なんでそうなるのか

青森県八戸市で公務員試験塾オクトを主催する岡政也のブログです。

思い込み

2019-08-31 18:52:44 | 日記
忘れられないことを、何度も何度も思い出し、考え、その時の感情をよみがえらせていると、やがて、実際の出来事からは乖離し浮遊して、別物になっていく。
幾重ものおもいこみ、思いれ、勝手な解釈、が現実にあったことと混ざってきて、別物になる。心のうちにしか存在しない、心のシミのようになっていく。
だから、鮮明に覚えていて、何度も考えていることほど、本当にそうだったのか疑ってかかった方がいい。自分以外の人の証言はかなり有効だ。それが無理なら、その時の世の中の記録を読むだけでも違う。
そのとき何があったのか、案外覚えていることと食い違う、のではないか。


足りないもの

2019-08-30 17:04:06 | 日記
足りないものを満たすのは簡単ではない。


まず、気づかない。気づかずに一生を終えるのならそれでもいいが、いつか足りないことに気づき、足りないことを嘆く。そうならないように早く気づけばいいのだが、なかなか気づかない。
次に、気づいても、まあいいか、と思ってしまう。それで一生を終えるのならいいが、いつかそれではダメだ、と思うようになる。
さらに、何とかしようと思い立って行動に移しても、なかなか埋まらない。いつまで永遠に埋まることはないのでは、と思えてくることは珍しくない。


以上を乗り越えれば足りないものを満たすことができるのだが、まあつまり、生涯をかけて取り組まねばならない、ということだと思う。


昭和の話

2019-08-29 16:48:13 | 日記
昭和の話といえば古い話だ。古いから聞くに値しないか。そんなことはないはずだ。細かい部分はいろいろ変わっている。流行りも好みも、昭和と今ではだいぶん違う。それでも人が喜び、怒り悲しむことがそんなに違うわけでない。昭和大正明治江戸、奈良平安の時代だってそれはそんなに変わらない、と思う。だから、侮ることはできない。本質を突く話なら、いつの時代の話でも耳を傾けるべきだ。もっとも、本質からそれる話なら、聞き流してもいいと思うが。

信頼関係

2019-08-28 20:03:53 | 日記
聞かれてすぐに答えられないのなら、言い訳を考えている可能性が高い。
普段から考えらえないような立派な理由なら、本当ではない可能性が高い。でも、まず疑ってかかるのも、どうかと思う。
だから、引っかかる部分があっても、一呼吸おいて、判断する。また、疑うということも、悪いことでもないし、信用していない、というわけでもない。可能性の追及はどのような信頼関係にあっても必要だからだ。



歴史的偶然

2019-08-27 16:16:28 | 日記
歴史的、というだけでも結構怪しい。
歴史的必然、となれば、怪しいどころかあからさまなウソだ。


歴史はいかようにも解釈できる。
自分が見たいものだけ見て、見たくないことは見ない、のもたやすい。


次に何が起こるか、は、わからない。誰にもわからない。どんなに歴史を学んでみても、未来を予測できるわけではない。
必然、など、ないのだ。流れ、ならあるかもしれない。それは波のように現れて消えて、を限りなく繰り返していく。


歴史を学ぶことは極めて重要だと思う。そして、歴史という言葉、特にプロパガンダに惑わせられないようになることが、すごく重要だと思う。