なんでそうなるのか

青森県八戸市で公務員試験塾オクトを主催する岡政也のブログです。

ありのまま

2019-02-28 16:14:51 | 日記
人の心が善良であることを期待して計画すると後で破綻する。
もちろん信じていい人はたくさんいる。
裏切られるから破綻するのか。それもあるが、それより怖いことがある。
独善的になることだ。
善良なることを前提とする自分の考えが間違っているわけがない、間違っているとすれば相手の方だ。邪悪な心を持つ相手は倒さねばならない。
と、極端な排除の思考パターンに陥ること、これが一番怖い。

人が心が善良であるか否か、は実はどうでもいいことだ。ありのままにとらえればいい。
言葉で規定してしまうと、ありのまま、に耐えられなくなる。そしてムリが生じる。



バラバラ

2019-02-27 15:55:57 | 日記
言っていることもやってることもバラバラ。当然信用を失う。
一貫性が必要だ。だがそれにはエネルギーがいる。ほかっておけばバラバラになる。エントロピーは増大するものだから、本来、バラバラの状態に向かっていくものだ。
興味関心の赴くままに、は結構だが、発言意見、行為行動など、バラバラだと迷惑がかかる。老いて弱ってからなら仕方ない。でもそうなる前、元気なうちは、エネルギーを使って考えも行為も、できるだけ収束させ一貫性を保つようにしたい。バラバラでは迷惑がかかる。

対話

2019-02-26 15:59:36 | 日記
対話には限界があるとおもう。何でも話し合って、相手の話を正しく理解し、双方が納得できる結論を共有する、というのは夢のような話だ。実際に夢で終わることがほとんどだ。
対話しても、相手の話を聞いて、正しく聞いて、そのうえで自分の見解を述べる、ということをだれがしているのだろう。交互に話したいことを話して終わり、がほとんどではないか。
だが、対話には、それでも意味があると思う。顔を突き合わせて話すことだ。顔を突き合わせて目線を合わせて話せば、理屈以外のいろいろなものが動く。これがでかい。この重要性に比べれば話なんて付属品みたいなものだ。
誰かを動かし、動かされたいのなら大いに対話するべき。一方、正しく考えるために対話は、必ずしも有効ではない。有効な場合もあるが、注意が必要だ。

デタラメ

2019-02-25 17:15:21 | 日記
デタラメをやって通用するか、と言えば、まず通用しない。
そんなに甘いはずがない。

ところが、なぜか通用してしまった人、なら、世の中にいる。
通用してしまったものだから、なぜか発言力があったりする。
非常に困ったことだ。だが、事実だ。

そして、そのような例をみて倣うと、本当に悲惨なめにあう。いっとき、ほんの一瞬はいいかもしれない。
だが、後で本当に悲惨なめにあう。

デタラメをやっても通用している人が世にいる。だが、デタラメをやっても通用しない。
完全に矛盾しているが、自分がデタラメをしない、戒めとしたい。

見た目

2019-02-24 16:27:30 | 日記
見た目の美しさに惑わされるな、とは聞く。
だが、見た目の美しさを作り出しているものは何か、ということを考えねば自由になることはできない。
偶然に造形や色合いが良かったから美しい、と感じるわけではないだろう。
色や形以上の訴求力があるから、つまり視覚や聴覚以外の感覚に訴える力があったり、心の中の何かのスイッチを作用があったりするから美しい、となり、心を奪われる。
見た目の美しさはそれほど薄っぺらいことではない。心をとらえるだけの何かがある。