本日の礼拝ビデオ
聖書箇所:ヤコブ1:1 - 8
説教題:成熟と完全を目指すために
要約
ヤコブは、ステパノの殉教の時に国外に散らされたユダヤ人クリスチャンに向けてこの手紙を書いていると考えられます。しかし、その内容は全てのクリスチャンに当てはまることです。この箇所では、成熟と完全を目指すために、三つの指示がなされていると考えられます。
1)試練をこの上もない喜びと考えなさい(2節-3節)
その理由は、信仰が純粋なものであることが証明されて、困難な状況にあっても耐えていく能力や許容量が増していくからです。純粋な信仰は、私たちの主にある自己認識と尊厳を確かなものにし、悪口雑言を言われても動じないようになるのです。キリストが私たちをご存知だということ、迫害はキリストのゆえであることを思う時、それ以外のあらゆる困難をも含めて、それらをこの上もない喜びに変えていくことができるのです。
2)忍耐を完全に働かせなさい(4節)
信仰による忍耐を完全に働かせるというのは、その結果を見るまで耐え忍ぶということでもあります。純粋な信仰と忍耐は直接的につながっています。忍耐を働かせるということは、信仰を働かせることでもあるのです。その結果、私たちは成熟して完全な者になるのですが、その意味するところは、神の目にしみも傷も無い者としてみていただけるということです。キリストの似姿に成長していくということでもあります。(ヨハネ16:33、ローマ5:1 – 5 参照)
3)神からの知恵を求めなさい(5節-8節)
上記の二つの指示を守るのは必ずしも容易なものではありません。だから、それに従うための知識や能力が必要になります。それがここで言う知恵です。それを神に祈り求めるのです。条件が有ります。疑うことなく祈るのです。疑うと訳された語は、ある物事を真実ではないと考えるという意味が有ります。私たちが、神を信じているのに、祈りに応答していただけるだろうかと不安になるのとは違った意味です。しかし、そのような不安を持っていても、神への信頼と信仰が純粋であれば良いのです。アブラハムは息子が与えられることに懐疑的でしたが、ローマ4:20では、信仰の人として言及されています。
聖書箇所:ヤコブ1:1 - 8
説教題:成熟と完全を目指すために
要約
ヤコブは、ステパノの殉教の時に国外に散らされたユダヤ人クリスチャンに向けてこの手紙を書いていると考えられます。しかし、その内容は全てのクリスチャンに当てはまることです。この箇所では、成熟と完全を目指すために、三つの指示がなされていると考えられます。
1)試練をこの上もない喜びと考えなさい(2節-3節)
その理由は、信仰が純粋なものであることが証明されて、困難な状況にあっても耐えていく能力や許容量が増していくからです。純粋な信仰は、私たちの主にある自己認識と尊厳を確かなものにし、悪口雑言を言われても動じないようになるのです。キリストが私たちをご存知だということ、迫害はキリストのゆえであることを思う時、それ以外のあらゆる困難をも含めて、それらをこの上もない喜びに変えていくことができるのです。
2)忍耐を完全に働かせなさい(4節)
信仰による忍耐を完全に働かせるというのは、その結果を見るまで耐え忍ぶということでもあります。純粋な信仰と忍耐は直接的につながっています。忍耐を働かせるということは、信仰を働かせることでもあるのです。その結果、私たちは成熟して完全な者になるのですが、その意味するところは、神の目にしみも傷も無い者としてみていただけるということです。キリストの似姿に成長していくということでもあります。(ヨハネ16:33、ローマ5:1 – 5 参照)
3)神からの知恵を求めなさい(5節-8節)
上記の二つの指示を守るのは必ずしも容易なものではありません。だから、それに従うための知識や能力が必要になります。それがここで言う知恵です。それを神に祈り求めるのです。条件が有ります。疑うことなく祈るのです。疑うと訳された語は、ある物事を真実ではないと考えるという意味が有ります。私たちが、神を信じているのに、祈りに応答していただけるだろうかと不安になるのとは違った意味です。しかし、そのような不安を持っていても、神への信頼と信仰が純粋であれば良いのです。アブラハムは息子が与えられることに懐疑的でしたが、ローマ4:20では、信仰の人として言及されています。