ニュージーランド移住記録:日記「さいらん日和」

2004年に香港からニュージーランドに移住した西蘭(さいらん)一家。子育て終了、仕事もリタイア。好きに生きる記録です。

トンガリロ・ネーピア・ギズボーン行:PBCカフエ

2016-05-04 | 旅行
USSCoでの一夜が明けて、まずはカフェへ。



PBCカフェ

PBC=ポバティーベイクラブ


直訳すれば
不毛湾カフェ

今の時代ポバティーと言えばズバリ貧困
貧困湾


でもカフェの中は、なんだかやたらに豊か(笑)



こんなにショーウィンドーがぎっしりなカフェは記憶がない。



しかもどれも

大きいっ


ポバティーベイクラブは1874年に設立されたいわゆるメンズクラブ。

イギリスが「レディース・ファースト」の国なんてまったくの嘘っぱち(笑)
その後、どのクラブも経験したように女人解禁の社交クラブになり


今はバー、レストラン、カフェ、映画館、会議場となっているよう。



週末だったこともあり、店内も庭も大盛況で写真がほとんどナシ。



ウエイトレスの手が回らないので、みんな食器を下げに来ます。

その量もまたものすごくて、何人様で何杯飲んで食べた


店内のインテリアもこれまたぎっしりで



オーナーの趣味と見た!



テーブル番号は私にとって最強の27番

キター


前夜がコース料理だったので、小さめのを頼んだつもりでしたが

すべてが


ジャンボサイズ



周囲のマオリ色強い異文化ぶりにきょときょとしながらも

まずは1杯


ストレンジャー

でしたか(笑)


海岸線近くは広々とした遊歩道

NZのウォーターフロントはどこもホントにキレイ


こんな壁画もステキ

地方は壁画が多いですが、ギズボーンは特に多かった
しかもクオリティーが高くて素晴らしかったです。


そして見(まみ)える

ジャームス・クック像


約250年前の1769年に、ジャームス・クック率いるエンデバー号が
この地に到着し、イギリス人として初めてマオリに接触するものの
友好関係の樹立と食料の供給を受けようとしていたにもかかわらず
マオリが“不穏当”な動きに出るたびに射殺していき
けっきょく、何も食料を得られなかったことから勝手に名づけた



ポバティーベイ(不毛湾)


いくら英領だったとはいえ、今もこの名称を使っていることに、
むしろマオリの太っ腹を見たような


きっと昔もこんなに美しく長閑な場所だったことでしょう。



オモチャのように可愛いコンテナクレーン



ギスボーン港はコンテナ港としての発展に乗り遅れ



こうしたバルク貨物中心の港に。



木材事業はかなりがマオリ資本なのでは?



ナティポロウといえば、NZで2番目に大きなイウィ(マオリ部族)

各地のイウィは地元の漁業権を持ち、水産業を展開しています。


漁獲があれば加工工場もあり、倉庫業、輸送業、輸出業・・・があり



船を出して日々の水揚げを支えるのもマオリがほとんどなのでは?



その延長でウォーターフロントに面した一等地のアパートも

マオリランドと呼ばれるマオリの借地なのかも(調べてませんが)


オークランドもそうですが、こういう一等地はほとんどがイウィ所有



250年前の不毛に終わった接触からも、営々と続くマオリの歴史
遅ればせながらギズボーンを知ってよかった。


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(つづく)←まだまだ続くんだな、これが

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