再会した人々@2019簗場生活

2019-07-30 21:27:39 | ヤナバ生活
山荘暮らしを始めた昨日から今日にかけて出会った人々を紹介してみよう。

1. 囲碁の師匠

 80歳を過ぎて海ノ口の高台に建てられたログハウスで一人暮らしをされている。 昨年には6本も歯が抜けたそうで、普通なら発音が不明瞭になるとおもうのだが、はっきり聞き取れる言葉を発している。

 大町に向かう途中で、「なにか必要な買い物は有りませんか?」と電話して、リクエストのあったレタス一玉と大きいボトルサイズのカルピスウオーターを大町市内のスーパーで購入。 それを届けたついでに一局打ってからおいとました。

 その帰り際「ブルーベリージャムを作りに泊りがけで友人が泊まりに来るから、明日から三日ほど邪魔だから来るな」と申し渡されたのは残念です。

2. ショージ君

 言わずと知れた山荘オーナー、 自宅から車を走らせて冬場に備えて薪作りなどの為に山荘にやって来ていました。 そして僕が東京に居るあいだに発生したスマホのトラブル(LINEなど幾つかのアプリのアイコンがスマホ画面から消えてしまって使えない)件については、「自力でスマホのシャットダウン後、再立ち上げしたら解決そた」嬉としそうに報告してくれました。

 そして一番暑さが厳しい午後の時間帯に「ちょっと青木湖へ行って泳いで来る」と出かけて行き、 「ああ、スッキリした・・・」と戻って来て、 夕方には自宅へと帰って行きました。

3. 安曇野生活で知り合になったおばさん

 安曇野生活当時、借家から仁科神明宮への散歩コースの途中に人の好いおばさん夫婦の暮らす家はあって、母屋の前の庭には数坪の家庭菜園を作っていて、通りかかる僕に収穫物を分けてくれたのです。 その家の前に到着した時、 おばさんは畑で除草作業をしていて「こんにちわ」と声を掛け、東京から用意して来た手土産を渡したのですが、 またまた家庭菜園の収穫物(トマト・ピーマン・キューリやササゲなど)を頂いちゃいました。


4. むつみ亭のおばちゃん

火曜日の今日は大町市内の囲碁村会館で囲碁が打てる日だ。そこで市内の食堂・むつみ亭へと出かけて行った。 「おばちゃん、タナカです」「今年も来ました宜しくお願いします」厨房と客席を仕切る暖簾を少し持ち上げてそう声を掛けただけで、昼飯の日替わり定食の注文は通りました。

 その時、「おやっ?」と思ったのは、いつも一人で厨房を仕切っていたのに、別のおばさんも働いていたことでした。 僕の声を掛けたから出てきた訳じゃないけれど、客席に顔を出したおばちゃんが問わず語りに話してくれた。 「去年脳梗塞で倒れてせ、 1ヶ月も店を休んだだよ」、「最初は片方の腕が動かなくなったけど、リハビリで動かせるようになってせ、料理を作れるようになって、こうやって店も再開してるって訳」、「だけど今もお客さんの席まで料理を運ぶのが難しくてね」、「それで姉さんに手伝って貰っているんです」 とのことでした。
 
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棋書も積んでヤナバにGo!

2019-07-29 05:09:37 | ヤナバ生活
 梅雨明けが遅くて出発も遅れたが、 いよいよヤナバに向けて車を走らせる日が来た。 紀伊半島に上陸した台風六号は東京に影響を及ぼす頃には大した事の無い低気圧に変化して雨雲の本体は昨日の午前中に本州東海上へと抜けてくれました。 

 土曜日に藤岡まで車を走らせた際には圏央道、 そして関越道でも事故渋滞が発生していて、 「午後のお別れ会開始時刻に間に合う様に到着出来るか?」大分気をもんだものでした。 


 陽が出て暑くなる前に、これから安曇野ICまで出発です。

 例年通り、 棋書も積み込みましたた。 しかし、 これまた例年通りほとんど読み終える事の無いまま持ち帰ることになるでしょうが、 それでも良いのです。

 8月初頭の長岡花火大会、 当日の気象予報を確認してですが、 2日・3日の何れかの夜には花火見物するべく、 ヤナバから長岡へ向けて車を走らせます。
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召天式に出席

