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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

11月10日・マルティン・ルターの暴露

2017-11-10 | 思想
11月10日は、コピーライターの糸井重里が生まれた日(1948年)だが、宗教改革を起こしたマルティン・ルターの誕生日でもある。

マルティン・ルターは、1483年、現在のドイツのアイスレーベンで生まれた。
マルティンは19歳のとき、エルフルト大学に入った。彼は法律を学んだが、現実生活が不安定なものに思われ、しだいに神学と哲学にひかれていった。
1505年の夏、当時21歳のルターが大学へもどろうとしていると、その途中、彼のすぐそばに、雷が落ちた。恐怖に襲われ、彼は叫んだ。
「お助けください、聖アンナ。わたしは修道士になります」
聖アンナは、聖母マリアの母親である。これがルターの回心で、以後、彼は修道士になり、カトリックの修行を積み、29歳のころには大学の神学部教授になった。
しかし、ルターの悩みは深かった。教会の教えにのっとって神を愛すると言いながら、その実、わが身の平安と幸福ばかりを望んでいる自分の二面性に苦しんだ。そんな折も折、ドイツの大司教が、贖宥状を大々的に販売しはじめた。
「それはちがうだろう」
とルターは思った。そして彼は考えぬいた末、神による罪の許しや救い(福音)は、カトリック教会の言うように、きびしい戒律による生活を送ったり、善行を積んだり、ましてや贖宥状を買ったりして得られるものではなく、心から神を信仰し、ひたすらイエス・キリストに自身をゆだねることで、無条件に与えられるものだ、という結論にいたった。この考えが「福音主義」である。
1517年10月、33歳だった彼は、ウィッテンベルクの教会の扉に、ラテン語で書かれた「95カ条の意見書」を貼りだした。これは、教会側の贖宥状販売に対する抗議文で、ここから宗教改革、プロテスタントがはじまった。
ルターは、「聖書中心主義」「万人司祭主義」を唱え、聖書をドイツ語に訳し、一般の人々に聖書を広めた後、1546年2月、胸の痛みを訴えた後、脳卒中を起こし、故郷アイスレーベンで没した。62歳だった。

「それはそうだろう」と思われることでも、まわりが黙っている状況では、なかなか言いだしにくいものだ。たとえば、2013年9月にアルゼンチンで、日本の首相が、
「福島(の原子力発電所)はアンダーコントロールである(管理できている)」
と笑顔で言ってのけたとき、日本人でそれをほんとうだと思った人は、おそらくひとりもいなかったろう。そのころの連日のマスコミ報道によって、福島では放射能汚染水が地中や海に漏れだし、止めようとして止められないでいるのを、みんな知っていた。
おそらく、あのとき、首相は味をしめたのにちがいない。世界に向けて大ウソをついて五輪を引っ張ってこれるなら、もう何をやってもいいのだとたかをくくったのだろう。

思っていることと、言うことばとを、ぴったりくっつけて、離れないようにしておくことは、人間としてとても大事である。ただ、それには相当の勇気がいる。
付和雷同しやすい、ことなかれ主義の日本人の国民性を考えると、ルターの偉大さが再認識される。
(2017年11月10日)


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