令和5年5月31日(水)外出先で陽が沈みかけたのを見たので、急いで運河に向かいました。
運河に着いた時は厚い雲と沈んだ太陽
厚い雲に太陽が真っ赤に映るところが見たかった~
令和5年5月31日(水)外出先で陽が沈みかけたのを見たので、急いで運河に向かいました。
運河に着いた時は厚い雲と沈んだ太陽
厚い雲に太陽が真っ赤に映るところが見たかった~
流山市内には、以下の図書館・図書ピックアップセンターがあります。
図書館は、5月31日(水)月末館内整理日で休館させていただきます。
尚、「おおたかの森図書ピックアップセンター」「南流山図書ピックアップセンター」は9時から19時まで開館しています。
令和5年5月27日(土)森の図書館で開催された「わたしのひいひいじいさんは勝海舟~知っているようで知らない勝海舟」に行ってきました。
勝海舟のご子孫高山みな子さんからお話を伺える貴重な機会です。
勝海舟の玄孫の高山みな子さん
勝海舟は1823年生誕・・・生誕200年記念講演ですね!
森の図書館教養講座にご尽力いただいている大出俊幸先生も会場に
勝海舟のファンや歴史愛好家の方で会場は満席です
講師の準備された70枚以上の貴重な資料がプロジェクターから映し出されテンポのいいお話に引き込まれます
コロナが落ち着いて入場人数が緩和されたため多くの方が講演会を楽むことが出来ました
90分の講演会は楽しくてあっという間でした
勝海舟の知らなかった部分をたっぷり話してくださいました
一人の作家の作ったイメージに振り回されず、その時起こった事実を知ることが大切なこと。
当時の豪商が本を購入し、私設図書館をつくって向学心のある者を育てたというエピソードは、時代に先駆けた先進的な考えで素晴らしいですね。
島津斉彬、勝海舟、西郷隆盛の人脈が『江戸城無血開城』に大きな役割を担ったと話されました
図書館に所蔵している「勝海舟」「坂本龍馬」関連の書籍を並べてあります
あらゆる方面から勝海舟の調査をされたご子孫の高山みな子さんのお話は、幅広く歴史を掘り起こし楽しく聴くことが出来ました。
大変貴重な話をありがとうございました。
「うんがいい!朝市」前期はこれで一旦お休みで、暑い夏を避け、次は10月に開催と聞いていそいそ行ってきました。
KEYOクラブでは生徒さ手づくりの木工作品などを販売
エコバッグ持参で参加し駄菓子100ポイント分をゲット
きょうも多くの善男善女の笑顔が集まりました
ワタクシの大好きな和菓子“藤屋”さんは『ビリケンまんじゅう』も
子ども食堂『あつまれ西深井の森』は子どもたちが運営
運河いい!朝市の平均年齢を下げている一因ですね!
市広報紙の創作童話コーナーや公民館の講座から生まれ40年目を迎えたサークルも出店
真澄屋さんの無農薬野菜なども人気です
今回は、消防士に変身コーナーや東武鉄道のスペーシアXのペーパークラフトなどいろいろなワークショップがありました。
西深井散策の森で同時開催された「森のあしおと」は自然を利用した楽しい遊び場でした~
次回10月のうんがいい!朝市はどんな特集になるのかしら?楽しみです。
作家の豊田旅雉さんから寄贈いただきました、「熱鷹」を展示しています。ぜひお手に取ってご覧ください。 豊田旅雉さんと本については、ぐるっと流山にも記事が掲載されています。 https://city.nagareyama.chiba.jp/1000009/1042237.html
森の図書館のTwitterより
Twitterをご覧いただいた作家の豊田旅雉さんからコメントの書き込みをいただきました。図書館では返信の対応はしておりませんが、作家ご本人からの書き込みに「ご著書のご寄贈ありがとうございました」とスタッフ一同喜んでおります。
豊田旅雉さんのご著書
「熱鷹」で第2回らくむぎ出版コンテスト優秀賞受賞、7net ショッピング文学の人気ランキング(世代別)で第2位(23年4月17日現在)。著書「猿たちの法廷」(つむぎ書房)、「らえぬ女子の漂流」(同)をAmazonにて発売中!
