噛みつき評論 ブログ版

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国際捕鯨委員会脱退の得失

2018-12-30 22:32:12 | マスメディア
 人類の多くが穀物など、植物性の食物を主食としてきたのは数千年前からだとされている。それ以前は狩猟採集が中心で、大型哺乳類のいくつかの種の絶滅の原因となったとされている。狩猟に依存していたこの時期、当然のことながら、動物がかわいそうだから食べないというわけにはいかなかった。我々の一世代、二世代前はニワトリを平気で絞め殺して食べていた。今でも中国や韓国、ベトナムでは犬や猫を食べるそうである。

 しかし近年、先進国では動物を食べたり虐待することに対して不快感を抱く人たちが増えてきたようだ。背景には、先進国では概ね食物に困らなくなり、食物を選択する余裕が生まれたことがある。また動物の苦痛に目を向ける余裕ができたともいえる。国際捕鯨委員会はこうした風潮に押され、資源の有効利用から資源保護に重点が移ってきたのも自然な成り行きといえる。少し過激という批判もあるが。

 捕鯨は伝統的な食文化を守るだけだ、あるいは捕鯨の禁止を求める国が一方で牛や豚を平気で食べているのはおかしい、という主張がある。確かにその通りである。しかしこの問題は合理的な議論に馴染まない。感性と習慣の問題であるからである。クジラやイルカを食べる国民でも犬や猫を食べる習慣には激しい嫌悪感があると思う。以前、中国や朝鮮、ニューギニアなどで行われてきたカニバリズム、食人習慣にはさらに激しい嫌悪感を持つだろう。感性は時代とともに変化するものである。文明が進むにつれて残酷さに敏感になるのが一般的であろう。

 日本捕鯨協会の資料によると捕鯨支持国39か国のうち先進国はノルウェー、アイスランド、デンマーク、日本だけで、他はアフリカ、中南米、アジアの国々である。反捕鯨国は49か国だが、上記以外の先進国はすべて含まれている。

 現在、日本の鯨肉消費量は伝統的な食文化というが、年間消費量は数千トンに過ぎず、以前の20万トンに比べればごくわずかな量である。商業捕鯨再開後も大手水産会社は参入しないそうである。蛋白の重要な供給源という主張は説得力を持たない。商業捕鯨再開で利益を受けるのは鯨肉に関係する業界と少数の特別な嗜好者だけである。

 一方、脱退と商業捕鯨再開は大きい宣伝効果をもつ。「日本は野蛮国」であるという不名誉な烙印を押されることになるだろう。また国際的な協調体制からの離脱は国際協調を軽視する国という評価につながる。国家の信用にもかかわる問題である。捕鯨継続の利益に見合わないほどの不利益ではないか。

 脱退は水産族の議員や、捕鯨関係者が多い選挙区から選出された政治家の意向が働いた結果だともいわれる。恐らくそれは捕鯨に残酷さを感じない旧世代に属する人たちによって進められたのだろう。結局のところ、脱退は長期的な観点からは不利益の方が大きいと思う。野蛮国とは思われたくないし、そう思われれば外国の対日観も影響を受ける。異質な国と評価されれば、それが対日政策に影響を与えるかもしれない。それは外国の感情論であり、考慮する必要はないと思われるかもしれないが、政治は合理性だけで動くものではない。合理性で動くものなら鳩山政権や小池知事の誕生はあり得ない。

地獄への道は善意で敷き詰められている

2018-12-23 22:53:25 | マスメディア
 1891年に起きた大津事件は日本を訪れていたロシアのニコライ皇太子が、大津で警備にあたっていた津田三蔵巡査に突然斬りつけられ負傷した事件である。強国ロシアの圧力やロシアに配慮する政府内の死刑論に対し、大審院は一般人に対する謀殺未遂罪を適用して津田巡査に無期徒刑(無期懲役)の判決を下した。後年、司法の独立を守ったとして高く評価される事例である。

 事件後の反応について、Wikipediaには「小国であった日本が大国ロシアの皇太子を負傷させたとして、「事件の報復にロシアが日本に攻めてくる」、と日本国中に大激震が走り、さながら「恐露病」の様相を呈した。学校は謹慎の意を表して休校となり、神社や寺院や教会では、皇太子平癒の祈祷が行われた。ニコライの元に届けられた見舞い電報は1万通を超え、山形県最上郡金山村(現金山町)では「津田」姓および「三蔵」の命名を禁じる条例を決議した。5月20日には、天皇の謝罪もむなしく皇太子が日本を立ち去ったことを知り、死を以って詫びるとし京都府庁の前で剃刀で喉を突いて自殺し、後に「房州の烈女」と呼ばれた畠山勇子のような女性も出現した」とある。

