AKB 48・大島優子さんの卒業発言をめぐって、様々な意見がありますが、近所のちいさいオジサンとして一言。
優子さんの卒業については、皆さんすでに気づいていたハズで、当然のタイミングでのことです。
優子さんのおばあさんのなつ子さんは、母のお友達であり、とても気持ちの良い大島家を知る1人として、無責任な批判には真っ向から抗います。
「お前が言うなよ」とのレベルも、数多く…。
怒ってる間に、年越ししていまいました、がな。
――明けましておめでとうございます。
AKB 48・大島優子さんの卒業発言をめぐって、様々な意見がありますが、近所のちいさいオジサンとして一言。
優子さんの卒業については、皆さんすでに気づいていたハズで、当然のタイミングでのことです。
優子さんのおばあさんのなつ子さんは、母のお友達であり、とても気持ちの良い大島家を知る1人として、無責任な批判には真っ向から抗います。
「お前が言うなよ」とのレベルも、数多く…。
怒ってる間に、年越ししていまいました、がな。
――明けましておめでとうございます。
今日からやっと休暇ということで、お昼近くからのランニングから帰ること、親友=小野寺健仙台市議からの着信が。
慌てて返信すると、私の近況をひどく心配されていました。
ご厚情にすがるように様々な悩みを打ち明けると、「大丈夫、おちあいさんほどやっている人はいないから!自信もって!!」との励ましを。
年末、ヴェートーベンの交響曲第9番=第9が数多く演奏されました。
『歓喜の歌』とも称されるこの曲は、玉川大学の一年生の必須であり、中野にあった大きなホールで演奏会が行われました。
「おお、友よ、この調べではない! そうでなく、もっと気持ち良い調べが 歌い始めよう、そしてもっと歓喜に満ちた調べを」――。
小野寺議員の言葉と『歓喜の歌』、共通する様々に励まされながらの年越しです。
年末オルグを今日まで引っ張った挙句、パッとしない一日に。
昨日リーフを置いてきたお宅に改めて尋ねると、「おちあいさんばかり(入会カードを)書くわけにはいかないので」と。
このお方の、ご自身の趣味のために公的施設を借りたいとの申し出を受け、少しばかり動いた経緯があります。
だからこす、もう少しマシな物言いはないのかと…。
これはもう、個人的資質のなすべきものと、諦めるほかはありません。
晦日までしゃかりきに動いたことが、私の計算ミスだったということで。
まだまだ終らぬ年末オルグのなか、「小沢一郎」というキーワードが浮上しました。
ある家庭の奥様から、「民主党は、何で小沢さんを切ったの!?私、小沢さん好きだったのに。だから、おちあいさんを応援できない」――東北訛りが見て取れるので、ひょっとしたら岩手出身なのかも知れません。
一方、後援会役員の方から戴いた入会カードを見て、驚いたことが…。
カードに記されていたのは、民主党が政権を取り小沢さんが幹事長だった頃、「小沢さん、ダーティーでイヤだわ。だから、おちあいさんの後援会も抜けさせてもらいます」――辛辣な言葉ゆえ、その後二度と尋ねなかったお宅の奥様の名前でした。
今日改めてごあいさつに伺うと、「おちあいさん、頑張って!応援してるから!!」と、満面の笑みで迎えて戴きました。
小沢一郎氏について、言及している自分に驚いています。
私が以前応援していた山岡賢次氏が小沢氏の側近だった事実はさて置き、この4年間「一日200軒歩け」との小沢ルールを踏襲し、テレビ朝日の『サンデーフロントライン』で活動を紹介されたことも…。
ハード・オルグを日常的にやれていることを思うと、ひょっとして「小沢一郎は恩人」との認識が無いわけではありません。
事実最近の私の一般質問は、街中を歩き投げかけられた、そうした声を骨子とさせて戴いています。
唯一言えるのは、一部が“小沢潰し”に固執した挙句、政権自体がが瓦解&終焉を迎えたということです。
私の足は多分、晦日の明日も止まることはないでしょう。
その歩みは、“町民生活の深淵”に近づくための一歩だからです(うまいっ!)。
今年も残りわずかとなりました。
ここ数年続けてきた唯一の趣味=ランニングも、何とか年間目標の2000キロをクリアできそうです。
2000キロを達成するには、毎日6キロを走らなければなりません。
当然、前の日の過剰な盛り上がり等々で走れない日もあり、取り戻すためには8キロを数日…。
さらに日々のオルグが加わり、足の裏はガチガチで。
「自分自身にノルマを課す」――ドMなボクにはピッタリです。
年末、倒れるまで回り続けます。
年末オルグも残り5日の今日、象徴的な2軒での出来事を――。
まずは、初出馬から支援を戴いているSさん宅で「今回も引き続きのご支援を」と奥様お願いをしていると、「あっ、朝走ってるヒトでしょう!?」との声が。