爽やかな午後・・・こんな日は利根運河のウオーキング日和。
午前中にPさんから「利根運河を歩いてきました」と連絡が来ましたが・・・
ワタクシが歩き始めたのは夕方近く
一代目二代目の運河橋の写真や山縣有朋からの貴重な書簡の展示
利根川の地図と写真を対比して展示してあります
「写真と資料で振り返る昔の利根運河」
運河駅ギャラリーで6月25日(日)まで9時から17時
明日5月27日は「うんがいい!朝市」ですね!
利根運河の歴史を感じながら、きょうは柏方向に歩くことにしました
花のボランティアさんが手入れをしている紫陽花もこれから咲くのが楽しみです
紫陽花は梅雨のころが見頃でしょうか
ベンチもあって休憩することもできます
眺望の丘から見ると利根運河の曲線がよくわかります
利根運河は「土木学会選奨土木遺産」に選奨されました
竣工年明治23年選奨年2006年 平成18年度選奨理由オランダ人技師ムルデルの計画に基づき、民間会社によって建設された。地形に沿って建設された当初の形態や線形が残る歴史的に貴重な運河。
流山市市制40周年で平成19年に植樹した桜
新しく植えたのですね。桜17~8本ありました
江戸川から4キロの地点
道路が見えてきました国道16号線でしょうか・・・陽が落ちてきそうなのでそろそろ戻ります
刈り込んだ草の匂いがします
ふれあい橋の向こうに陽が沈みそう
出発した利根運河水辺公園まで戻りました・・・約7,000歩
松戸駅の中央改札を抜けて左(東口)に進むと、ダブルデッキの上を行ってイトーヨーカ堂に入ってしまいがちですが(ここのデッキは10年前の夏、司書講習を受けるため毎日通った懐かしい場所です)最初の階段を降りて、線路に沿って上野方面に歩くと曲がりくねった路地にぽっかり空いた空き地、昔ながらの家屋、歴史を感じるお寺、このまま進んだら「他人様のお庭に行ってしまのではないか」と不安になるような細い路地を10分くらい歩くと松戸戸定邸に着きます。
少し急な坂を登り切ると戸定が丘歴史公園の入り口
水戸藩最後の藩主・徳川昭武が建てた戸定邸の敷地の内、約三分の一は戸定が丘歴史公園として整備公開されています。公園内には徳川昭武と彼の兄徳川慶喜の資料を展示する戸定歴史館、徳川昭武が住んでいた戸定邸(国指定重要文化財)と庭園(国指定名勝)などがあります。
公園に入ってすぐに目に飛び込んできた「ブラシノキ」、ビンを洗うためのブラシそっくりの姿です。初石公民館でも見られますね。
戸定邸は幕府最後の将軍 徳川慶喜の弟、徳川昭武が明治17年に別邸として建設し、後半生を過ごしました。昭和26年に市に寄贈され、平成3年に周囲の敷 地2.3ヘクタールが「戸定が丘歴史公園」として整備され一般公開されました。平成19年に「日本の歴史公園100選」に選ばれています。
ここからは江戸川や富士山が眺められたというお話ですが、高いビルやマンションが……
西側に江戸川や富士山を望む標高25メートル程の高台上には昭武が運び上げたコウヤマキやヒヨクヒバの巨木が残り、梅、ベニシダレザクラ、鉢植えの藤など四季折々の花を楽しむことが出来ます。緑豊かな園内は鳥の囀りが耳に心地よく響きます。
葵も、ふたつだったり、よっつだったり……どんな気持ちでここで過ごされていたのかな、と想像したり
お宝が入っていそうな蔵の中には三つ葉葵の家紋
庭園にはフタバアオイが青々とした姿を見せていました
戸定邸に隣接する博物館「戸定歴史館」。戸定邸と庭園の公開や徳川昭武の遺品を中心とする松戸徳川家伝来品、徳川慶喜家伝来品、1867年パリ万国博覧会関係資料の展示が行われています。
俳優の板垣李光人さんのサイン入り写真が飾られてる「戸定歴史館」ロビー