2019-07-28 08:44:45 | タナカ君的日常
 2週間ほど前に家族葬が執り行なわれた従兄弟の<< 召天式 >> なるお別れ会に出席して来た。 

 工務店を営み材木等の建築資材を保管する小屋掛け施設も含めた敷地の一隅には小さなキリスト教の集会所を設け、 夫婦揃って活動していた従兄弟、 葬儀の一環である召天式は当然の事ながらお寺の坊主は来ず、仏式とは異なる形で執り行われた。

 野次馬であってはいけない儀式だが、 僕の人生の中で初めて体験するキリスト教信者の葬送儀式。 その様子をざっと記録して置く。

 式は自宅にほど近い一般葬儀場で行われ、 参列者は160名を越えた様子。 その参列者の大半の服装はいわゆる黒式服に黒いネクタイの男性と女性は真珠のネックレス姿をしていた。


 参列者の人数が多く、 式場の駐車区画は車で一杯。 開始時間近くなってから到着した我々は区画線の引かれていない空きスペースに駐車した。 そして準備されていた椅子席の数も不足していて、 式場の従業員さんが、 椅子を追加配置すべく動き回っている最中だった。

 参列者の人々は故人とどの様な関係の人々か? 正確には判らないが、 多い順に並べてみるとキリスト教活動での仲間、 工務店での仕事関係者、 地元中学校などでの同級生、 僕たちの様な親族などであろうか。 賛美歌を歌う際の式場前方の座席方向から沸き起こる声量の多さ、 故人を偲ぶ長めの話の最中に話しの内容までは判らないもののベチャベチャと喋くる後方の席に座ったグループ(地元同級生?)からの雑音、 そんなあれこれからの推量です。

 参列者には葬儀の式次第が記載された六ページの冊子(Top写真)が配られたが、 準備した冊数では不足したようだ。 その2ページ目に記載された次第を羅列すると以下の様である。

 開式の辞、 賛美(1)、祈り、 聖書朗読、 故人を偲んで、聖書から、賛美(2)、祈り、 親族挨拶、 閉式の辞、 献花。

 故人を偲ぶ話をされたのは宗教活動の仲間、 仕事での協力関係者などであったが、 いずれも時間を長く感じる話し方をする人達だった。 「キリスト教の小さな集会所を主宰する人なんて、話慣れしているだろうし、 それなりの声量の持ち主」であろうと勝手に想像していたが、 思惑外れで、 同級生のグループと思しきグループが私語を始めてしまう気持ちも判らないでも無かったです。 違和感を強く感じたのは故人への呼びかけに「さん」では無くて「兄(ケイと発音)」を使う事もありました。 耳慣れない言葉・・・それが一番の違和感の元ですね。 その呼びかけ言葉が集会所を運営する人達の間の決まりごととしても耳に聞こえる言葉としては脳内にスッキリとは染み込まない。 例えば僕への呼びかけとして「タナカケイ」と呼ばれる様なものでね。 ちなみに付き合いのある集会所なるもの、 前橋市や渋川市そしてお隣の県の深谷市などにあるみたい。

 そうそう、 僕と血縁の近い参列者の多くは式場の最前列の位置に座っていたようです。 献花が始まって最初の頃にその立ち上がった姿を視認しました。 僕たちに献花の順番が来るころにはとっくの昔に式場を離れてしまいましたから。 一言も言葉を交わすことは有りませんでした。


献花


前列から順に献花は開始され、 今は仕切り壁のある後方に
これから献花の順番待ちする参列者が残された会場の様子


 参列者へのお返しの品に同封されていた遺族の挨拶状
 お清めの塩も封入されていた。
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大草原の小さな家の録画

2019-07-27 07:50:23 | タナカ君的日常

 「大草原の小さな家」の番組は土曜日・朝の8時半から放映が始まる。 このところテレビの前で直接それを見て居たのだが、 今日は従兄弟のお別れ会に出席するために9時台には車を走らせている。 そこで録画することにしたのだが・・・

 録画ユニットの電源モジュールが見つからない。 録画なんて3年前に三銃士の番組を録画して以来していないものだから、 きっと待機電力を削減しようとする僕のケチな根性が録画用HDに電源供給するDC12V電源モジュールを取り外したまま、 最近頻発し始めている物忘れ症候群は、それをどこに置いたか忘れてしまっているのです。