 世界には決して謝罪しない国もあるようだが、日本は謝罪のために命を投げ出す人まで現れるお国柄のようだ。それはともかく、この事件では司法の独立が実現され、ロシアとの関係にも致命的な結果をもたらすことはなかった。しかしそれは諸々の事情によりたまたまそういう結果が得られたということであり、最悪の場合、武力による報復や戦争の危険まであった。

 この事件では国益か司法の独立かの選択を迫られたわけである。もし司法の独立を優先させた結果、戦争になり、多数の犠牲者が出たとしてもなお司法の独立を称賛できるであろうか。司法の独立よりもっと大切なことがある。またうがった見方をすれば、司法の側は理念のためだけでなく、自分たちの権力の強化をも狙ったのかもしれない。

 三権の独立は重要な原則であることに違いない。けれどそれは絶対ではない。司法の独立を守ったために戦争なんかになればたまったものではない。主客転倒である。原則や理念はその程度の扱いでよい。社会は複雑であり、単純な原則や理念を無条件で適用できるものではない。より具体的に規定する法も不完全である以上、厳格に適用すればいいというものではない。

 ゴーン氏は逮捕されたが、その逮捕・拘留が適切かどうかで議論が分かれている。報道によると、事件の主な原因は日産内部の私的な権力争いにあるようだ。反ゴーン側がひそかに数か月かけて資料を集め、検察にチクったようである。ゴーン氏は突然、部下に背中を刺されたというわけである。西川氏は明智光秀である。決してフェアなやり方ではない。日産車の販売が大きく落ち込んでいるそうだが、こうした手法に対する反発があるのかもしれない。私企業の内紛に利用された検察もどうかと思う。反ゴーン側の汚い手口に加担する検察も決していい印象は持たれまい。もし無罪ともなれば見るも無残な結果になるだろう。

 最近導入された司法取引であるが、これは「仲間を売る」という行為が前提となる。司法取引は「裏切り」を奨励する制度なのだ。日本が長い間、司法取引の導入に消極的であったのはそれが日本の風土に馴染まないと考えられてきたのではないか。つまり司法取引はモラルに反する部分があるため、それが正当化されるためには余程の社会的な利益が必要となる。少なくとも私企業の権力争いにはなじまない。

 一方、拘留を次々と延長するという強引な手法は日本の司法の後進性を世界に宣伝してしまった。海外では日本を中国のようだとする論調もある。これが国益にプラスであるわけはない。逮捕を決めたのはおそらく法を厳格に解釈するまじめな人たちなのだと思う。国際問題に発展しようが、日本の評価が下がろうが意に介せず、我々は外部からの圧力に屈しない、と胸を張るのだろう。そこには悪を許さないという「信念」や「善意」があるのかもしれない。

 また、広島高裁は伊方原発から約130キロ離れた阿蘇山の危険について「約9万年前の過去最大の噴火規模を想定した場合、火砕流が伊方原発敷地に到達する可能性が小さいとはいえず、立地は認められない」として運転を差し止める決定をした。9万年前の例を出すなど、裁判官として見識のなさ、無知を天下に曝け出したと思うが、火砕流が130キロも届くのであれば九州の大半、四国の一部は全滅、原発どころの騒ぎではなくなる。こんな非常識な人物に大きな影響を与える決定をさせる仕組みに驚く。これは司法全体の信頼性にも傷をつける。しかしこの判決も原発事故を憂慮する「善意」ゆえのものであったのだろう。

 法を厳格に運用するのは大事なことだが、視野の狭いクソまじめな人々がやれば弊害を生じることもある。まさに「地獄への道は善意で敷き詰められている*」である。狭い視野での正義や信念、善意が禍をもたらすことは少なくない。つまり余計なお節介なのである。

(* 欧州のことわざ)

