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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

4月4日・中里介山への共感

2014-04-04 | 文学
4月4日は、映画監督、アンドレイ・タルコフスキーが生まれた日(1932年)だが、小説『大菩薩峠』を書いた作家、中里介山の誕生日でもある。

中里介山は、1885年、神奈川の羽村(現在の東京都羽村市)、多摩川畔の水車小屋で生まれた。本名は中里弥之助。家は精米業を営む中農だったが、稼業はしだいに傾き、弥之助が7歳のころ、土地を手放し、一家は横須賀へ引っ越した。
弥之助は11歳から小学校に通いながら、教員助手を勤め、電話局に勤めたり、代用教員をしたりしながら勉強して教員免許をとり、20歳のとき、小学校の教員になった。
教員の勉学のかたわら、雑誌や新聞に投稿を続け、小説が佳作に選ばれた。
21歳のとき、新聞社に入社し、新聞や雑誌に小説を発表。
28歳で、中里介山として新聞小説『大菩薩峠』の連載を開始。第一次世界大戦がはじまる前の年のことだった。
はじめは自費出版で出した『大菩薩峠』が、34歳のころに出版社からあらためて刊行され、介山の文名はしだいに高まった。
37歳のとき、小説執筆に専念するため、高尾山に草庵を結んで住みはじめた。
介山は農地を購入し、畑をたがやしながら勉学にはげむ、自給自足のユートピアを建設しようとして私塾を開設した。吉田松陰の松下村塾を念頭においた私塾の経営はうまくいかなかったが、日本が軍国主義化を強め、戦争へひた走っていくなか、中里介山は時代に迎合せず、農本主義的な傾向を強めていった。
太平洋戦争中の1943年4月、腸チフスにより入院先で没した。59歳だった。

『大菩薩峠』は世界最長の小説を目指して書かれた長編小説で、30年にわって連載された後、ついに未完で終わった。菊池寛、谷崎潤一郎、泉鏡花、芥川龍之介といった文豪がこぞって敬意を表した大衆文学の金字塔である。
自分は『大菩薩峠』をすこしだけ読んだ。幕末の時代に、虚無的な剣の達人、机竜之介が不条理な行動に走り、流転する話だった。竜之介は意味もなくつぎつぎに人を斬り殺し、女をてごめにする男である。異常な時代に生きた異常な男だった。
作者、介山は『大菩薩峠』で、仏教思想をベースに、人間の業を描こうとしたらしい。
日本の『マハーバーラタ』たらんとしたのかもしれない。

自分も、生きているうちに機会があったら、この『大菩薩峠』や、日本一おもしろい小説とも言われる白井喬二の『富士に立つ影』など長編時代小説を読みたい、というのがささやかな野望である。しかし、この長い『大菩薩峠』を五度、六度と読み返したことがあるというマニアもいるそうで、世の中は広いものだとあらためて思う。

「女遊びは構わない、それは魂を傷つけぬから。恋はいけない、魂を傷つけるから」という理由で、中里介山は若いころから生涯独身を心に決めていた。この辺りは、現代のフェミニズムの視点からすると異論はあるが、時代性を考えると、そのきびしい精神性は納得できる。『大菩薩峠』がベストセラーになり、ばくだいな印税が入ったが、彼は収入をユートピア建設に注ぎ込み、本人は粗食を旨として、六畳間一間で暮らし続けたらしい。コミュニティー建設の意欲といい、清貧をむねとする生活信条など、自分としてはとても共感する部分が多い。
(2014年4月4日)


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