 そんなこんなで録画予約のセットアップが完了するまで探しもので20分近くも無駄な時間を費やしてしまいました。

 さて番組ですが、 あまりにも理想的過ぎる感のあるインガルス一家の人々、 それだけだったら物語は退屈なものになるかも知れないが、 小さな町で雑貨屋を営むオルソンさんの奥さんやその彼女に育てられて高慢ちきに育った娘のネリー、 色々な人間が登場する物語。 素敵な番組です。 若かった頃にもこの番組は見ていたが、 幌馬車での旅から定住を開始する最初の時期の放映は見ていなかったので、 新しい番組の様に新鮮な気分で楽しみに観ています。
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ヤナバへの出発予定@2019

2019-07-26 09:14:26 | タナカ君的日常

 青い夏空が広がった今朝、 山荘オーナーのショージ君にLineで「ヤナバへ週明けの月曜日から出発予定」と連絡を入れた。 

 今朝は久しぶりの盛大な青空が広がったが、 東京の梅雨明け宣言は未だ出ることはなさそうだ、 だって週末には台風に格上げされた熱低が中部から関東付近に上陸しそうですからね。

 出発を月曜日にした理由は台風接近の悪天候の他に、 先日亡くなった従兄弟のお別れ会が明日行われる予定が入っていますので。

 蒸し暑かったこの3日間。 敷布団の上では安眠出来ず、 フローリングの床に何も敷かず、 枕を頭に当てるだけで就寝する夜が続きました。 ヤナバの山荘に行けば敷布団と毛布、 場合によっては掛け布団も必須なほどの涼しさを通り越して寒い夜に出会えます。

 僕が東京を離れる間、妻は同行しません。 独自の交友関係と社会的つながりの中で生活しているし、 「東京の家を守る」必要がありますから。 << (「守る」なんて表現は不適切だと想いつつ記載しています)

 だって、 出ていく僕を送り出す妻の言葉は
「いつまでも出来るだけ長く、 ヤナバに居て下さい」
「あなたが居ないほうが、私は気分良く家で過ごせますから」

 ・・・・・ ですからね。
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Windows10起動時間 180秒 > 120秒

2019-07-25 08:24:40 | PC & Soft

 妻の使用するラップトップPCはDELL製でOSはWindows10。
 そのWindows10のOSの重さはパソコン情報誌では発売当初から取り上げられ、 今もその対応策を載せた記事の特集があったりする。 それで「Boot Racer 」なる無料版のユーティリティソフトをDLしてインストール、 それを使用して立ち上がり時間を測定してみた。 結果(Top写真)は、 なんと180秒もかかっているとの結果が出た。

 ちなみに僕がメインで使っているデスクトップPCは同じくDELL製、 OS Windows7 では起動に要する時間は最速20秒を切り、 多くの場合30秒以内に立ち上がる。

 Microsoft社に依るWindows7のサポートは 2020年1月に終了とアナウンスされているし、 いずれ僕のPCもハード的な寿命も来る。 その時にどうするか? 考える様になりました。



 そこでまず 図書館に出かけて ”Windows10は初期設定で使うな!” そんなキャッチコピー等が表紙に載った「日経PC21」誌4冊を借り出し、 妻のPCに適用して立ち上がり時間がどの程度改善されるか確認して見た。

 結果は従前の数値と比較して30%(1分)ほども立ち上がり時間は短縮出来たものの、 まだ2分近い時間がかかります。

 そのスタートアップ時間短縮を目指して行った作業、大きく分けて以下の3分野の項目に変更を加えました。

1. セキュリティソフトはMicrosoftのディフェンダーを残し
   McAfee は削除することにした。

   McAfeeはOfficeが組み込まれたPCを購入当初(2年ほど前)から搭載されていたと想うのだが、定かでは無い。    ※ 1


2. スタートアップ アプリの停止数を増加。



3. バックグラウンド アプリの停止数を増加。


 以前、僕のWindows7のPCで立ち上げ時間短縮を試みた時にはBootRacerの持つ、 OSが立ち上がった後に常駐するソフトが順次組み込まれる様子とその所要時間のログを表示してくれる機能とその停止 を利用した。 

 例えば僕はデジカメ用の編集ソフト「OLYMPUS Viewer」を組み込んであったが、 それはデジカメをUSBケーブルでPCに接続しただけで、 そのカメラメーカーが供給するアプリが自動的に立ち上がったり、アプリのバージョンアップ情報をバックグラウンドで取得する機能が常駐する様子が見て取れた。

 僕にとって、デジカメからPCへ画像を取り込む作業、マウスの操作でそれが行えれば十分で、 「何もケーブル接続するだけで、 ソフトが自動的に起動する必要性は無い」 そう判断して常駐を停止させましたが、 それで2秒ほどの時間短縮につながったのです。

 妻のPCに対する今回の作業ではOSの持つ設定メニューで内部のスタートアップアプリとバックグラウンドアプリに対する一部機能停止をするに留め、BootRacerに依る詳細な情報は使っていません。 だからもう少し立ち上がりを短め対象は残っていると想像しています。 しかし、 2分もの立ち上げ時間、 HDからSSDの変更でもしないと、 劇的な時間短縮は望めないかな? 


