噛みつき評論 ブログ版

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なぜ野党はいつまでもアホなのか(1)

2018-04-29 23:27:54 | マスメディア
 国会に出席しない野党6党はまるで駄々っ子のようである。審議拒否は野党の常套手段となっている。これは職場放棄に他ならない。そんなことが非難もされず堂々と行われるのは国会くらいであろう。戦時なら敵前逃亡にも値する。審議拒否の理由も麻生大臣の辞任要求など、さして重要なことではない。

 目的は駄々をこねることで国会の機能を殺ぎ、騒ぎを大きくすることにあると思われる。そしてメディアは非難するどころか、与党に責任があるかのように、野党に賛同して騒ぐ。野党と左派メディアの癒着こそ問題である。野党は今年の連合主催のメーデーに招待もされなかった。連合からも見放されたようだ。

 「アホ野党」という言葉が一部の心ある人(これには議論もあるが)から聞こえてくる。今の野党のあり方を見るとこれには納得せざるを得ない。産地偽装やセクハラに対して激しく非難するメディアであるが、野党の姿勢や主張に対して批判をすることはほとんどない。

 甘やかされ過ぎて育った子供はまともな大人になれない。ほとんど無条件に野党を支持してきた左派メディアの姿勢こそが野党をダメにしたのではないかと思う。政権の足を引っ張ってさえいればメディアは常に賛同してきた。そして一定数の当選者を出した。メディアの古くから変わらない姿勢が「何でも反対」の社会党を育て、さらに無能な野党に発展したと考えられる。

 要するに左派メディアと野党のもたれあいが生み出した構造ではないかと思う。双方とも自分達の利益と政権打倒が第一の目的で、国や国民の利益など頭にないように見える。南京事件や慰安婦問題、福島第一の社員逃亡を虚偽報道した朝日はその代表で、国賊と言われてもしかたがない。

 政府文書が隠されているだけでも民主主義が危うくなると騒がれるが、審議拒否はもっと危うい。そして野党欠席のまま採決すれば強行採決だと大騒ぎする、これは多数決をも否定する態度である。多数決を否定したら民主主義は成立しない。

 野党欠席→与党だけで採決→強行採決批判→支持率低下 という構造が本来の国会の機能をおかしくしている。左派メディアと野党の不幸な産物である。産軍複合体は軍需産業と軍の関係を問題にした用語だが、メディアと野党の関係を問題とした言葉は知らない。適切な言葉があれば問題が明確になると思うのだが。

モラルの破壊者

2018-04-22 23:02:03 | マスメディア
 新潟県知事、財務省事務次官と大物の辞任が相次いだ。一身に非難を浴びているのは知事と次官だが、果たしてそれでいいのだろうか。本当に非難されるべきは援助交際相手の女子大生とテレ朝の女性記者ではないか、という見方も可能であることを示したい。むろん報道で知り得た限りの知識による推測であり、真相は「藪の中」だが。

 女子大生は知事と援助交際をしていたとされる。一種の取引関係であり、私情を交えた関係であったかもしれない。知事は相手が週刊誌に売るとは夢にも思わなかっただろう。このような関係を外部に漏らすのは「商業モラル」に強く反するからである。女子大生を信頼していたとも言える。しかし彼女の行為はまさに裏切りである。背後からいきなり撃ったのである。しかも結果は重大で、職を失うだけでなく社会的に葬られる可能性もある。

 一方、テレ朝の女性記者は財務次官を予告なしに背後から撃った点は同じだが、少し事情は複雑である。彼女は上司にセクハラの事実を報道するように頼んだが、断られた。テレ朝は2次被害を心配してのことと言っているが、これはたぶん本当の理由ではない。報道することで財務省との関係が悪くなり、取材に悪影響がでるので「これくらいは我慢してくれ」と抑えたのだろう。彼女のセクハラを救うのなら担当を変えるなどの簡単な方法があるのに、放置したのはおかしい。世間ではよくあるケースだが、正義の立場からセクハラ報道を熱心にやっているテレ朝がやればダブルスタンダードの誹りを免れない。

