プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

田中久寿男

2017-04-11 23:00:10 | 日記
1961年

中西を加えた田中(久)豊田のクリーン・アップ・トリオはまったくすばらしい。豊田、中西の競争意識がありありとみえ田中(久)にまでそれがあらわれ野性味満点。それだけに相手投手はこの三人のところで萎縮する。ペースを乱したところをナインが乱打するのだから手のつけようがない。西鉄のよさがいかんなく発揮されている感じだ。とくに田中(久)が豊田、中西におとらず大あばれしていることは注目に値する。「3試合連続本塁打。しかもきょうは場外にあと数十㌢とまったくすごいですね」というと「こげんこと初めてですたい」と興奮もさめやらぬ博多弁で高笑い。「コースは内角と思ったけど・・・」
田中「高目か、ベルトへんかはっきりおぼとらんです。だけどシュートのようでした。あのコースが打てるとはおどろきました」
「というと、オープン戦で阪神の梅本のシュートを頭に受けた恐怖感からからだが逃げるの」
田中「こわいと思いませんが、内角へほうられると無意識にからだをよけるんですね」
「ではこれで一気にその心配はなくなった?」
田中「ウン・・・。そうですね」いかにもよかったという感じだ。
「きのう、きょうと初球だが」
田中「どうもファースト・ストライクにいいボールがくるような気がするんです。それだけに最初のストライクはのがさないよう注意しているんですが」
「変化球も打てるようになったね」
田中「ストレートの方が打ちやすいですがね。いまは変化球もそう気になりません」
「日ごろ注意していることは?」
田中「ゲーム前のバッティングでカーブを打つことに専念しています。バットの素振りはいつも十分やってますから・・・」
「豊田、中西コンビから何かプラスになるものがある?」
田中「せっかくクリーン・アップ・トリオに入れてもらったのだし、二人の先輩に見劣りしないように一生けんめいです。しかしあとが二人の強打者でしょう。相手投手はどうしてもぼくと勝負してくることになるからそれだけ打ちやすいです。そこがつけめなんですよ」
「今シーズンの見通しは」
田中「開幕前休んで不安だったが近鉄の投手さんが打たしてくれたもんですから、調子を早くつかみました」たくましいからだの田中(久)は胸毛をかきながらフロにとび込んだ。
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衆樹資宏

2017-04-11 21:52:15 | 日記
1967年

南海ホークスは三十日、高橋栄一郎投手、ケント・ハドリ一塁手・坂口和司内野手、衆樹資宏外野手、中島博征外野手を自由契約選手にすると発表した。また公式戦中に任意引退選手になった羽村起夫投手、栗崎日出男外野手も、自由契約選手になった。同時に田上一秀用具係も退団する。
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高垣義広

2017-04-11 21:05:34 | 日記
1974年

大きく曲がるスライダーに独特な味を持ち、昨年は「救援の切り札」と期待されていた。だが波に乗れないまま不本意な一年を送り、今年に賭けている。スキー場で恋がめばえた愛妻のためにも、今年はがんばらなければ・・・。

1976年

10勝8敗、昨年、イースタン・リーグで最多勝利賞に輝いた実績は、高垣に強い自信をうけつけ、一段とスケールを大きくした。キレのよい大きなカーブで打者を手こずらせるが「今年こそローテーションの一角にくいこむ」とはりきる表情は明るい。
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ニーマン

2017-04-11 19:52:42 | 日記
1963年

西沢コーチはリーディング・ヒッターだった。二十七年のことだ。中日を引退してからは野球評論家になり、ことしからまたドラゴンズのユニホームを着た。こんどはコーチ。相変わらずスマートにユニホームを着こなし、一塁のコーチス・ボックスに立っている。この西沢コーチが変わったことをやりはじめた。ホームランを打った打者がホームへかえってきたとき調子をぬぐことだ。どのチームにもある習慣を、西沢コーチは帽子をとることで変化をつけた。長身だけにそれが目立つ。二回、ニーマンの3ランが出ると西沢コーチは専売特許のとおり帽子をとり、ていねいに握手をした。八回もまた同じニーマンのおかげで西沢コーチの帽子は忙しかった。西沢コーチはことし四十一歳だが、顔のツヤがいいし髪の毛もふつうだ。三十六歳というふれ込みのニーマンは髪の毛はあっても顔はシワだらけ。外人選手ぎらいで大和魂の持ち主の江藤はこういった。「三十六歳?ウソだ。四十はいっているよ」しかし二日間で三度も西沢コーチに帽子をとらせたニーマンの腕っぷしは四十歳には見えない。昨年中日にいたニューカムが高射砲のような打球を打ったのにくらべ、ニーマンのはほとんどがライナー。阪神は定年近いような顔のこのニーマンひとりに連敗したようなものだ。「陽気で、ものの考え方が合理的で愉快なおっさんだ。映画でいえばウィリアム・ホールデンがやるような役柄にピッタリだね」というのが江藤の印象。たしかにニーマンは陽気な男だ。報道陣のインタビューには「君らは日本語はしゃべれるが英語はダメ。ぼくは英語を話せても日本語はしゃべれない。いったいこれはどうしたものだろう」とオーバーなゼスチャアで両手を上げた。肩もすくめた。ニーマンの口グセは「きょうはいい日だった。しかしあしたはまたいい日とは限らない」という言葉。この日も同じことをいった。二日続けて同じことをいうあたりはセンスがないのかもしれない。そのかわり友情にはあつそうだ。市内昭和区に借りた自宅には一匹の小さなイヌがいる。名前はガス。ことしオリオールズからタイガースに売られたガス・トリアンドスと仲よしだったことからつけた。インタビューが終るとユニホームのまま荷造りをはじめた。幼稚園のこどもならはいってしまいそうな大きなバックの横にはサンフランシスコ・ジャイアンツと書いてあった。昨年までいた自分のチームのことも忘れられないらしい。したくにかなりの時間をかけ、スパイクにはわざわざ木型を入れてかたちを整えた。ユニホームのどろもたんねんに落とした。隣に西沢コーチがユニホームのズボンを長い足に合わせていた。西沢コーチは現役時代ユニホームがよごれるからとスライディングを一度もやらなかったというエピソードがある。ニーマンもなかなかのシャレ者とみた。
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藤井弘