 ※ 1 

 McAfeeのアンインストールはコントロールパネルの「プログラムと機能」ダイアログウインドウでソフト名を選択してアンインストールを開始させたのだが、 作業経過を示すプログレスバーが50%ほどの位置で停止したまま全く進展を見せなかった。 2~3分ほど様子を見たが変化無し。 原因が判らぬまま、 画面に出ていたWindowをマウスのポインターでいじっていたら、 なんとプログレスバーが組み込まれたウインドウの背後から



お待ち下さい。本当にアンインストールしますか?
 そんな文字が記載され、 [ アンインストールする ] と書かれたボタンが組み込まれた小さなダイアログウインドウが姿を現した。(いやソフトを削除させたく無いから隠しておいたのだろう)

 普通なにかの確認を求めるためのボタンを置いたダイアログウインドウを設計する場合は他のウインドウを押しのけて最前面に表示させる様に設計するものでしょうよ。


    せこいぜMcAfee
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蝉は鳴けども夏は来ず@2019

2019-07-23 07:34:12 | タナカ君的日常
 ここ2・3日、 家の近所で蝉の声を聞く様になった。

 そのセミは抑揚の無いまま

ジィーーーーーーーーーーーーーーーーーー

と連続音を出し続ける嫌らしい奴だ。

 ミンミンゼミやヒグラシの様なリズムを持った鳴き方をする蝉は好きだけど。 こいつの発するほとんど途切れることの無い高い連続音は気分的にイライラする。 そんな蝉の声が聞こえたり、 水色の爽やかだったアジサイも色の脱色が始まり(Top写真)、 季節は進んでいるはずなのに、 今年は暑い夏の空が広がらず、梅雨はまだ明けていない。

 そんな昨日、 傘が無くても濡れて困るほどで無い小糠雨の中をお気に入りの緑道を散歩した。 緑道の植栽の表面付近には食料確保を狙う蜘蛛がたくさん巣を張っているのだが・・・ 小さな羽虫の一匹も捉える事の出来ないまま。水滴にまとわりつかれて姿を顕にしていた。


植栽上の蜘蛛の巣


蜘蛛の巣に接近


蜘蛛の糸に付着した水滴

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カ カッ カッ カッ カッ カッ カッ

2019-07-22 07:21:48 | タナカ君的日常
 ウグイスの谷渡りと呼ばれる啼き声は「ケキョ ケキョ ケキョ ケキョ ケキョ 」だが、  我が家の周辺で啼き声を響かせているカッコーも似たような感じてタイトルにした文字列の鳴き方をしてみせる奴が現れた。 今までだって、 時折「アイツ訛っている」と感じる鳴き声を発するカッコーも居たが、 今年聞く調子外れのこの鳴き方は初めての経験です。 ICレコーダーで録音しようかと思っているのだが、 それが未だ行方不明で見つかって居ないのだ。

 僕は目を覚ましたばかりで、家の中で新聞を読んだり、お湯を沸かしたりの最中には正当なカッコーの鳴き声が聞こえると、 頭の中で連続鳴き回数をカウント(今朝の最長連続鳴きは14回だった)しているのだが・・・

 突如 ”カ カッ カッ カッ カッ カッ カッ”と突拍子もない鳴き声を響かせる時があるのです。

 そして今朝の新聞、

 与党が改選過半数 と大きなフォントで踊り

 小さなベタ記事で 「投票率24年振り 50%切る見込み」だとさ。

それを見て僕の口から出た声は 「ケッ!」 の一声。

 「ワタシ、セイジノコト、ヨクワカラナイカラ」 そんな言葉をテレビのインタビューに返し、投票に行かない理由にしている人達(若者)。 今の生活にそこそこ満足していて、 「今の政権与党のままで良い」そう感じているなら、 それでも構わないから政権与党に投票したらどうなのさ。 きっと正々堂々と軍隊を海外に派遣して世界平和に貢献する、 今より立派な国にしてもらえますから。 そして行き着く先には「京アニ」の建物放火で発生した死者よりもっと豪勢な死者数が発生する国に向かって突き進んむことでしょう。
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異常なアクセス数@21July2019

