1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

4月22日・三宅一生の鋭角

2016-04-22 | ビジネス
4月22日。地球環境について考えようという「アースデイ」のこの日は哲学者イマヌエル・カントが生まれた日(1724年)だが、ファッションデザイナー、三宅一生(みやけいっせい)の誕生日でもある。

三宅一生は、1938年に広島で生まれた。7歳のとき、原子爆弾により被爆。同時に被爆した母親は、3年後に放射能障害により亡くなった。
小さいころから絵画が好きだった彼は、広島の平和橋を見て「あ、これがデザインなんだ」と感じ、自分はデザインに進もうと考えだしたという。その橋は、彫刻家イサム・ノグチのデザインで、後に一生はノグチと親交を結んでいる。
進路を決めぬまま、とにかく総合的なデザインの勉強をと東京の多摩美術大学の図案科に入学した一生は、独学で衣服を勉強し、コンテストに応募するようになった。
大学を卒業し、27歳のとき、何をするというあてもないまま渡仏。パリの街を歩いていて、ショーウィンドウに映る自分の姿を見て「青白くて黄色くて貧相で……。そうしたら自分なんですよね。それを観たときに、『自分は何なんだ』と思ったのです」(聞き手・重延浩『三宅一生 未来のデザインを語る』岩波書店)
彼はパリの専門学校へ入ってカッティングの勉強をし、28歳でギ・ラロッシュの下で働くようになった。ある日、街でファッションモデルとお茶を飲んでいるとき、たまたまそこをユーベル・ド・ジバンシィーが通りかかり、彼女の紹介でジバンシィーのもとで働くことに。ジバンシィーのデザインをスケッチし、自分のデザインをジバンシィーに見せた。彼はジバンシィーから、ぎりぎりまでシンプルにすることを学んだという。
32歳で帰国し、東京に三宅デザイン事務所を設立。以後、人間と衣服の関係を考え抜き、「一枚の布」の発想をファッションに生かした「オリガミ・プリーツ」「プリーツ・プリーズ」「A-POC」「123 5.」などを発表。四国のしじら織り、東北の刺し子など日本各地に伝わる技術を取り入れ、着る当人が生地にはさみを入れて、好きなデザインの衣服を切りだす「ジャスト・ビフォー」など、つねに新しい技術開発、素材開発に挑み、新しい衣服の形を追求しつづけていまにいたっている。

三宅一生は、1945年のヒロシマ、1968年のパリ五月革命、1989年の北京の天安門事件、2001年ニューヨークの911同時多発テロ。すべての事件で、彼はその街に居合わせている現代史の生き証人である。

38歳のころ、三宅はウイスキーのテレビCMでこう言っていた。
「まだまだ丸くはなりたくないですよ」
以来、ずっととんがりっぱなしで突っ走ってきた。三宅一生は言う。
「ぼくは不器用なんです。流行を追うことはできない。パリという中心地に向けて発進していこうとするときには、そこから出てくる情報を受け取ってつくるのでは、もう遅いのです。ですから、最初から、そういった流行をおう方法は、自分たちにはありえなかった。」(同前)
(2016年4月22日)



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