同じニュースを2度見せるNHK

2018-12-16 22:45:50 | マスメディア
 些細な事だが、気になることがある。正午のNHKニュースでは全国ニュースの後に続いて地方ニュースがある。時々起きることだが、例えば大阪近辺で大事件が発生すると全国ニュースでそれを報道し、続いて全く同じ内容を大阪版の地方ニュースで放送する。視聴者は5分か10分の間に全く同じニュースを2度見せられることになる。さらに夕方のニュースでも流すことがあり、3回も同じことを見ることになる。

 見なければよいだけのことだが、放送する側の姿勢を考えると腹が立つのである。視聴者はNHKに金を払って視ているのであって、何回も同じ内容を放送されるのは馬鹿にされていると思うし、また手抜きであるとも感じる。誰もがずっとテレビを見ているわけでないので、重要ニュースを繰り返す必要があることはわかる。しかし正午のニュースのように続けてする場合は理由にならない。同じものを地方ニュースで繰り返すのならば、せめてもっと詳細を報道するとか、別のコメントを入れるとかの工夫が出来る筈である。

 相手の気持ちを考えることはとても重要であるから、発信側、つまりNHKの身になって考えよう。もしあなたが講演で話をすることになったとしよう。そこで同じ話を2度繰り返したらどんな反応が返ってくるだろうか。聴衆を馬鹿にしているのか、無礼ではないか、あるいは講演者の頭がおかしくなったのか、といった反応が返ってこよう。

 NHKといっても聴衆に対するひとりの講演者の立場と同じである。特別扱いする理由はない。こんなことが何年も、何十年も続けられてきたわけだが、その背景にはNHKの体質があるのだろう。その体質は誠実や謙虚という言葉で表されるものではない。恐らくその逆である。無礼な行為は、裏では視聴者を見下していると判断されても仕方がない。「皆様のNHK」がむなしく響く。

米軍事故の報道に違和感

2018-12-09 23:49:13 | マスメディア
米軍事故の報道に違和感

「米軍機墜落 現場付近はマグロ漁船の操業海域 不安の声も」
「6日午前1時40分ごろ、高知県・室戸岬沖に、米海兵隊岩国基地所属のFA18戦闘攻撃機とKC130空中給油機が墜落した。地元・高知の自治体や漁協の関係者らからは度重なる事故に不安の声が上がった」

 これは12月6日20時25分の毎日新聞電子版トップニュースのタイトルと記事の冒頭部分である。記事はこの後、過去の高知県周辺で起きた米軍機の事故を列挙し、地元民の不安の声を集めたものとなっている。NHKニュースでも事故の概略を簡単に伝えた後、岩国基地周辺の住民の不安を伝えていた。

 また赤旗は7日付で「日本共産党の大平喜信前衆院議員と広島、山口両県委員会は6日、広島市内の中国四国防衛局を訪れ、直ちに同基地所属の米軍機すべての無期限の飛行中止を米政府に求めることなどを要請しました。(中略)大平氏は『住民の命と財産が脅かされる極めて重大な事故であり、強く怒りを感じる』と訴えました」と書いている。まるで米軍は敵のような扱いである。恐らく内心はそう思っているのだろう。

 我々は米軍の事故が起きると被害や迷惑ばかりを強調する報道に慣れていて、上記のような報道には違和感を感じなくなっているのではないだろうか。今回の事故は死亡者1名、行方不明5名とされているが、このような犠牲者に対する同情や哀悼の意が記事に見られることはまずない。彼らには家族もいるであろうし、遊びでやっているわけではない。彼らのおかげで日本の安全が保たれているという面があるのは確かである。非難ばかりしていては日本の倫理観まで問われかねない。

 米軍が日本に基地を置いているのは無論アメリカの国益のためというのが第一の理由だろうが、日本も利益を受けている。だからこそ基地の費用の一部を負担しているわけである。もし他国が日本に攻撃を加えようと考えたとき、日本に米軍基地があれば、それは大いなる障害物となる。攻撃は米国をも同時に敵に回すことになるからである。安全保障条約より効果的だ。つまり米軍は日本の平和に大きく役立っているわけで、これはもう常識といってもよい。

 ところが日本のメディアは米軍の持つそういう側面を無視しているかのようである。基地があれば事故や事件がゼロというわけにはいかない。大規模な企業が進出しても交通事故や従業員の事件は起きる。完全無欠の社会システムなど存在しない。治安が仕事の警察官でも犯罪を起こすことがある。

