マリラ ”Marilla” はアンの育ての親となる女性です。この形では聖書には出てきませんので、あまり聖書的名前という印象が有りません。英語の名前の起源等をネット検索して調べると、元来は「海辺」という意味が有るということです。同時に、マリア, Maria の変形という解説も出てきますが、音からの連想で後にそのようになったかもしれません。
マリアの変形という方から考えるとがる聖書的名前だということになります。この名前は、旧約聖書に出てくる大預言者モーセの姉、ミリアムに遡るものです。人気の有る名前で、新約聖書には6人のマリアが登場します。英語の聖書ではMaryです。中でも注目度が高いのは、イエス・キリストの母、聖母マリアということになると思います。モンゴメリもそちらのマリアに着想を得ている部分が有るのではないかと思います。
マリラは赤毛のアンの育ての親で、母親のような立場です。イエスの母マリアは、イエス・キリストの地上の生涯における育ての親です。マリラは生涯結婚をしませんでしたが、アンを養子に迎えることによって母親の立場になりました。その部分が、イエスの母マリヤが、夫ヨセフによらず、聖霊によってイエスを身ごもった部分を連想するようになっているように思います。
イエスの母マリアは、夫に先立たれて未亡人になりました。ですから、その後の生活はイエスが大工の仕事をして支えたと考えられています。このことは、家族を経済的に支えていた弟のマシューが先に亡くなってしまい、アンが地元に残って教師をしながらマリラの生活を支える部分に重なります。
更に、イエスが十字架にかかって死ぬ時、(その後の昇天を念頭に入れて)イエスは母マリアを愛する弟子の一人であり、十字架の所までついてきたヨハネに託します。そのシーンはヨハネによる福音書19章26、27節に記録されています。
26 When Jesus therefore saw his mother, and the disciple standing by, whom he loved, he saith unto his mother, Woman, behold thy son!
27 Then saith he to the disciple, Behold thy mother! And from that hour that disciple took her unto his own home. (King James Version)
26 イエスに愛された弟子の私(ヨハネ)もいっしょでした。イエスは、私と、私のそばに立ち尽くしているご自分の母親とを見つめ、「お母さん。ほら、そこにあなたの息子がいますよ」と声をかけられました。 27 それから、弟子の私に、「さあ、あなたの母ですよ」とおっしゃいました。その時以来、私は先生のお母さんを家に引き取ったのです。 (リビング・バイブル)
アンがマリラの世話をするようになる部分には、イエスと弟子ヨハネの物語が二重写しになっているような気もします。
さて、クリスチャンとしてイエスの母マリアを思い出す時に、一番心に留めるべき要素は何でしょうか。私は、ビートルズの歌にもなりました、”Let It Be” という神に物事を任せる信仰を持っていたことだと思います。
マリアは天使ガブリエルの受胎告知を聞いた時、いろいろな疑問を持ちましたが、神にはできないことはないというガブリエルの言葉に応答して、「あなたのおことばどおりこの身になりますように。」と言いました。それは簡単なことではありませんでした。マリアは当時の結婚が許される年齢になっていましたから、14歳ぐらいではなかったかと考えられています。また、ヨセフという婚約者がいましたから、結婚して同居する前に妊娠していることが判明するのは、結婚破棄されて行き場を失い、社会から爪はじきにされて、場合によっては母子共に命を失うことも有ったかもしれません。想像してみると、恐ろしくてとてもそのような役割を引き受ける気にはなれないのではないかと思います。しかし、マリアは神への信頼と信仰を持ってそう答えたのです。(ルカによる福音書1章26節~38節参照)
翻って、マリラ・カスパートにそのような神に全てを委ねて信頼する信仰を持っていたのかというと、あまり明確ではないような気がします。しかし、確実にキリスト教の信仰を持っていた人物として描写されていると思います。彼女がアンを引き取ることを決めたのは、感性が豊かで感じやすいアンをもう一人の里親候補者のブリュレット夫人には委ねたくなかったという部分が大きかったと思われます。(第6話参照)しかし、そういう決心をした背景に、”Let It Be” という神に委ねる信仰が皆無であったとは、私には思えないのです。
