ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

橋(1)

2009年07月27日 | チェコ/ハンガリー

 ドイツ東部の街、ドレスデンに向かうためオペラ座前からトラムでウィーン南駅へ。
 南駅10時04分発のEC‐172・ヴィンドボナ号ハンブルク・アルトナ行きに乗った。

 ドレスデン中央駅着は16時46分、6時間半ほどの列車の旅(写真上)である。

 A1時間ほどで国境の駅ホーヘナウに着く。
 以前はこの駅で、自動小銃を下げた係官から出国審査を受け、次の停車駅チェコのブレスラフ、スロヴァキアの首都ブラチスラヴァへはこの駅で別れる。で、入国審査を受けたが、シェンゲン協定加盟の今は勿論なにもない。

 かつて、モラヴィアの首都でチェコ第二の都市ブルノから3時間余り、プラハ・ホレショビッツ駅に着く。

 百塔の街、赤い屋根が美しいボヘミアの古都プラハ(写真中)。
 市内へはこの駅から地下鉄で、チェコの作曲家スメタナが連作交響詩《わが祖国》で書いたヴァルタヴァ、ドイツ名モルダウ川を潜る。

 Photoドイツとの国境駅デツィーンを過ぎた辺りから、穏やかなエルベ川が線路に沿ってゆったりと流れる。

 川から直ぐの急峻な山や緑に覆われた堰堤は美しく、川に沿う道にたまに見かける車を列車は追い抜く。

 ところで、かなりのあいだ列車は走っているのだが、橋の姿をとんと見かけない。 
 大きな街には当然架かっているが、街から少し離れるとついぞ橋を見かけることはなかったように思う。

 古城の街ハイデルベルクからハイルブロンのネッカー川、マインツからコブレンツまでのライン川然りである。

 Photo_2独仏国境に近い、黒い森と呼ばれる地域にあるドナウエッシンゲン、その地を源とする美しき青きドナウ。
 英語でダニューブ川とも呼ばれるドナウもそうだった。

 ベネディクト派修道院のバルコニーからの眺めが素晴らしいメルクからクレムスまでや(写真下)、ドナウの曲がり角・ドナウベントの町センテンドレからドナウの真珠ブタペストまでも、ついぞ橋を見かけることはなかった。

 せっかちなペトロ に明解が浮ぶ訳がないが、「こっちの村からあっちの町に用事がある時、どないすんねんやろ」と素朴?な疑問も湧く。

 日常生活を犠牲?にしてまでも自然と共生する美しい村が川沿いに延々と続き、コンクリート剥き出しで堤防を固め、何処にでも橋をかけまくる国から来た旅人を驚かすのである。(続く) 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする