実際には、月曜日に家庭礼拝の形で行いました。
聖書箇所:ヨハネ12章27節-36節
27節 過ぎ越しの祭りの7日目で、間もなく十字架にかかる時なので、「この時」はそのことを指す。このために世に来られたことを、ここでも明言されている。
28節 天の父なる神の声。すでに栄光を現したというのは、バプテスマの時の天からの声や、山の上での変貌の時のことと考えられる。また、イエスが求めた栄光の現れは、復活や昇天を含むものであったかもしれない。
29節 神の声は、それを聞くように定められた人にしかはっきりと聞こえないと考えられる。
30節 ここで、イエスは弟子たちに話している。(22、23節参照) 天の声がはっきり聞こえたのは、弟子たちのための印であったと考えられる。
31節 「この世を支配する者」は、サタンと悪霊のことになる。十字架を通して完全にその勢力は裁かれ、断罪される。また、その支配権が及ばない領域が広がる。
32節 イエスの昇天の後、召された人はイエスのもとに引き寄せられる。26節の言葉も参照。
33節 実際には具体的な死に方に言及していない。しかし、十字架の死と復活、救いの完成を視野に入れた発言であることは明白である。
34節 イエスは弟子たちに語ったのであったが、周囲にいた群衆が口をはさむ。地上から上げられるという表現が、いつまでも地上で生きているという彼らの知っているメシア像と合致しなかったことによる。すると、地上から上げられるイエスとは別にメシアがいるということなのか、イエスはメシアでは有り得ないのではないかという疑問。
35節 ヨハネが1章で示したように、光はイエスであり、闇はこの世、またサタンの支配。イエスの恵みの届くうちに霊的な歩みを確かにしなさい。
36節 イエスの福音を信じ、神の民となるようにという招き。光なるイエスを信じることは神のわざを為すことである。(6章29節参照)
聖書箇所:ヨハネ12章27節-36節
27節 過ぎ越しの祭りの7日目で、間もなく十字架にかかる時なので、「この時」はそのことを指す。このために世に来られたことを、ここでも明言されている。
28節 天の父なる神の声。すでに栄光を現したというのは、バプテスマの時の天からの声や、山の上での変貌の時のことと考えられる。また、イエスが求めた栄光の現れは、復活や昇天を含むものであったかもしれない。
29節 神の声は、それを聞くように定められた人にしかはっきりと聞こえないと考えられる。
30節 ここで、イエスは弟子たちに話している。(22、23節参照) 天の声がはっきり聞こえたのは、弟子たちのための印であったと考えられる。
31節 「この世を支配する者」は、サタンと悪霊のことになる。十字架を通して完全にその勢力は裁かれ、断罪される。また、その支配権が及ばない領域が広がる。
32節 イエスの昇天の後、召された人はイエスのもとに引き寄せられる。26節の言葉も参照。
33節 実際には具体的な死に方に言及していない。しかし、十字架の死と復活、救いの完成を視野に入れた発言であることは明白である。
34節 イエスは弟子たちに語ったのであったが、周囲にいた群衆が口をはさむ。地上から上げられるという表現が、いつまでも地上で生きているという彼らの知っているメシア像と合致しなかったことによる。すると、地上から上げられるイエスとは別にメシアがいるということなのか、イエスはメシアでは有り得ないのではないかという疑問。
35節 ヨハネが1章で示したように、光はイエスであり、闇はこの世、またサタンの支配。イエスの恵みの届くうちに霊的な歩みを確かにしなさい。
36節 イエスの福音を信じ、神の民となるようにという招き。光なるイエスを信じることは神のわざを為すことである。(6章29節参照)