マリアの変形という方から考えるとがる聖書的名前だということになります。この名前は、旧約聖書に出てくる大預言者モーセの姉、ミリアムに遡るものです。人気の有る名前で、新約聖書には6人のマリアが登場します。英語の聖書ではMaryです。中でも注目度が高いのは、イエス・キリストの母、聖母マリアということになると思います。モンゴメリもそちらのマリアに着想を得ている部分が有るのではないかと思います。
マリラは赤毛のアンの育ての親で、母親のような立場です。イエスの母マリアは、イエス・キリストの地上の生涯における育ての親です。マリラは生涯結婚をしませんでしたが、アンを養子に迎えることによって母親の立場になりました。その部分が、イエスの母マリヤが、夫ヨセフによらず、聖霊によってイエスを身ごもった部分を連想するようになっているように思います。
イエスの母マリアは、夫に先立たれて未亡人になりました。ですから、その後の生活はイエスが大工の仕事をして支えたと考えられています。このことは、家族を経済的に支えていた弟のマシューが先に亡くなってしまい、アンが地元に残って教師をしながらマリラの生活を支える部分に重なります。
更に、イエスが十字架にかかって死ぬ時、(その後の昇天を念頭に入れて)イエスは母マリアを愛する弟子の一人であり、十字架の所までついてきたヨハネに託します。そのシーンはヨハネによる福音書19章26、27節に記録されています。
26 When Jesus therefore saw his mother, and the disciple standing by, whom he loved, he saith unto his mother, Woman, behold thy son!
27 Then saith he to the disciple, Behold thy mother! And from that hour that disciple took her unto his own home. (King James Version)
26 イエスに愛された弟子の私(ヨハネ)もいっしょでした。イエスは、私と、私のそばに立ち尽くしているご自分の母親とを見つめ、「お母さん。ほら、そこにあなたの息子がいますよ」と声をかけられました。 27 それから、弟子の私に、「さあ、あなたの母ですよ」とおっしゃいました。その時以来、私は先生のお母さんを家に引き取ったのです。 (リビング・バイブル)
アンがマリラの世話をするようになる部分には、イエスと弟子ヨハネの物語が二重写しになっているような気もします。
さて、クリスチャンとしてイエスの母マリアを思い出す時に、一番心に留めるべき要素は何でしょうか。私は、ビートルズの歌にもなりました、”Let It Be” という神に物事を任せる信仰を持っていたことだと思います。
マリアは天使ガブリエルの受胎告知を聞いた時、いろいろな疑問を持ちましたが、神にはできないことはないというガブリエルの言葉に応答して、「あなたのおことばどおりこの身になりますように。」と言いました。それは簡単なことではありませんでした。マリアは当時の結婚が許される年齢になっていましたから、14歳ぐらいではなかったかと考えられています。また、ヨセフという婚約者がいましたから、結婚して同居する前に妊娠していることが判明するのは、結婚破棄されて行き場を失い、社会から爪はじきにされて、場合によっては母子共に命を失うことも有ったかもしれません。想像してみると、恐ろしくてとてもそのような役割を引き受ける気にはなれないのではないかと思います。しかし、マリアは神への信頼と信仰を持ってそう答えたのです。(ルカによる福音書1章26節~38節参照)
翻って、マリラ・カスパートにそのような神に全てを委ねて信頼する信仰を持っていたのかというと、あまり明確ではないような気がします。しかし、確実にキリスト教の信仰を持っていた人物として描写されていると思います。彼女がアンを引き取ることを決めたのは、感性が豊かで感じやすいアンをもう一人の里親候補者のブリュレット夫人には委ねたくなかったという部分が大きかったと思われます。(第6話参照)しかし、そういう決心をした背景に、”Let It Be” という神に委ねる信仰が皆無であったとは、私には思えないのです。