プロ野球 OB投手資料ブログ

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清水信明

2024-05-03 20:53:11 | 日記
1980年
日本ハムがドラフトで4位に指名した東農大二・清水信明捕手(17)=1㍍75、76㌔、右投右打=の入団が三十日決定した。金山スカウトは同日午後、高崎市内の料亭で本人と清作さん(55)=農業、かづさん(56)の両親らを交えて二回目の入団交渉。契約金一千ニ百万円(いずれも推定)で正式契約をかわした。日本ハムの入団第一号。


1981年


ドラフト4位、昨年夏の群馬県予選でヤクルト4位指名の好投手高仁とバッテリーを組み準決勝まで進出した。前橋工に甲子園行きを阻まれたものの激しいブロックで本塁を守った闘志が光った。勝ち気な性格は捕手にはうってつけのファイター。主将、四番打者としてチームのけん引者だった。原(広陵高ー広島)に匹敵する強肩。小柄ながらパワフルな打撃を見せる好選手だ。


1982年


田村のあとをうめる正捕手候補生、スローイング、インサイドワークと、まだまだ勉強することばかりだが、持ち前のファイトで前進あるのみ。しぶとい打撃にもさらに磨きをかけてね。


1983年


田村、中西が一軍入りし、いよいよチャンスがめぐってきた。これでやる気を見せなければウソだろう。気持ちを充実させ、オレが投手陣をひっぱってやる。ぐらいの闘志が欲しい。右打ちのうまさに加え、内角球も克服。ことしはいいトシになりそうだ。


1984年


主戦のマスクをつけて苦しい戦いだった。リーグ最低のチーム防御率。けん命のリードも、相手打者に痛打され、気持ちがくじけそうになったことも度々だった。だが、勝負はこれから。二塁へのスローイングも速く、正確になった。1割台に終わった打力アップを目指そう。


1985年


敗戦決定的な8回裏の守りからマスクをつけての初出場。わずか1イニングだったが無失点におさえた。「ひざがガクガクしちゃって。どうにもとまりませんでした」と試合後、西宮球場のロッカーで、ホッとしながら話す横顔が初初しかった。いつの日か、清水が堂々のレギュラーになった時でもこの日のことを決して忘れないだろう。昨年、イースタンのベストナイン捕手だ。


1986年


非凡な打力をかいま見た感じがした。慣れさえすれば相当打ちそうな気がした。10月16日、藤井寺球場での近鉄ダブルの第二試合、待望のプロ入り初打席は、小山のスライダーに空転したが、4回の第二打席では左越えに、そして7回の第三打席では右中間と、ともにライナー。いずれも野手の美技に阻まれたものの、会心のミートではじき返していた。田村のカベは厚いが、一歩一歩、挑戦していこう。


1987年


7月15日の南海戦(後楽園)が、うれしいプロ入り初ヒットだった。延長10回、代打でルーキーの西川から中前にとばしている。そして10月19日のロッテ戦(川崎)では、先発マスクをかぶり、4回のチャンスに、リリーフ梅沢の外角速球を狙い打っての中前2点タイムリー、初の勝利打点をもぎとっている。攻守に一層のみがきをかけ、期待に応えて欲しいものだ。


1989年


「いい打撃センスをしているよ」と、大島がそのバッティングを見て、うなずいてたとおり、バットにボールを乗っけて運ぶような打法は、磨けば光る期待感を持たせてくれる。一、二軍のかけもちが多く、なかなか腰を落ち着けるヒマはないが、田村という存在がある限り、守りで出場するチャンスは少ない。その打力をさらにのばし、右の代打陣の一角にくいこみたいところだ。


1990年


若菜という大物が頭上におおいかぶさって、昨年も第二捕手の座を占めることができなかった。最終の対近鉄戦(藤井寺)で初打席に立ち、阿波野から三遊間へヒットを放ったのは嬉しかったが、あっさりと投手のけん制にしとめられている。得点差を考えると、ここは絶対に走塁ミスは許されないケースだった。上を目指すにはさらにせん細なプレーが要求される。プロ10年目を迎えたことし、心機一転の頑張りに期待したい。

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