「戸定歴史館」の入り口には最後の将軍、徳川慶喜の弟で渋沢栄一らを伴ってパリ万博に派遣された松戸市ゆかりの徳川昭武をNHK大河ドラマ「青天を衝け」で演じる俳優の板垣李光人(りひと)さん(当時19)が2021年7月5日、昭武の私邸だった市内の戸定邸を訪れ、「彼(昭武)は国を背負ってパリに行き、そこで大政奉還を知り衝撃を受けた。(演技では)感情が急に上がるところを大事にした。帰国する場面は好きなシーン」と語ったと翌日の千葉日報が大きく報じていました。
戸定邸になかなか行けないという方のためにバーチャルツアーのご案内
https://www.city.matsudo.chiba.jp/tojo/tojotei_shoukai/virtual/index.html
隣接する千葉大学園芸学部では洋風庭園が公開されています
6年前の2017年は、1867年(慶応3年)に日本が初めて参加したパリ万国博覧会からちょうど150年目にあたったことから、戸定歴史館、渋沢史料館、千葉大学園芸学部、日本仏学史学会等が連携して、”PROJECT1867”として、様々な行事が行われましたが、前年の2016年11月には『松戸の中のパリ フランス式庭園ツアー』も行われたそうです。
校内にはフランス式庭園やイギリス風景式庭園、イタリア式庭園などがあります
キャンパス内庭園の見学には事前のお申し込みが必要です。ご希望の方は、所定の様式に必要事項をご記入のうえ、見学当日に松戸地区事務課総務係(図書館1階)まで直接ご持参いただくか(平日8:30から17:15まで。土日・祝日は閉所)、またはFAXで事前申し込みが必要です。
斑入りアジサイの花が楽しめるのは梅雨入りのころからでしょうか
千葉大学園芸学部の前身は、千葉県立園芸専門学校です。戸定が丘にあった千葉中学松戸分校が千葉県農業試験場の移転先となり、1909年に千葉県立園芸専門学校が開校しました。庭園は観光名所にもなっていたと言われ、1924年(大正13年)与謝野晶子がこの地を訪れた時に、花園の美しさを60首の短歌に詠んでいます。
与謝野晶子の短歌は戸定が丘歴史公園内や千葉大学園芸学部庭園内にある歌碑で読むことができます
開校にあたりこの専門学校の基礎を作ったのが林脩巳でした。林脩巳は、福羽逸人から新宿御苑で園芸を学び、大隈重信邸の園芸主任を11年間(1895~1906年最後の2年間は英国留学及び英仏米で園芸修行を積む)つとめ、そのつとめから名声を得、当時売れっ子園芸家となっていました。
チューリップツリーとも言われるユリノキが花を咲かせていました
ワタクシ、どこの大学にお邪魔しても、キャンパスを歩いてるとついつい気になってしまうのが大学図書館です。こちらの図書館は、キャンパス内の洋風庭園の中にあって、庭園見学を申し込む事務所にもなっています。やはり図書館は「知の宝庫」であっても親しまれる場所なんですね。
千葉大学園芸学部図書館で庭園見学の申し込みができます
徳川昭武と林脩巳の100年を超えて生き続けている庭園への愛と感動を感じた一日でした。帰ったら拙宅の猫の額のような庭も少しは草取りしようと考えながら帰路につきました。
たぶん、普通に見ているお花の姿が一番その花に相応しいのでしょうが・・・
スズラン(鈴蘭)の花は、名前の由来にもなっているように釣鐘型でうつむいて咲きます
そのお花を下から見ると・・・気になって写してみました・・・やっぱり可愛いです
フリンジ咲のチューリップ
開くとこんな感じ
ナルキッスス・ブルボコディウム(ペチコートスイセン) 多年草(球根植物)
数年前にSさんからいただいた花「水仙の一種らしい」といただきましたが、つまずいてすらっと言えない花名でした
西洋オダマキ 宿根草
昨年Nさんからいただいた西洋オダマキ
下から写すとこんな感じ
ホタルブクロ キキョウ科の多年草
庭木を買ったときに土についてきたらしい?
