聖書箇所:ルカ15章11節~24節
説教題:覚えておくべき三つの「いかに」
(導入)
この箇所は「放蕩息子」という題で記憶されていることが多いのですが、父親の物語である
部分もあり、神と人間の関係についての例話になっています。その関係において、覚えておく
べき三つのポイントを確認します。
1)私たちは神から離れた生活がいかに罪深く惨めであるかを覚えておかなければならない
この例話を聞いた人は、なんと酷い息子がいたものだと思ったことでしょう。生きている
うちにい財産を分ける父親はいましたが、息子のほうから願い出るものではありませんでし
た。そんなことは、「お父さん死んでください。」というのに等しいことでした。同様に人
間も神と断絶し、心の内で神の存在を否定する存在になってしまっていたりします。
この息子の態度は更に酷いものでした。生前に財産分与をしても、父親の存命中は、その
管理は父親がするものでした。しかし、この息子はさっさとその財産をまとめて出て行って
しまいました。それは、神からいただいた命と生活を神抜きで生きようとする人間の姿に重
なります。
しかし、彼の生活は惨めなものとなりました。お金が続く間でさえ、彼には満足が無かっ
たと思われます。一文無になったばかりではなく、飢饉にも見舞われました。それは神から
の罰だと考えられていました。働いてもろくな賃金も貰えず、汚い動物に囲まれた生活にな
りました。
この息子の生活が惨めなものであるように、神から離れた私たちの生き方も実は惨めなも
のなのです。
2)私たちは神がいかに慈悲深いかを覚えておかなければならない
天の父は悪い者の上にも良い者の上に同様に太陽の光を照らす慈悲深い方であるとマタイ
5章にも示されています。この例話では、生きているうちに財産を分けて欲しいという親を
侮辱するような息子に対して、父親はそれをかなえてやっています。
息子が帰ってきた時には、憐れみの心を示しています。年配の人が走るのは面目を失う行
為だと思われていましたが、この父親は走っています。汚くて汗と豚の臭いがする息子を抱
きしめて何度も口づけしています。
旧約聖書では、ヤコブがエサウと再会する時に、エサウが走っています。そして、ヤコブ
エサウに対して、神の顔を見るような思いで彼の顔を見ていると告白しています。この例話
を聞いたユダヤ人たちには、この場面が連想されたであろうと思われます。
3)私たちは神にとって私たちの悔い改めがいかに喜ばしいかを覚えておかなければならない
息子が悔い改めて帰ってきて、その気持ちを告白した時、父親がたいそう喜んだことはそ
の待遇でわかります。
まず一番良い着物を着せます。それは、ヤコブがヨセフに着せたような長い外套だという
ことです。指輪と履物は、奴隷ではなく家族であることを表します。そして、全焼の犠牲を
連想させる子牛が屠られて、食卓の用意がされています。
神様は私たちの悔い改めをそのように喜んでいてくださるのです。
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説教題:覚えておくべき三つの「いかに」
(導入)
この箇所は「放蕩息子」という題で記憶されていることが多いのですが、父親の物語である
部分もあり、神と人間の関係についての例話になっています。その関係において、覚えておく
べき三つのポイントを確認します。
1)私たちは神から離れた生活がいかに罪深く惨めであるかを覚えておかなければならない
この例話を聞いた人は、なんと酷い息子がいたものだと思ったことでしょう。生きている
うちにい財産を分ける父親はいましたが、息子のほうから願い出るものではありませんでし
た。そんなことは、「お父さん死んでください。」というのに等しいことでした。同様に人
間も神と断絶し、心の内で神の存在を否定する存在になってしまっていたりします。
この息子の態度は更に酷いものでした。生前に財産分与をしても、父親の存命中は、その
管理は父親がするものでした。しかし、この息子はさっさとその財産をまとめて出て行って
しまいました。それは、神からいただいた命と生活を神抜きで生きようとする人間の姿に重
なります。
しかし、彼の生活は惨めなものとなりました。お金が続く間でさえ、彼には満足が無かっ
たと思われます。一文無になったばかりではなく、飢饉にも見舞われました。それは神から
の罰だと考えられていました。働いてもろくな賃金も貰えず、汚い動物に囲まれた生活にな
りました。
この息子の生活が惨めなものであるように、神から離れた私たちの生き方も実は惨めなも
のなのです。
2)私たちは神がいかに慈悲深いかを覚えておかなければならない
天の父は悪い者の上にも良い者の上に同様に太陽の光を照らす慈悲深い方であるとマタイ
5章にも示されています。この例話では、生きているうちに財産を分けて欲しいという親を
侮辱するような息子に対して、父親はそれをかなえてやっています。
息子が帰ってきた時には、憐れみの心を示しています。年配の人が走るのは面目を失う行
為だと思われていましたが、この父親は走っています。汚くて汗と豚の臭いがする息子を抱
きしめて何度も口づけしています。
旧約聖書では、ヤコブがエサウと再会する時に、エサウが走っています。そして、ヤコブ
エサウに対して、神の顔を見るような思いで彼の顔を見ていると告白しています。この例話
を聞いたユダヤ人たちには、この場面が連想されたであろうと思われます。
3)私たちは神にとって私たちの悔い改めがいかに喜ばしいかを覚えておかなければならない
息子が悔い改めて帰ってきて、その気持ちを告白した時、父親がたいそう喜んだことはそ
の待遇でわかります。
まず一番良い着物を着せます。それは、ヤコブがヨセフに着せたような長い外套だという
ことです。指輪と履物は、奴隷ではなく家族であることを表します。そして、全焼の犠牲を
連想させる子牛が屠られて、食卓の用意がされています。
神様は私たちの悔い改めをそのように喜んでいてくださるのです。
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