 さらに女性記者はセクハラの事実を隠し録音した音声と共に新潮に渡したという。この時点では次官の辞職と政権への打撃は予想できる筈だ。第三者への情報提供は重大なルール違反であり、テレ朝の監督責任が強く問われる。この点に関しては財務省に抗議するのではなく、逆に謝罪すべき立場である。今後、テレ朝だけでなくメディア全体の信用が低下し、取材に影響が出るのは必至だろう。記者に信用がなければ話はできない。

 女性記者はセクハラが嫌なら上司に担当変えを求めることも出来ただろう。また身を守るために卑怯な隠し録音をしたというのもおかしい。録音を次官に示して、今後は止めるように要求できたはずである。そして次官とは数回の会食があったという。セクハラ発言があったとすれば、それは徐々にエスカレートするのが普通である。一般的な話だがこんな時、たいていのスケベな男は相手の態度を見ながら話を少しづつエスカレートしていくわけで、相手が心底から嫌った態度を見せればそこでストップする。私の推測だが毅然とした拒否の姿勢がなかったのではないか。曖昧な態度が次官の誤解を誘った可能性もある。

 結局、財務次官は辞めざるを得なくなり、政権は支持率の低下を余儀なくされた。代償としては大きすぎる。女性記者は次官の信頼を裏切ったわけである。そしてひどい裏切りに見合うだけの理由は見当たらない。次官にとって夢想だにしなかった事態であったろう。次官側に非がないと言うつもりはないが、内閣支持率まで低下させる結果の重大さと事件の大きさとがとても釣り合わないのである。これはアホな野党とメディア報道の問題でもある。

 二人の女性に共通することは相手の信頼を裏切るという背信行為である。私が腑に落ちないのは、知事と次官に対する非難は山のようにあるが、この女性たちの行為に対しては誰も非難しないことだ。社会的に葬られる可能性を知りながら、信頼してくれている相手を裏切る行為は許しがたい。社会人としての基本的なモラルの欠如である。これが許されるのは命が脅かされるときくらいだろう。私はこのような行為をする人物は信用できないし、絶対に関わりたくない。反面、非難されている知事や次官に信用がないとは思わない。

 裏切り行為、つまりこの場合の密告行為が非難を受けないのはメディアがこれを商売道具にしているからではないだろうか。誰かが週刊誌に密告、週刊誌が取り上げ、それをテレビや新聞が大々的に報道する、というルートが重要性を増している。こんなとき、密告者を非難すれば密告するものがいなくなって困るわけである。非難どころか密告者に謝礼をして奨励しているのである。メディアの商法のおかげで、人を裏切る、背後から撃つという行為を抑止する筈の倫理観が弱くなっているのではないだろうか。実際に背後から上司を撃った19歳の巡査もいたが、裏切りや卑怯の概念が彼を止めることはなかった。「卑怯」という言葉も死語になりつつあるように思う。

 倫理の崩壊というとちょっと大げさだが、文化を構成する重要な要素のひとつがメディアの商業主義の食い物にされているように見える。「人はパンのみにて生くるにあらず」というが、メディアは何よりもパンがお好きで、パンのためには何でもするようだ。モラルの破壊者はメディアであり、騒ぎに乗じて政権の足を引っ張る野党である。

 ついでに、セクハラという言葉について述べたい。この言葉の概念は非常に曖昧、かつ主観的な要素が大きいだけに、安易な決めつけに使われと危険であると思う。次官の、セクハラという認識がなかったとの発言があるが、その可能性もある。基準が人によって違うわけであり、うまくかわすことのできる女性もいる。セクハラと言えば「泣く子も黙る」では弊害も大きい。上司と部下というように逃げられない関係を成立の要件にすべきであろう。適用範囲が大きくすれば、男が女を口説くことが大きなリスクを伴うことになる。ちょっと大袈裟だが、それは将来の人口減少にもつながる。だいいち、そんな世の中、面白くもない。

本当にうんざり

2018-04-15 21:44:23 | マスメディア
 森友・加計問題は1年を超えた。このところの国会の動きに対して「うんざり」と表現した方は、私の知る限り、二階幹事長と辛坊治郎氏だけである。現在の状況にはまことにふさわしい言葉だと思うが、メディアや野党の方々はそうではないらしい。他を疎かにしつつ、この程度の問題に一年以上も集中する、その執念としつこさには本当に脱帽する。

