1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

11月13日・スティーヴンソンの情熱

2017-11-13 | 文学
11月13日は、女優の大原麗子が生まれた日(1946年)だが、小説家、スティーヴンソンの誕生日でもある。『宝島』『ジキル博士とハイド氏』の作者である。

ロバート・ルイス・バルフォア・スティーヴンソンは、1850年、英国スコットランドの首都エジンバラで生まれた。父親は灯台を建築する有名な土木技師だった。
幼いころから胸が弱かったロバートは、エンバラ大学で工学を学び、法科に移って弁護士の資格をとったが、結局文筆家になった。
20代で『驢馬の旅』などの紀行文を発表した彼は、27歳のとき、仏国パリで既婚の米国人女性、ファニー・オズボーンと知り合った。たちまち二人は恋に落ちた。が、やがて夫人は米国カリフォルニアにいる夫のもとへ帰っていった。
米国の太平洋側にいる夫人には夫と二人の子どもがあり、大西洋のこちら側の英国にいるスティーヴンソンには健康とお金がなく、二人の恋はおよそ成就しそうもなかったが、スティーヴンソンの情熱はかえって燃え上がった。
彼はなけなしの所持金をかき集め、弱いからだを引きずって大西洋を渡り、北米大陸を汽車で横断し、生活をぎりぎりまで切り詰め、ほとんど瀕死の状態で米西海岸にたどりついた。そして29歳の彼は、夫と別れたファニーと結婚した。このあたり、スティーヴンソンの情熱もすごいけれど、こんなぼろぼろの貧乏男といっしょになった奥さんの覚悟も負けず劣らずすごい。
妻と妻の二人の連れ子をともなって英国へ帰った彼は『宝島』『ジキル博士とハイド氏』を書き、一躍、流国作家となった。が、健康はひどい状態で、医師に転地療養をすすめられた。37歳のとき、父親が没すると、スティーヴンソンは、母親と妻子をヨットに乗せて英国を離れ、太平洋のサモア諸島に住み着いた。
サモアでは、創作のかたわら、本国の植民地政策により現地の人々が苦しんでいるのを目の当たりにし、本国の新聞へ植民地の惨状を訴える投書をし、論陣を張った。
現地の人々からは「ツシタラ(語り部)」と呼ばれ、慕われたスティーヴンソンは、1894年12月、脳卒中により、没した。44歳だった。
彼の遺体は、現地の人々によって山の上まで運ばれ、山頂に葬られた。

高校時代、洋書『Treasure Island(宝島)』を買って以来のスティーヴンソン・ファンである。拙著『名作英語の名文句』の1、2の両方でスティーヴンソンを取り上げた。

スティーヴンソンの文章は、不要な修飾語をできるかぎり取り払って、なるたけ簡潔に、歯切れよく書くところが美点で、夏目漱石も言っている。
「西洋ではスチヴンソン(Stevenson)の文が一番好きだ。力があって、簡潔で、クドクドしい処がない、女々しい処がない。スチヴンソンの文を読むとハキハキしてよい心持だ。」(「予の愛読書」『漱石全集 第二十五巻』岩波書店)

からだが弱かったのに、ものすごい情熱家で、正義感が強くて、スティーヴンソンは、
「健康なる魂は、ときとして不健康な肉体にも宿る」
という見本である。
(2017年11月13日)



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