2019-07-21 11:02:21 | タナカ君的日常
 ブログ記事を投稿する編集画面の中で、ブログを見てくださる方々に関する情報の幾つかのデータ(個人情報は全く含まれない)を見る事が出来る。 [アクセス解析]画面での時間帯を横軸に、閲覧者数を縦軸にしたグラフ(Top画像)もその一つです。

 10時台に発生している11件ほどの飛び抜けて高い数値は新規に投稿された記事を自動的に収集するためにGoogleやYahooなどの検索サイトのロボットがアクセスした結果生じている物です。 新規に記事を投稿して2~3分後にはこの様なピークが必ず発生しています。 そして普通は縦軸には1~2程度の高さの棒が並んで表示される場合がほとんどなのです。



 ところが今朝、 夜が白み始めた時間帯にとんでも無い100件を超える数のアクセスがあった事が記録されていました。 僕の編集画面へのログインが午後になっていたら目にする事の無かったデータです。

 思わず [ Prt Screen ] ボタンをポチり、 こうやって今日のブログネタにさせてもらいました。 通常発生するグラフの縦軸は書き入れた灰色の四角いラインで囲った数値の範囲なんですがね。

 さて、 参議院選挙の投票に出かけて来ます。
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入れ歯を探してゴミ箱あさり

2019-07-20 11:21:09 | サラリーマン人生
 僕のサラリーマン人生の中に転職経験(勤務する会社が変わる事)は一度あった。 その後に同じ会社内で所属変更となる状態は数多くあったが、 その一度目の転職活動の時期に夕食に立ち寄った食堂の調理場の食材くずや残飯を放り込んだ大きな青いポリバケツの中から入れ歯を探すなんて馬鹿な事をやった想い出が50年以上も経過した今も鮮明に残る。

 時は昭和43年2月、 新聞に掲載された募集広告を見て応募の書類を提出し、 面接を翌日に控えた前の晩の事だった。 今も山歩きや山菜採りなどの付き合いが続く、 同期入社したSさんと一緒に荻窪駅近くの食堂に立ち寄った時の話。

 武蔵小金井から新宿を経由して高田馬場駅に至る通勤電車の混雑にウンザリしている事や会社の仕事が面白くなくなっていて転職を考えたこと、 明日には面接がある事などを話題にしたはず。

 食事を済ませ、 荻窪駅へと戻る途中、 上の前歯を抜歯した箇所に暫定的に取り付けてあった入れ歯1本を食事に邪魔だったから食事の皿の上に外して置き、 そのままを食堂を出てしまったのに気が付いた。

 Sさんと一緒に店に戻り、「かくかくしかじか」、「 食事のプレートの上に入れ歯が残って居なかったか?」 と店の人に聞きました。 返事は「気が付きませんでした」、 「皿に何かあったとしても、残飯として廃棄したはず」とそっけない。

 明日の面接に歯抜けの顔を晒すのは困ると思った僕は「残飯用のポリバケツの中を探させて下さい」とお願いした。 店の人は面倒な奴と想ったはずだが、 残飯や食材クズを入れた40リッターサイズのポリバケツと水切り網の役目をするプラスチック製のザルを貸してくれました。

 台所の一隅でポリバケツの中の物を表面から少しづつザルに入れては入れ歯探しを始めました。 残飯を掻き出しては入れ歯が無いか調べる作業を続けました。 店を出たのは数分前だから、 バケツの一番下まで入れ歯が落ち込む事は考えにくい。 一緒に入れ歯探しに付き合ってくれて居たSさんにも申し訳ない気持ちが一杯になりました。 バケツの中全量を確認するのは途中で止めて、 お礼を言って店を後にしました。

 翌日の面接、 採用部署(開発本部・電気研究室)を担当する役員・室長・室員と人事課長、 4名が居並ぶ前での面接でした。 とにかく、 当時24歳だった歯抜けの僕は採用されました。  そして、 その後の40年ほどの2度目のサラリーマン人生が始まったのでした。

 失った入れ歯ですが、 それを作ってくれた新宿駅ビルの上階にあった歯医者さんに引き続き通院し、 転職日となる4月1日よりもずっと前に 「これで一生使えますよ」と差し歯を作って呉れました。 その差し歯はその後の人生を僕の口の中で過ごしています。 このまま棺桶に納まる日まで一緒に過ごすことでしょう。 
  
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