 この14日、市民団体が国会議事堂前に集まり、安倍政権の退陣を求めて気勢を上げた。主催者発表で3万人というから実数は多くて1万人、少なければ3千人くらいだろう。数日前、朝日新聞と毎日新聞、東京新聞にこの集会への参加を呼び掛ける半ページ大の広告が載った。広告代は2千万円を超えると言われるが誰が払ったのだろう。それとも各新聞が格安で引き受けたのだろうか。もしそうなら援助したのと同じである。報道の中立性からも疑問である。

 この種の集会の常で、掲げるプラカードはなかなか出来がよい。汚い手書きのものはほとんどなく、多くは活字を使った見栄えのするものである。米国では、銃規制に反対するデモや、数年前の「ウォール街を占拠せよ」のデモでも手書きの稚拙なプラカードがほとんどであった。参加者は一般の市民であることがわかる。日本の左翼によるデモのプラカードが立派であることは組織的な動員を疑わせる。一般市民のようでも多くは特定の立場の人達だと思う。誰かが企画し、資金を出しているのだろう。

 それにしても森友・加計・日報問題によって安倍政権は退陣せよという主張は私には理解できない。退陣を迫るなら綜合点で評価すべきである。むろん致命的な失点でもあれば別だが、森友などはとても致命的とは言えない。もっと優れた政権が簡単に手に入るなら退陣要求もよいが、過去の政権を見る限り優れた政権は大変少ない。これだけの人口がいて、優秀な人間も多いに違いないが、何故か我が国の民主主義システムでは優れた政権が生まれにくいようだ。鳩山政権や菅政権が生まれたことでもわかる。

 しかし現実には森友問題などの印象操作を狙った報道のせいか、内閣支持率はかなり低下している。特に低下が目立つのは女性のようだが、理ではなく、印象や感情で判断しがちな女性の特性が反映しているようにも見える。

 ともかく一年以上にわたって、左派メディアと野党が政権の足を引っ張ることを使命としているような姿勢には本当にうんざりである。こんな調子ではより重要な問題、財政や外交、防衛問題などに関心が向かず、従ってまともな見識も生まれない。まあ、9条があれば平和が保たれるという頑固な連中にまともな見識を求めることが無理かもしれないけれど。しかし左派が主導するメディアと野党が鳩山政権を誕生させた事実を忘れてはならない。

硬いアタマ

2018-04-08 22:31:55 | マスメディア
 前回、柔らかい頭について書いたので、次は固い頭にしようと思っていたところ、願ってもない「模範例」が登場した。「女性は土俵に上がらないで下さい」と言って、救命より伝統を優先した人物のことである。ご本人にとってはとっさの判断を迫られたことなのでお気の毒な点もあるが、角界の伝統を真面目に守るつもりであったのだろう。その後、土俵に大量の塩をまいたそうだが、恥の上塗りである。BBCは「相撲協会にこそ塩をまくべきだ」との声を紹介している。国際的な話題となったようで、日本は先進国なのかと疑問を持たれるかもしれない。

 以前にも取り上げたが、福島第一原発の事故ではバッテリーが間に合わなかったために炉心溶融が起きた可能性が指摘されている。バッテリーが緊急に手配されたもののトラックは高速道路の通行許可がなかなか得られず、到着したのは2日以上経った14日の午後8~9時で、すでに炉心溶融、3号機の爆発が起きた後であった。道路の担当者は真面目に規則を守ったわけである。当時の民主党政権の対応にも疑問が残る。菅元総理はすぐに駆けつけて邪魔になったと批判されたが、現場に必要であったのは菅氏なんかではなくバッテリーであった。

 最近、西部邁氏の自殺を幇助したとして2名が逮捕された。警察は真面目に捜査をして捕まえたのだろうが、そこまでする必要があったのか、疑問である。また逮捕に意味があるのだろうか。オランダやスイスなどでは一定の条件下では違法とされない行為である。見て見ぬふりという選択もあったと思う。この逮捕に賛成する人がいるだろうか、まともな人で。