うつむいた釣鐘型のお花を下から写すと
ホタルブクロ キキョウ科の多年草
絵本には、「やさいのおなか」「やさいのせなか」「まどのむこうのくだものなーに」など昔からずーっとおこさまに大人気のシリーズがあります。
野菜や果物の切り口や影、表面から想像する参加型の絵本。
ワタクシも子どもに戻ってちょっと気になった庭にあるお花の中を写してみました。
おまけ↓
フリージア・ラクサ アヤメ科の球茎顕花植物の小さな種
いつの間にか樹の根元で咲きだした可愛い花。
手賀沼ぞいに東西に延びるまち、我孫子。
今回は、ちょっと図書館司書らしいコースを歩いてみました。
橋上駅の我孫子駅の改札を抜け右に降りるとインフォメーションセンターがありました
昨年の5月には、我孫子駅からJR成田線に乗り換えて湖北駅から将門伝説を訪ねて歩きました。
https://blog.goo.ne.jp/osiruko001/e/0ea8abfd61a059ce36ef44e0b5a934f6
あれから1年、仕事も週3日となり、減る出勤日に増える自由時間と年齢、体重という日々。そこで、また、ぶらぶらと我孫子に向かいました。明治時代末頃、我孫子は「北の鎌倉」と呼ばれるほど風光明媚な土地で、当時は白樺派をはじめ多くの文化人達が、その自然を愛し、住まいを構えていました。そんな我孫子の自然は、手賀沼をはじめ今もその面影を残していました。
まずは、インフォメーションセンターで「ABI ROAD」という観光案内をゲット
インフォメーションセンター「アビシルベ」の向かいには県立「けやきプラザ」がどーんと建っています。「けやきプラザ」11階の飲食施設は、平成25年度末で閉店し、いまはフリースペースとして開放されていました。11階までエレベータで上がって我孫子の景色を一望できます。冬は富士山や筑波山がきれいに見えるというお話でしたが、ワタクシたちがお邪魔したときは猛暑で景色もなにやらかすみがちで残念。
けやきプラザ1階には福祉ショップ&軽喫茶「ぽぽら」があり、ランチはコーヒーが1杯までおかわりできました(ラッキー!!)
けやきプラザを出ると道を挟んでイトーヨーカ堂我孫子南口店(イトーヨーカ堂が我孫子には2店舗あるんですね)があります。ここは、かつて山一林組の工場だったということです。同工場は1906年(明治39年)に建設された生糸工場で、明治時代我孫子では唯一の近代的な生産工場であったところ。最盛期には300人あまりの工員を抱え5000貫の生糸を生産していたそうで、志賀直哉の「和解」にも登場しています。
1925年(大正14年)建立の「蚕霊塔」が養蚕、製糸が盛んだった時代を今に伝えています
なるほどイトーヨーカ堂の隣の公園には、桑の葉も茂っていて、養蚕が盛んだった頃が偲ばれます。我孫子は常磐線と成田線開通で集散地になったため、長野県岡谷市の製糸会社が進出。千葉県における最大級の器械製糸工場だったと説明されています。やはり鉄道が通るというのはまちの活性化のために今も昔も大きなことなんですね。
もとの敷地の一部である公園の車止めは蚕の繭をイメージしたんですね
観光案内を手に駅前を歩いていると、あちたこちらに文学の散歩道の案内板や名所旧跡の説明板が設置されていて、「あの茅葺の大きなお屋敷はなんだろう?」「この西洋風の豪邸はなんだろう?」と、ついついキョロキョロしてしまい、他人様のお宅にスマホのカメラを向けそうになって「いけない、いけない」と観光マナーを守って自粛するワタクシたちです。
あちらこちらに文学の散歩道や我孫子宿の案内板などがあります
