1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

1月14日・シュヴァイツァーの瀬

2018-01-14 | 歴史と人生
1月14日は、作家の三島由紀夫が生まれた日(1925年)だが、「密林の聖者」シュヴァイツァー博士の誕生日でもある。

アルベルト・シュヴァイツァーは、1875年、ドイツとフランスのあいだでずっと領有権問題で争われてきたアルザス地方で生まれた。彼が生まれた当時はドイツ領のカイザースベルクで、現在はフランス領のケゼルスベールとなった。父親は牧師で、その地方では裕福な家庭だった。アルベルトは父親にピアノやオルガンなど音楽を習った。
子どものとき、近所の子と取っ組み合いのけんかをして、相手をねじ伏せた。そのとき、負けた相手が負け惜しみに言った。
「お前みたいに毎日肉入りのスープを飲んでいたら、お前なんかに負けやしない」
アルベルトはこのことばにショックを受けた。これが恵まれない人のために身を捧げようとする彼の人生のターニングポイントになった、と、子ども時代のケンカは、シュヴァイツァーの伝記のなかのもっとも印象的な場面のひとつである。
大学で神学や哲学を学んだ後、30歳以降は人のために尽くすと決心し、大学の医学部に入り直した。38歳のとき、医学博士の免許をとると、医療環境の貧しいアフリカのガボンへ出発した。ガボンは大西洋岸にある赤道直下の国で、そこに診療所を作り、医療活動をおこなった。診療所で博士が傷口に赤チンを塗ると、現地の黒人は、
「早く治るようにもっとたくさん塗ってくれ」
と訴えた。運営資金に困ると、博士はヨーロッパへ行き、オルガンのコンサートでバッハの名演奏家ぶりを披露して資金を作り、それを診療所に注ぎ込んだ。
カント哲学の研究者でもあったシュヴァイツァーは、ヒロシマ、ナガサキの原爆投下に怒り、反核運動を展開して、77歳のとき、ノーベル平和賞を受賞した後、1965年9月、ガボンのランバレネで没した。

シュヴァイツァー博士は、かつては世界の偉人を選ぶとき、エジソンやキュリー夫人らと並んでかならず入ってくる「偉人伝の常連」だった。その自伝『水と原生林の間で』は愛読書である。どこを読んでもとてもおもしろい。

シュヴァイツァー博士が、近年もてはやされなくなったのは、博士が、
「白人と黒人は兄弟である。ただし、白人が兄、黒人が弟である」
という考え方をもっていて、これが差別主義だと批判されたためらしい。
「それが、いったい、どうした」と、言いたい。
無論、ヨーロッパ人キリスト教徒としての限界、時代的な限界はあったろうけれど、当時のほとんどのヨーロッパ人たちは、アフリカの黒人など人間でないと考えていて、実際彼らはアフリカへ出かけていって現地人を襲い、生け捕りにして奴隷としてたたき売っていたのである。ゾウもライオンもアフリカ人も同じだった。
博士に比べれば、ほとんどの現代日本人でさえひどい人種差別主義者にちがいない。博士が現代に生きていたら、いまの世の博愛主義者たちより、もっと先鋭的な平等主義を唱えて、世界を驚かせていたろう。
身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ。
(2018年1月14日)



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