 これらに共通することは無条件に規則や伝統を守ろうとする頑なな態度である。時と場合によっては破ってもよい、とは考えられない狭量な人たちなのだろう。優先順位を考える手間がない分、楽ではあるが問題が多い。石頭、頑固、頑迷固陋など、こういう人たちを形容する言葉は多い。伝統を守る芸術家や職人などには有用な資質であろうが、変化していく社会では有害であることが多い。時と場合によっては規則は破ってもよい、と教えるべきである。

 ついでながら、我が国には右翼対左翼、保守対革新と言われる政治的な対立がある。同じような教育を受けて、同じようなメディアに接しているのに、なぜこのような対立がいつまでも続くのか、と不思議に思う。

 一般に、頭の硬さ、頑固さは老人の特徴と思われている。現在、左翼、革新と呼ばれる人たちはかなり高齢者に偏っていることが世論調査などからわかる。「9条の会」も、昨年の9月4日に結成された「安倍9条改憲NO!全国市民アクション」も超高齢者が中心であることはそれを象徴している。若者が保守、高齢者が革新、というもの奇妙である(普通は逆)。オールドリベラルとか旧革新と呼べばよいと思う。

 高齢の左派の人と議論をしても話が噛み合わないという経験が私には何度かある。つまり頭が固まっている感じ。現在の高齢左翼というのは戦後の日教組教育によって作られた古い考え方をずっと持ち続けている、頭の硬い、頑固なグループであると見ることができる。右翼と左翼の対立は柔軟な頭と頑固な頭との対立という側面を持つと考えてもよいだろう。

柔らかい頭

2018-04-01 22:29:15 | マスメディア
 ポエニ戦役は紀元前219年から紀元前201年にかけてローマとカルタゴとの間で戦われた戦争である。カルタゴの名将ハンニバルによってローマは敗戦を繰り返すが、最後にローマの名将スキピオ・アフリカヌスによってカルタゴは敗れ、ローマは国家的危機から脱する。このスキピオは25歳のときに2個軍団、2万5千から3万の軍の指揮を任される。当時2個軍団を指揮するのは執政官か法務官で資格年齢は40歳以上とされた。15歳も足りないのに例外的に認められたとされる(塩野七生 ローマ人の物語より)

 紀元前に法治国家を確立したローマであるが、法に対しては比較的柔軟な考えを持っていたように見える。ローマ人は法を絶対的なものと考えなかったのではないか。興味深い問題だが、その背景には、私の想像だが、法の不完全性を理解していたのではないかと思う。法を曲げた方が国の利益になる場合は曲げると。

 このような態度は憲法や法を金科玉条のように考える硬直的な態度とは大きく異なる。むろん法は尊重されなければならないことはわかる。けれど何が何でもというわけではない。法にも矛盾があり、法より優先されるべきものもある。違法の方がすべてうまく行く、という場合もある。国破れて憲法あり、では困るのである。

 森友問題は違法行為ですらなく、忖度があったかどうかの問題に過ぎないが、メディアのおかげで内閣支持率にも強い影響を与えるほどになっている。証人喚問された佐川氏は政府側からの働きかけはないと証言したが、野党は納得しない。事実はどうであれ、佐川氏の証言はこれでよかったと思う。もし政府からの働きかけがあったと証言すれば内閣が倒れる可能性さえあっただろう。

 もし佐川氏が嘘をつけない正直な人物で、仮に政府から働きかけがあったとした場合、その通りに証言すれば、国益を損なう可能性が高い。北朝鮮問題など、国難ともいえるこの時期にそんなことになれば大混乱になりかねない。佐川氏が自らを犠牲にして問題の波及を食い止めたならば、少し大袈裟だが、佐川氏は公益を優先した救国の英雄となるかもしれない。まあ、こんな見方も可能である。

 一般論として、事実を隠蔽して混乱を防ぐのがよいか、それともすべて話して混乱を仕方のないものとするか、政治哲学に出てきそうな問題であるが、明確な解はないと思う。ただ一国民としては、今回のような場合、バカ正直に話すことが善であると思うような単純な人物でないことを願う。「嘘も方便」である。利己的な目的のために相手を騙すウソとは区別すべきであろう。