杉村楚人冠記念館とその公園を散策。大きな樹が茂り、木蔭があってホッとします。土地の高低を利用した庭など坂も多いのですが、ところどころにベンチがあり休憩できます。明治から昭和まで東京朝日新聞社で活躍した国際的ジャーナリスト、杉村楚人冠が明治45年に別荘を設け、関東大震災ののち昭和20年に亡くなるまで過ごした場所です。大正11年建築の「澤の家」と、大正13年建築の母屋があります。
楚人冠が好んだ椿が多く残っています。つつじ、さんしょうばら、夏の梅などを愛でながら散策
NHK大河ドラマ第58作『いだてん』。幻となった1940年東京五輪の招致を成功させ、日本スポーツ界で「オリンピックの父」と呼ばれるのが、同番組で役所広司さんが演じた講道館柔道の創始者・嘉納治五郎。記念館と公園があり、東屋には我孫子に残された嘉納の書「達必力」「鏡為人以」もうっかり見逃しがちなところに飾られていました(東屋の屋根の内側)。
嘉納治五郎の像には建立に寄付された市民の名が刻まれていました
当時は手賀沼の景色を間近にみることができたといわれていますが、この日は……残念
手賀沼公園北側にある文豪たちに愛された「天神坂」。住宅街に囲まれ、鬱蒼と茂る木々の間に細い階段が伸びています。この地に天神様があったことから天神坂と名付けられたそうで、大正時代にはこの坂のすぐ下まで、手賀沼の水があったため、創作活動の拠点としていた志賀直哉や武者小路実篤らが、小舟でここへ乗り付け、坂を登り、三樹荘へ集まることもあったとか。文豪たちに愛された坂道は現在、手摺もついており、ワタクシたちにも、とても歩きやすくなっています。
青々とした竹林に囲まれ、とても気持ちがよく「北の鎌倉」といわれる所以がわかった気がします
天神坂を降り切ると、そこは手賀沼ではなく、現在では舗装された道になっています。周辺を見上げると、土地の起伏を利用したかつての文豪たちの住まいが偲ばれます。いまも大きなお宅が多く、そのひとつに大きな『大正煎餅』というお煎餅屋さんが目に留まり、ワタクシたち「お土産は土地の人々に愛されている美味しいものが一番!」と早速店内へ。
店内では「木川商店 大正煎餅」という伝統を感じる紺染めの暖簾が出迎えてくれました
志賀直哉は、大正4年、柳宗悦の勧めで手賀沼の畔に移り住み、大正12年まで我孫子で暮らし、同時期に同地に移住した武者小路実篤やバーナード・リーチと親交を結んでいます。書斎は志賀直哉本人が設計に深く関わり、我孫子の大工・佐藤鷹蔵により建てられました。この書斎で志賀直哉は多くの作品を執筆しました。
緑陰に囲まれ、軒先に腰掛けてひと休み
我孫子の白樺派の歴史を後世に伝えようと、日本オラクルのCEO・佐野力さんが設立し館長に就任したのが白樺文学館です。平成20年度に我孫子市に寄贈され、平成21年4月から我孫子市白樺文学館として運営されています。1階の中展示室には柳兼子(柳宗悦の妻)が晩年愛用したピアノをはじめ文学館の所蔵品を展示。1階の図書室では雑誌「白樺」の復刻版をはじめ、白樺派民藝運動関係の書籍を閲覧することができます。2階は大展示室で、テーマ展や企画展が開催されていますが、館内は撮影禁止のため外観だけ。
文学館のスタッフの方がとても親切に説明してくださって感激!!
この日は暑くて、アップダウンの多い我孫子を歩き、万歩計では約1万歩で音をあげてしまいましたが、この次はもう少し涼しい日に山階鳥類研究所や水の館、手賀沼公園なども散策したいなと考えつつ帰路につきました。
きょう5月21日(日)発行の広報ながれやま一面に図書館が紹介されました
流山市内には7カ所の図書館と2か所のピックアップセンターがあります
森の図書館「よみきかせえいご絵本ライブ!」
サンコーテクノプラザ南流山地域図書館「わんわんふれあい教室 AAEプログラム」
「森の図書館」勉強しnight