噛みつき評論 ブログ版

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携帯電話会社の儲け過ぎ

2018-08-26 22:14:22 | マスメディア
 8月21日、携帯電話料金は4割程度下げる余地があるという菅官房長官の発言は市場に衝撃を与え、携帯大手3社の株は下落、中でもKDDIの株は5%ほども下落した。日本の会社の営業利益ランキングの1位はトヨタ、2位はNTT、3位~5位が携帯大手3社となっており、2位~5位まで通信会社で占められている(日経 営業利益ランキング 前々年度)。しかし売上高ランキングでは他に事業を持つソフトバンクは7位だがKDDI、ドコモは18位、20位となる。売上高の割に利益が異常に大きく、ちょっと異様な姿である。

 携帯3社の営業利益の合計は約2.9兆円にもなる。これは消費税1%による税収より多い。つまりこの利益の9割程度を充てれば消費税の税率増加は1%程度で済むことになる。携帯3社の儲けが国民経済に与える影響はそれほど大きい。携帯電話料金が英国の3倍弱、格安スマホの2~3倍程度であることから推定しても、4割程度下げる余地があるという菅官房長官の発言は恐らく妥当だろう。

 携帯電話は既に社会インフラであり、電力や水道、ガスのように公共性の強い事業である。また公共財である電波を独占的に使用する立場でもある。確かに1社の独占ではないが、料金が高止まりしている現状は実質的に競争が働いていないことを示している。3社の寡占状態で競争が働いていない事実は、自由な競争が前提である資本主義がうまく機能していないことを意味する。根源的な問題であり、独占禁止対策の失敗をも意味する。

 カルテルの存在は明らかでなくても携帯3社の状況はカルテルがあるのとたいして変わらない。料金の横並び、2年縛り、4年縛り、本体価格の割賦販売など、実によく似ている。そして複雑な料金体系、複雑な割引制度のために理解が難しく、多くの人は理解が十分でないまま契約している。携帯電話ごときに時間をかけて勉強したくないのは人情だが、そこが彼らの狙いなのである。他社との比較が困難な方法で価格競争を避けているようである。複雑な説明を読まされた上に高い料金を取られる、迷惑至極である。

 政府にも携帯大手は儲け過ぎだとの認識があったようで、2年前には安倍首相が料金の引下げを指示した。私企業の価格にまで言及するのは極めて異例であるが、公共性の強い分野なので妥当だと思う。深刻な問題だと思うのはこのように気づくきっかけがありながら、全く関心を示さないメディアと野党の見識である。

 独占に等しい状態が継続し、業者が過剰な利潤を手に入れる一方、利用者は割高な料金を払わらせられている現状は経済学の初歩を学んだものなら放置すべき状況ではないことがわかるはずだ。それに経済学士様はゴマンといる(数だけではだめだが)。メディアにも野党にもいるだろう。余分に払わされている額も巨大である。

 政府が問題にする前に野党やメディアが取り上げるべき問題だと思う。やらなければ野党やメディアの存在理由はないに等しい。こんな大事なことを放っておいて、モリカケ問題に1年以上も費やすとは、あきれる他はない。18連休をとる余裕があるなら、少しは勉強してほしい。とは言っても、モリカケ問題と携帯料金の優先順位を正しくつけられないレベルなら、もはや絶望的である。アタマは簡単に「修理」できないからである。つまり賢いアタマに交換するしかない。

マスコミが遭難救助を左右する?

2018-08-19 21:11:46 | マスメディア
 山口県で行方不明になっていた二歳児が3日目に無事発見された。発見したのは78歳のボランティア、尾畑春夫さん。それも捜索開始30分での鮮やかな成果であった。警察と消防は延べ550人で捜索していたそうである。しかし尾畑さんは偶然の幸運に恵まれただけではないだろう。彼なりの経験や知識による優れた捜索能力があったと思われる。図らずも「プロ」である警察と消防は面目を失った形になった。

 尾畑さんのプロフィールも報道されたが、仕事を辞めた後、ボランティア活動に身を投じるという爽やかな生き方に賛辞が集まった。なかなか真似できることではないが、定年後の生き方のひとつのモデルを世に知らしめた意味は小さくない。

 上記の例は早くからマスコミが取り上げ、警察や消防による大規模な捜索が行われた例であろう(発見できないという結果に終わったが)。また大阪府富田林市では警察が逮捕した容疑者を逃がしてしまったが、この捜索には毎日3000人も投入しているそうである。ドアの開閉を示すブザーの電池を外し、高い塀には脚立を置いておくなど数々の失態のためもあるだろうが、驚くほどの人数である。また、この4月、愛媛県今治市の松山刑務所大井造船作業場から受刑者が脱走した事件では連日1500人体制で捜索が行われた。どちらも連日の大報道があった。