 毎日や赤旗の記事からは米軍事故を利用して、基地を撤去させたいという思惑が見えるようである。自衛隊に対する反対姿勢も目立つが、軍事力の撤廃が平和をもたらすと本心から考えているのだろうか。いい歳のおっさん達がそんな夢みたいなことを考えているとはどうも理解しにくい。よほど頭がおかしいのか、それとも中国への忖度なのか、どちらかであろう。ともあれ同じ報道姿勢が続くと、それに慣れてしまっておかしく感じなくなるようである。

コップの中の正義と推定有罪

2018-12-02 22:15:37 | マスメディア
 カルロス・ゴーン元日産自動車会長と日産などの他の幹部を並べて眺めると、ゴーン氏の迫力、魅力は他を圧倒しているように見える。過去の輝かしい実績でも同様だ。そのゴーン氏が金融商品取引法違反の容疑で逮捕された。容疑は有価証券報告書に虚偽の記載をしたということである。当初、報酬額を誤魔化して「裏」の所得を得ていたと報道されたが、実はまだ受け取っておらず、退任後に報酬を受け取る合意があったということに過ぎない。従って脱税もなく、投資家の判断を歪めたとも言えない。

 朝日新聞はプライベートジェットが到着するときからゴーン氏を追っていた。検察が朝日に情報を「お漏らし」をしていた可能性がある。また朝日を始めとするメディアは連日、ゴーン氏の疑惑を裏付けるようなことを中心に報道し、「実は悪人」という印象を与えようとしている。報道姿勢はまさに推定有罪である。悪人という印象は検察にとっても都合がいい。逮捕した以上、それが納得されるためには悪人である方が好都合である。したがって検察の「お漏らし」には悪の方向へのバイアスがかかりやすい。それにメディアが加勢するという構造である。それにメディアには、元々、偉大な成功者が転落する話には飛びつくという習性がある。

 今問題になっているのは退任後に受け取ることになる報酬を有価証券報告書に記載する義務があったかということだが、些細な問題と思われる。議論は分かれているようだが、逮捕してから議論が始まるようではゴーン氏が気の毒になる。まず疑問に思ったのはこれが逮捕に値する罪なのだろうか、ということである。逮捕によって社会が不利益を免れるといったことがあるのだろうか。他にも、会社提供の住宅に家賃を払わず住んだとか、損失の出た投資を会社に付け替えたとかあるが、どれもよくある話であり、重大な犯罪とは思えない。それにどれも会社との合意があったことである。

 犯罪があったとすれば会社も共犯になる。そこで会社側は司法取引をして罪を免れるということらしいが、実にダーティーなやり方である。わかりやすく言えば卑怯な裏切りなのである。日本社会に根付いてきた倫理とは相容れない。国際的な大企業が使う手段としては強い違和感があるし、司法と共に日本の信用を落としかねない。一方、会社の内紛に利用された検察、その狭い正義も批判されそうである。不起訴になった場合のリスクはとても大きいのに、敢えてやる利益はあるのだろうか。検察は裏切りの片棒を担いだのである。司法取引は裏切りの合法化だが、それが社会の大きな利益になる時だけの手段であるべきだろう。乱発すれば裏切り文化を醸成することになる。

 検察が逮捕に踏み切ったこと自体、かなり問題ではないかと思う。ゴーン氏は大きな功績があっただけでなく、現在も大きな影響力を持つ人物である。日産と三菱の会長を解任されたが、仮に不起訴であっても元には戻らないと思う。不起訴ならむろんのこと、起訴ができたとしてもこんな微罪で逮捕・長期拘留は日本の司法が国際的な信用を失うことになりかねない。ウォールストリート・ジャーナルは「日本は中国か…」という記事を載せたが、そのように映ってもおかしくない。

 推定無罪という言葉がある。判決で有罪が決まるまでは無罪として扱うということだが、暖房もない拘置所の狭い部屋に閉じ込められるのは有罪としてでなければ納得がいかない。有罪が決まっていない段階での会長解任も同様である。厳しい環境に慣れた者ならともかく、64歳のゴーン氏にとって、この厳しい待遇は過酷であろう。

 ゴーン氏の追放が会社側の目的ならば、検察を巻き込んだ裏切りによってそれは達成されたことになる。しかしそれによって検察や日本全体のイメージ・信頼度が低下することにより、将来、不利益が生じることは否めない。信義を重んじる国民性という評価を低下させかねないのに、それを指摘する意見が見当たらないのが残念である。