、支配下選手のワクからはみ出したりしたが、四十三年から再びカムバック昨年暮の日南キャンプで藤江コーチの目にとまり、大方キャンプの精進のかいあってこの日の起用となったもの。「昨年までは、とにかく問題にされずウエスタンのゲームでも絶対に投げさせてもらえないのだから、半ばヤケになってゲームがあっても、グラウンドに来なかった」といった・・暗い日々がつづいたわけだが、「力のあるものはどしどし使う。練習次第だよ」と飯田監督の激励に発奮。俄然やる気を起こした。「外角の速球にはちょっと手が出ない」という球威と、バッティングピッチャーで鍛えたコントロールが、初登板では、絶対に自信を持って投げたカーブをボールと判定されて崩れたが、紅白戦などでは、主力バッターがたじたじするほど。久世中学の先輩には阪急の石井茂投手がおり、毛並みは申し分ない。「家族(三人兄弟の末っ子)みんなが応援してくれているのでなんとか頑張って公式戦で投げたい」五年目ではじめて陽の目を見た難波は、いま希望に胸をふくらませている。

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