なんでそうなるのか

青森県八戸市で公務員試験塾オクトを主催する岡政也のブログです。

昔読んだ本

2019-01-31 17:01:33 | 日記
子供のころ読んで面白かった本やマンガはみな名作だ。少なくとも読んだ当人にとっての名作だ。
だがそれを、大人になってまた読んで面白いか、というと、面白いとは限らない。面白いものもあるが、色あせて感じる作品もある。
作品の価値が時代とともに変化している、ということもあるが、それより本人の変化の方が大きい。
子供のころ興奮して読んだ本は、考え方、思想、人格を形成する重要な要素となっているが、いろいろ混ざり合って一人の人格を形成する。
だから、読んだ時と今ではかなりの隔たりがある。
その隔たりを意識し、なぜ今は面白いと感じられなくなったのか、を考えるのは面白い。すると、昔の名作をまた読むのははずれがない、ということになる。

欠点

2019-01-30 18:02:58 | 日記
欠点がうまい具合い露呈しないこともある。ラッキーだ。でも、本当にラッキーか。
痛い目にあわなかった、ので、何とか欠点を克服しよう、という気持ちにならない。結果として、欠点は欠点のままだ。

欠点は克服するに限る。だが、克服できないからこそ欠点であるともいえる。
その場合はどうすべきか。
欠点が露呈しないように先を読み計画を練り、作戦を立てる。ウィークポイントをさらさなくて済むようにふるまう。
これが成功して、欠点が露呈しなかったのなら、ラッキーではなく、成長した、ということではないか。
ラッキーに恵まれても恵まれなくても、対策は練らねばならない。

2019-01-29 16:57:53 | 日記
法律では・・・だ、という言葉は、最後の手段であり、最初に持ち出すべき話ではない。
諍いが生じたとき、最後にすがるべきラインとして法律が定められているのであり、法を考える前に、何を思い、どうふるまうか、のほうがはるかに大事だ。
法は強制力を持つ制度、であるが、本来誰だって強制されることは嫌いなはずであり、その嫌われ者を一番に持ってくるのは他者との協調を最初から捨てている、ということだ。
もちろん、「話し合って解決」というのはおとぎ話に過ぎないことも多いから、法は必要だが、法を持ち出す前にやること考えることはたくさんある。法、だけしか考えないでいると、どんどん思考がやせていく。

達人

2019-01-28 17:54:41 | 日記
達人への道は険しい。途中で誰かが「達人である」と認めてくれたら、それはそれで「達人」と言ってもいいだろうが、本質的には風説と変わりない。
意のままにふるまうことができ、自然にふるまうだけで完璧、そのような領域に到達すれば自他共に認める達人なのだろうが、本当にそこまで行けるのだろうか。
凄い人、なら確かに存在している。傍から見れば達人にしか見えない。だが、当の本人はもがいているはずだ。満足できなくて、苦しんでいるはずだ。
傍から見ていると、そのような様子は伝わってこない。それはそうだ、当の本人はまた、そのような姿を見せまいと必死だからだ。

達人への道は遠い。だが、目指す道中、通りすがりの人が「なるほど達人だ」と評してくれたならば、達人といっても、まあいいのかもしれない。フィクションであったとしても。

美徳

2019-01-27 15:57:39 | 日記
正直は美徳だ。
しかし拡大解釈は良くない。

心に浮かぶことのなかで、ネガティブなこと、下世話な本音、他人に対する誹謗中傷、そのような負の感情まであからさまに口にしていいものではない。
もちろん、そんなことは常識だ。誰だって、こうした言葉は飲み込んで他者との協調の中で生きている。
ところが、なんでもかんでも口にしていい、という考え方が、権利、という概念や、正直、という美徳と結びつくことで、パンドラの箱からあふれ出てきている。

正直であることは、お互いに気持ちよく暮らすための知恵だ。溝を作るためではない。
その解釈を誤ってはならない。