批判することの快楽は麻薬のようだ。
そこにほんのわずかの「正しさ」を見いだした、と思ったら大手を振って人を責める。
それは対立しか生まないのに、批判することで自分が高まるわけでもないのに、そうすることでしか救われない何かがあるかのように、批判に没頭する。
それはもはや、他責障害とか他責依存という造語を当ててもいいのではないか、とすら思う。
もちろん何かを作り出すため、改善するため、の批判は必要なのだが、この武器を手にするには資格認定が必要なのでは、とすら思う。
そこにほんのわずかの「正しさ」を見いだした、と思ったら大手を振って人を責める。
それは対立しか生まないのに、批判することで自分が高まるわけでもないのに、そうすることでしか救われない何かがあるかのように、批判に没頭する。
それはもはや、他責障害とか他責依存という造語を当ててもいいのではないか、とすら思う。
もちろん何かを作り出すため、改善するため、の批判は必要なのだが、この武器を手にするには資格認定が必要なのでは、とすら思う。