2017-04-11 19:51:38 | 日記
1963年

毎朝十時になると、ふとんを頭までかぶって寝ている藤井の上に一人娘の靖代(やすよ)ちゃんがのっかり「パパ」「パパ」とゆさぶる。最近までの目ざまし役に夫人の宣子(たかこ)さんだったが、どうしても起きなかった。そこで宣子さんが考えたのは靖代ちゃんを使うことだ。「パパを起していらっしゃい」ママの伝令だ。「靖坊のかわいい声で起こされては、いくら眠くても起きないわけにはいかない。でも十時はちょっと早すぎるぞ」それまで寝たいだけ寝ていた藤井は、奥さんのからくりを見破ったときは強く抗議したそうだが、宣子さんは受けつけなかった。「ナイターでも午前一時には床につけるでしょう。そうすれば十時に起きても九時間は熟睡できるはずです。それ以上は寝てもムダです」早起きが今シーズン好調のバッティング(十日現在三割八厘=五位、打点23=三位)に結びついた。十時起床はキャンプから帰ってから始まったが、それからは欠かさず毎朝食事前のトレーニングをつづけている。ぐっしょり汗をかくまで庭でバットの素振りだ。「まだもうひとつピンとこないものがあるが、一応三割を打っていられるのは早起き、つまり素振りのおかげでしょう」器用な選手ではない。からだが堅く練習を積み重ねて初めてエンジンのかかる方だ。このことは自分でも承知している。「足がおそく、守備もまずい。自分の生きる道は打つことしかない。そのためには人と同じ練習ではダメなんだ」公式戦の始まる前、白石監督から「もし、おまえが昨年の不振(二割三分)から抜け出せないなら、一塁は横溝を使う」といい渡された。これまでチームの中心打者として働いてきた藤井に、この言葉はカチンときたようだ。「よし、意地でもクリーンアップを打って、一塁はだれにも渡さないぞ。そのためには打点をかせがなければダメだ。ここ一発を打てる打者。監督の信頼はそこから始まるんだ」ムクムクとファイトがわいてきた。九日の対中日戦ダブルヘッダー第一試合で、六回板東の速球を左翼席へ2ランしてとどめを刺した。試合後、一番先に藤井に握手を求めたのは白石監督だ。「うまく打ったぞ」前半、毎回走者を出して不安定だった池田も脱帽した。「藤井さん、どうもありがとう」藤井は満足そうだった。「チームのために全力をつくせば、それが自分の成績にもつながるんだ。昨年のいまごろは本塁打を八本打っていたが、打率の方はサッパリだった。ことしはまだ五本だが、ツユがあければ長いのをとばす自信はある。とにかく、ことしは自分の記録を更新するチャンスだ。本塁打二十五本、打率二割八、九分が目標だ。三十四年は本塁打が二十本だった。打率の方は二割七分が最高だったが、何年だったかな・・・」そばで宣子さんがいう。「それは結婚した年の三十六年ですよ。私との約束をすぐ忘れるのもムリないわ。きょうの約束も忘れているんでしょう」「いや、覚えているよ。練習が終わってから、祭りにいくことだろう」十一日からの対国鉄四連戦にそなえて十日の広島の練習はたっぷり三時間。藤井を見ながら白石監督はこういった。「下半身の堅いのも、腰の回転が鈍いのも、だんだんよくなっている。これからは本塁打も多くなるだろう。もちろん打率はいまのままでいけるさ」
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