 一方、5月29日、新潟県阿賀野市の五頭連峰の山中で、二人の遺体が見つかった。ヘリによる発見と聞く。二人は5月5日に入山した父子で子供はまだ6歳である。12日までの1週間に投入された捜索隊は1日平均で30人足らずである。13日以後60人に増員されたようだが、既に8日経過しており生存の可能性が低く、手遅れの感がある。

 この遭難事故はあまり大きく報道されなかった。この時期、大きく報道されていたのは5月7日、新潟市で起きた、線路に置かれた小2女児の事件である。猟奇的な事件だけに飛びついたのであろうが、こちらは気の毒にも死亡が確定している。他方の山の遭難は進行中のことである。救助が間に合えば助かる可能性があった。

 また山岳遭難は当事者の過失による部分もあるため救助に対する批判もある。しかしこの遭難は何ら落ち度のない子供が含まれている。父子は衰弱していく中で恐怖の夜を幾度過ごしたのだろう。6歳の子供には過酷すぎる体験である。しかしメディアの関心は低く、小2女児の事件の方に集中した。その報道の少なさが捜索態勢に影響しなかっただろうか。

 今回の遭難は6歳の子供が含まれ、また最後の連絡から長い時間が経っていないので捜索場所はかなり限定された筈だ。誰が捜索の規模や範囲を決めるのか知らないが、言うまでもなく発見が遅れるほど救命は困難となる。また県警は当初6日午後6時ごろとしていた認知時間を6日午前9時20分ごろに訂正した。県警は初動の遅れを認め、謝罪したという。6日まる1日を無駄にしたわけである。父子にとっては実に貴重な1日である。

 救い出すためにはできるだけ早く、できる限りの規模で捜索を行うのが原則である。今回のような、戦力の逐次投入という初歩的な誤りがあることに驚く。またマスコミ報道は捜索態勢をも左右するのではないかという疑念が消えない。救えたかもしれないという思いを払拭しきれない後味の悪さが残る。日本の警察は優秀だとされてきたが、本当にそうなのかと思ってしまう。

建前論の有害性

2018-08-12 22:22:30 | マスメディア
 文科省幹部から便宜を受けた見返りに息子を合格させたことが発端となり、東京医大の様々な不正入試が明らかになった。思わぬところからバレて、関係者は不運を嘆いておられることだろう。むろん女子受験者や多浪者を不利にするような採点方法を裏でこっそりとやっていたことに弁解の余地はない。しかし女性医師数の制限をすることに関しては、実情を知る医療関係者からは一定の理解があるようだ。

 逆に女性差別だと激しく批判する議論もある。次の8月3日付の朝日の社説は代表的なものであろう(以下抜粋)。
『女性医師の休職や離職が多いのは事実だ。だがそれは、他の多くの職場と同じく、家庭や子どもを持ちながら仕事を続けられる環境が、医療現場に整っていないためだ。厚生労働省の検討会などでも整備の必要性がかねて指摘され、医療界全体の課題になっている。
 その解決に向け先頭に立ち、意識改革も図るのが、医療、研究、教育を担う医大の大きな役割ではないか』

 まるで鬼の首を取ったかのような激しい批判だが、批判は女性医師数を制限するために行われた不正な方法ではなく、制限するという考え自体を対象にしているように見える。背景には、男と女とはあらゆる点で平等でなければならない、という建前論があるようだ。

 男女の差別をなくしようというのは現実性のない建前論である。体力や性格は異なり、仕事に対する適、不適がある。体力の差は言うまでもないが、知的な分野でも違いがあるのは間違いない。クラシック音楽では女の作曲家はほとんどいないし、冷静な判断を求められる軍の司令官や参謀には例外的に存在するだけである。これらの理由を社会的なものにだけに求めるのは無理がある。適応性の違いという理由も認めなくてはならないと思う。性差は歴然とあるのだから。もし成績順に採用して女性医師が7割になったとなれば、医療の機能に問題が起きるだろうことは容易に想像できる。眼科と皮膚科ばかりになったりするかもしれない。

 建前論は単純化した理念をすべてに適用できるかのように言う。そして現実との齟齬(そご)には目を瞑(つむ)る。いわば粗雑な、子供のような議論である。それはたいてい現実をよく知らない人によってなされる。上記の朝日社説がよい例である。現実の複雑な事情を知る必要がないため安易に行えるが、有害性も高い。ただ人権、差別といったスローガンのように、単純でわかりやすいため思考力の低い人にも賛同されやすい。しかし現実を知らない建前論では適切な解決は難しい。東京医大が裏で点数操作をやった背景にはこうした朝日流の建前論があったのは間違いないだろう。

 戦争に対する姿勢でも同じことが起きる。いつも8月になるとメディアは戦争の悲惨さを取り上げる。戦争は決してやってはいけない、平和が何より大切と。その通りだが、ではどうしたら戦争を避けられるという議論はあまり聞かない。平和が大切という建前論だけで終わっているわけである。世界中のほとんどの国が軍を持っているが、その主な目的は侵略の抑止、つまり平和のためである。侵略のために軍備を持つ国は膨張政策をとるごく一部の国だけである。こうした基本的な認識すら十分でない。このような単純な建前論から、9条があれば平和が保たれる、という愚かな議論が生まれる。世の中はそれほど単純ではないのである。

