『川上哲治物語 背番号16』(1957年/滝沢英輔監督)を見た。
物語は、「昭和8(1933)年6月、全熊本小学校野球大会。大村尋常高等小学校の川上哲治(信田義弘)は三振11を奪う大活躍をした。父・伊兵次(河野秋武)は家まで取られる貧乏生活で、母・ツマ(高野由美)は高等科への進学を断念させるつもりだったが、土肥先生(葉山良二)と熊本後援会長・安西医師(深見泰三)の学費援助でなんとか熊本県立工業学校へ進学したのだった。全国中等学校優勝野球大会で2度の準優勝を果たし、同校を卒業した昭和13(1938)年に捕手・吉原正喜(宍戸錠)と共に東京巨人軍に入団した。ルーキーながら開幕戦から正捕手に抜擢された吉原に対し、球威不足を指摘されていた川上は、打撃のセンスをかわれ、藤本定義監督(二本柳寛)は投手と打者の二刀流で起用したのだった」という内容。
全熊本少年野球大会での大村校の選手は靴ではなく足袋。
普段は下駄ばきで、運動する時は足袋だったのだろう。
そういえば、仁左衛門が小学生だった昭和40年代は、普段は靴だったのに何故か運動会だけは足袋だった。
あれは戦前の体育競技というか、生活習慣の名残だったのか。
(^_^;)
当時の大学卒の初任給が65円だったのに対し、東京巨人軍に入団した川上選手は月給100円、支度金300円だったという。
「野球なんて遊びごとをしてて、本当にそんなにくださるんですかね」という気持ちは正直なところだっただろうと思う。
(^。^)
ただ、陰では「吉原と抱き合わせさ。刺身のツマみたいなものだよ」と言われていたようで、甲子園大会の準優勝投手で終わってしまったからか、評価はイマイチだったようだ。
"テキサスの哲"などと言われていたようだが、正一塁手・永沢富士雄の怪我の代役として一塁のポジションをつかんだ。
吉原捕手は残念ながら南方で戦死してしまったようだが、太平洋戦争では素晴らしい選手達が多数出征し、そして帰ってこなかった。
生きて帰ってこれた川上哲治選手(本人)は、昭和31(1956)年には日本初の2000本安打という大記録も打ち立て、"打撃の神様"とまで呼ばれることになるわけだが、そのような大選手になるとは、入団時に一体誰が想像しえただろうか。
野球選手に限らずだが、うまくいく人生もうまくいかない人生も、その分岐点は紙一重なのだろう。
さて、現在は"二刀流"と言えば大谷翔平選手(北海道日本ハム・ファイターズ)だが、職業野球と呼ばれていたプロ野球黎明期には随分と"兼業"の選手がいたようだ。
これは、当時、"打撃王"と呼ばれた川上哲治選手の半生を描いた物語。
本人役で川上選手自身が出演していたり、ナカナカに楽しめたのだった。
(^_^)
物語は、「昭和8(1933)年6月、全熊本小学校野球大会。大村尋常高等小学校の川上哲治(信田義弘)は三振11を奪う大活躍をした。父・伊兵次(河野秋武)は家まで取られる貧乏生活で、母・ツマ(高野由美)は高等科への進学を断念させるつもりだったが、土肥先生(葉山良二)と熊本後援会長・安西医師(深見泰三)の学費援助でなんとか熊本県立工業学校へ進学したのだった。全国中等学校優勝野球大会で2度の準優勝を果たし、同校を卒業した昭和13(1938)年に捕手・吉原正喜(宍戸錠)と共に東京巨人軍に入団した。ルーキーながら開幕戦から正捕手に抜擢された吉原に対し、球威不足を指摘されていた川上は、打撃のセンスをかわれ、藤本定義監督(二本柳寛)は投手と打者の二刀流で起用したのだった」という内容。
全熊本少年野球大会での大村校の選手は靴ではなく足袋。
普段は下駄ばきで、運動する時は足袋だったのだろう。
そういえば、仁左衛門が小学生だった昭和40年代は、普段は靴だったのに何故か運動会だけは足袋だった。
あれは戦前の体育競技というか、生活習慣の名残だったのか。
(^_^;)
当時の大学卒の初任給が65円だったのに対し、東京巨人軍に入団した川上選手は月給100円、支度金300円だったという。
「野球なんて遊びごとをしてて、本当にそんなにくださるんですかね」という気持ちは正直なところだっただろうと思う。
(^。^)
ただ、陰では「吉原と抱き合わせさ。刺身のツマみたいなものだよ」と言われていたようで、甲子園大会の準優勝投手で終わってしまったからか、評価はイマイチだったようだ。
"テキサスの哲"などと言われていたようだが、正一塁手・永沢富士雄の怪我の代役として一塁のポジションをつかんだ。
吉原捕手は残念ながら南方で戦死してしまったようだが、太平洋戦争では素晴らしい選手達が多数出征し、そして帰ってこなかった。
生きて帰ってこれた川上哲治選手(本人)は、昭和31(1956)年には日本初の2000本安打という大記録も打ち立て、"打撃の神様"とまで呼ばれることになるわけだが、そのような大選手になるとは、入団時に一体誰が想像しえただろうか。
野球選手に限らずだが、うまくいく人生もうまくいかない人生も、その分岐点は紙一重なのだろう。
さて、現在は"二刀流"と言えば大谷翔平選手(北海道日本ハム・ファイターズ)だが、職業野球と呼ばれていたプロ野球黎明期には随分と"兼業"の選手がいたようだ。
これは、当時、"打撃王"と呼ばれた川上哲治選手の半生を描いた物語。
本人役で川上選手自身が出演していたり、ナカナカに楽しめたのだった。
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