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七年後、九年後…♪

2024-05-14 10:59:00 | Weblog
『木挽町芝居茶屋事件帖』シリーズがお気に入り、7月には続巻が出るのではと期待してます
何がそんなに気に入ってるのかというと、
役者が揃ってる
季節や節句・行事に因んだお料理と事件解決のための偽芝居
まずはこの二つです。
喜八は叔母から芝居茶屋かささぎの切り盛りを任されて“若旦那”と呼ばれていますが、昔馴染みの弥助や料理人の松次郎は“若”と呼びます…それは喜八の今は亡き父が町奴かささぎ組を率いる親分だったからで、松次郎や弥助の父百助はその子分だったから。
かささぎ組親分大八郎は貞享の大弾圧でお縄になり牢死したといわれています。
貞享の大弾圧は史実、1686年のことで『初午いなり』の時点から遡ること8年、喜八9歳で弥助11歳の時だとすれば、喜八は1677年生まれ、弥助は1675年生まれということになります。
『初午いなり』で敵役的な顔を見せる鬼勘こと中山直房は実在の人物で、初登場時点で37歳かな。
何故こんな風に年代や年齢のことを気にしてるかというと、シリーズ第2作『雛あられ』に登場するのが赤穂浅野藩士堀部家の娘きちと後に彼女と婚姻して堀部安兵衛となる中山安兵衛だからです。
赤穂浅野藩士の堀部安兵衛といえば言わずと知れた赤穂浪士なわけで、このとき“おりょ”と引っかかったわけ
シリーズ第3作『菖蒲ちまき』では鬼勘こと中山直房の友人として高家旗本吉良上野介が顔を出す、ここでまた“おりょりょ”と引っかかって…
堀部安兵衛に吉良上野介とくればそりゃぁ忠臣蔵でしょって考えるのは短絡的すぎるかも知れないけど気にはなるから調べてみると…。
1701年4月=『初午いなり』の7年後:江戸城松の廊下で浅野内匠頭が吉良上野介に刃傷
1703年12月=『初午いなり』の9年後:本所松坂町吉良邸に赤穂浪士47人が討ち入り
松の廊下のときには喜八24歳・弥助26歳、討ち入りのときには26歳と28歳。
まぁねぇ、7年後9年後のことまで作者が書き続けるとは考えてないけど、こんな風に登場人物や時代が繋がるのは面白いなって思う…まさに机上のラビリンスで遊んでるって感じでしょうかね

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