スポーツ界と独裁者とマスコミの親和性

2018-08-05 23:43:51 | マスメディア
 他人の喧嘩を見るのは楽しい。権勢を欲しいままにしてきた悪玉がようやく立ち上がった善玉に倒されるシーンはとくに喜ばれる。アマチュアボクシング界のドン、山根会長は弱音を吐かず、達者な悪役ぶりを見せているのが一層興味をかきたてる。勧善懲悪のドラマのようである。まあ彼の反論や特異な話しぶりは百年前なら説得力があるかもしれないが、現代で通じるかどうか。

 スポーツ界は絶対服従を求られる世界である。集団競技で絶対服従が必要なことはわかる。集団で戦う軍隊と同じである。個人競技ではあまり必要はないと思うが、それはスポーツ界全体に染みついているのだろう。これがスポーツ貴族を生む土壌である。絶対服従の環境は独裁者にとって実に都合の良いものである。しかし競技における絶対服従は必要でも、組織の運営に絶対服従は必要とはいえない。

 スポーツ団体の幹部は大会への出場者や助成金の配分の決定権を握ることで選手への支配を確かなものにする。彼らは団体に君臨するスポーツ貴族なのである。以前にも紹介したが、プロスキーヤーの三浦雄一郎氏の話である。1959年、三浦氏は青森県の代表として全日本に出場する筈であった。当時青森県は代表枠が4人であったにもかかわらず、出場者を2人に絞る方針であったことに対し、三浦氏は「せっかくだから、あと2人出したらどうですか」と要望した。会場では後ろの方から「ろくでもない役員が全部県の負担でぞろぞろ選手よりも余計に行くくせに、どうして選手を出せないんだ。役員といったって酒飲みに行くだけじゃないか」との発言。そして「選手失格だ」の声が役員席から上がり、三浦氏はアマチュア資格剥奪、永久追放となった。合理性が通らない世界なのである。

 追放という最終手段もあるわけだが、これでは選手が黙るしかない。組織のあり方として大いに疑問である。数年前、多くの国で、幹部がその立場を利用して選手たちに性的な関係を強要する例が多数報告され、これは世界的な問題となった。スポーツ団体が他方面に精を出してもらっては困るのである。スポーツ貴族の存在は日本だけではないらしい。

 相撲、柔道、レスリング、アメフト、ボクシングとぞろぞろ出てきたが、これらは偶然ではないと思う。多くのスポーツ団体に染みついた体質がたまたま発覚したのだろう。マスコミはこれら不祥事の報道で大いに潤っている。ひとつの問題が発覚すると1ヵ月近くもの間、ニュースショーの主要テーマとなる(実はたいした問題ではないのだが)。より面白く、長続きさせるために、悪玉は過去の汚点まで公開され、より悪辣に描かれる。

 しかしスポーツとマスコミは多くの点で利益の一致する関係である。スポーツ中継は手間もカネもたいしてかからず、また創意工夫も要らない。しかし一定の視聴率を稼ぐことができる。マスコミにとってスポーツ界はありがたい存在なのである。しかも、しばしばニュースショーを華やかに飾る不祥事を提供してくれる。

 ちょっと気になるのは、スポーツ記者たちはこのようなスポーツ界の古い体質を知っていたのではないか、ということである。「日本のボクシングを再興する会」は何度も橋本聖子議員に会って相談したそうだが、橋本氏が解決に動いたとは聞かない。橋本氏はスポーツ出身だからあたりまえのことと思ったのではないか。それとも無能なだけか。スポーツ記者も恐らく知っていながら問題意識を持っていなかったのではないだろうか。

 独裁者が支配する組織で、内部の者が告発するのは大変な勇気と覚悟がいるが、外部の記者なら安全に告発できる。古い体質をここまで温存してきた責任の一端はマスコミにあると思う。また民主主義を好み、絶対服従や独裁を嫌うマスコミがスポーツ界と仲良くしてきたことにも違和感がある。

 さて、レスリング、アメフト、ボクシングの次は朝日新聞の高校野球連盟だろうか。ここでは今なお連帯責任制が生きている。部員の一人が喫煙や飲酒をすれば、あるいは他部の生徒が暴力事件でも起こせば、野球部全員が出場停止となる。関係のない生徒まで罰を与えられるという、実に不合理な制度である。こんなものを認めている背景には前近代的な考えが支配しているに違いない。人権好きの朝日がこれを認めているのが腑に落ちない。もしこれを是とするなら、誤報事件を起こした部局は関係ない人も含めて首を切らなければならない。社長が辞めれば済むというわけにはいかない。