「走ってるヒト、です」と玄関の中を覗くと、あまり興味なさそうな女子中学生のお孫さんが確認できました。
そののち、留守だったお宅に再び尋ねると、年配のその女性が「お客さんが来てるから…」と、今まで見せたことのない厳しい表情で…。
「およびでない」感に、そそくさと退散致しました。初出馬より以前、(有)落合自動車のお客さんだったこともあり、多少落胆致しました。再びここを訪れることはないでしょう。
後援会の高齢化も含め、世の移り変わりに辟易する日々ですが、「走ってるヒトでしょう!?」と若い方々に認知を戴いてること、大変嬉しく思います。
残り4日、立ち止まる余裕はありません。
栃木県が生んだ、“団塊の世代”の文豪=故立松和平先生の著作のタイトルが、言い得て妙です。
連日、かなりの時間をかけ、支援者のお宅を訪ねています。“ハードオルグ”と称する、例のヤツです。
この時期午後5時を目途にフニッシュとしていますが、今日はあと1時間の同4時にトイレ休憩を。
用を足しホッとしていると、おおよそ5人の支援者の方とバッタリ。
内お二方にはその場で後援会カード記入を戴き、お一人はオルグ終了後に訪問しゲットの運びとなりました。
――ブログが日記化していますが、要するに「楽な戦いはない」ということです。
だからこそ、「寒い中、わざわざ来てもらって、ありがとう」の言葉が沁みるのです。
今のところ、あまり惨い目に遭っていないのが幸いです…。
オルグのなか、多くの支援者の方々が亡くなられていることに、改めて気づかされることがあります。
大概家にいらっしゃるのは奥さんなので、「父ちゃん、死んじゃったよ」と力弱い言葉を聞いてはじめて、「しまった!」と思うとともに、所在なき自分に猛省を促しています。
今日は、やはりお母様を春に亡くされた、私より若干若いとおぼしき息子さんから「母が…そうですか、後援会に入っていたんですね」と。二の句を告げることなく、お宅を後にしました。
やはり春にご主人を亡くされた奥様――初出馬から12年間に渡り応援戴いている方からは、「おちあいさん、申し訳ない。票が減っちゃったけど、応援するから」と激励を戴きました。
改めて、皆様の喜怒哀楽にしっかりと寄り添っていなければならない、そう思いました。
さらに、「無競争なら、出て(出馬して)みっか」とか、政治活動の裏づけなしに「今度は、前回よりも獲る」などといった、酔狂なレベルには絶対に負けるわけにはいかないとの覚悟で、胸が一杯です。
明日もまた、ハード・オルグが待っています。では、お休みなさい!
会合を重ねた挙句の定期検診で、「呑まないわけにはいかないんでしょうけど…」と先生から。
組織の皆さんとの懇親には手を抜かない方なので、「ごめんなさい」と言いうしかありません。
「選挙は辛いもの」との思い込みからか、多少お酒が残っていても、朝は早々に目が覚めてしまいます。が、そんな日は活動にみが入るわけもなく、言いようのない虚無感に苛まれることもしばしば。
そんななか、一通の封筒が郵送されてきました。中身は、後援会入会の申し込用紙でした。
「あなたの地道な活動には、いつも感心しています。引き続き、後援会に入会します」――との一筆が添えられていました。
で今日、お礼状を届けると、差出人の奥さん曰く「Oさん(後援会副会長)からカードを預かったんだけど、主人と相談した結果、(Oさん経由ではなく)郵送させてまらいました」。
感謝です。まだまだ序の口「辛い」などとは言っていられません。
ご支援戴く皆さんとのこうした関わりこそが、心のオアシスであり、選挙の醍醐味なのかもしれません。
だから、頑張る――のです。
連合栃木のご推薦を戴いた夜、栃木同盟OB友愛会総会にお邪魔致しました。
同会は、旧同盟参加の金属、UAゼンセン、電力総連、交通、郵政、日産労連の先輩方からなり、この日は約30名が一堂に集いました。
――「おちあいさん、アンタ、義一っあんの甥っ子だって!?」。
「義一っあん」とは、栃木同盟の幹部だった伯父の田中義一。地元おもちゃのちにトミー労組やシンセイ工業労組を立ち上げ、故・神田大作先生の秘書を経て、壬生町議を8期務めました。
電力の先輩のスピーチでは、伯父の選挙で街宣カーの運転手を任された際、人っ子ひとりいない農村で伯父が突然演説を始めたこと、倒れそうになった看板を車から降り自ら修繕し始めたことなど、懐かしいお話を大変楽しく拝聴させて戴きました。
日産労組の先輩からは、「おちあいさん、ウチの方に足繁く来てくれてありがとう。応援するよ」と、お言葉を戴きました。
皆様のご厚情、大変ありがたく、心に沁みました。
先輩後輩の序列が厳しい世界で、私のような若輩に目をかけて戴いている、だからこそ礼節をわきまえなければならない、同時にそう思いました。
今日は夕方から、連合栃木3役の方々との会合です。くれぐれも粗相のないよう…。