なんでそうなるのか

青森県八戸市で公務員試験塾オクトを主催する岡政也のブログです。

疑わしきは

2018-06-30 17:39:35 | 日記
疑わしきを断罪するのも内面の自由だ。せいぜい身の周りの人にああだこうだと自説を披露するのも、いいだろう。
だが、SNSなどで、不特定多数の人々に向けて発信するのはどうか。ただの独り言とも落書きとも違う。
今のところ、余程の言動ではない限り責任を取らなくてもよい。また、責任を取ることを法で定めるのも賛成できない。
だからこそ、根拠のない誹謗中傷は、せいぜい鍵付きの日記にとどめておくべきだ。

どこかで

2018-06-29 17:11:20 | 日記
消えてなくなった、と思ったものがよみがえる。 もう出てきてほしくない、ものがしぶとい。
消えてなくなった、のではなく、影を潜めていただけ、であり、そのように、タフに生き延びるものは5年でも10年でも潜伏している。

恐れていたものが目の前からいなくなった時、喜び、根絶した、と思いたい。
でもそれは、多くの場合正しくない。 どこかでタフに生き延びている。

背景

2018-06-28 17:18:26 | 日記
何かしらの所見をもつとき、自分の立場、感情、などに流されずに考えるのが望ましい。
だがそれは、実質不可能かもしれない。
囚われまい、と努力しても、どうしたって自己の利益、好き嫌い、を前提としてしまう。
実質不可能、ではなく、本質的に不可能、なのかな、とさえ思うが、それはともかく。

だから、自分自身にどのような背景があって、そう思うのか、それを自覚することが大事だし、できればきちんと背景を表明することも大事だと思う。
それがないから、惑わされる。惑わすのが目的だから表明しないのか。
どちらなのかわからないが、背景、は極めて重要であり、ネットワーク社会で情報の集積がたやすいのなら、そういうことに利用すべきではないか。

感謝

2018-06-27 16:20:12 | 日記
私は講師業を生業としているが、無人島に漂着した時、この仕事はなんと役に立たないのだろう、といつも思っている。
火をおこし畑を耕し、魚を捕まえ、ねぐらを整える能力の方がはるかに大事だ。
何が言いたいのかといえば、分業制度のおかげで飯が食えている、ということだ。
高度に発達した分業は、いったいどのように世の中に役に立っているのかよくわからない仕事をたくさん産みだした。講師業もその一つだ。

いや、今の時代、世の中への直接的寄与を明確に述べられる仕事はむしろ少ない。
だからこそ、かつてご飯を食べる時、「お百姓さんのおかげです」と、どこかの見知らぬ人に感謝をささげた、あの精神性が必要になってくる。
特に、生産点とかけ離れた仕事においては、その精神性はもっと重視されるべきだと思う。

世の中が悪い

2018-06-26 17:06:50 | 日記
社会に対する怒り、は正しいかもしれないし、正しくないかもしれない。
正しく怒るのなら、世の中を変える力になる。
正しくないのなら騒いで誰かを不快にしておしまいだ。
正しく怒るために必要なことは流されないことではないか。自分ではなく、他人の感情で腹を立てている場合が多い。
共鳴とは違う。自分の都合のため、ヒトの感情利用する、それはやめるべきだ。