仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

天空の蜂

2017年04月11日 | ムービー
『天空の蜂』(2015年/堤幸彦監督)を見た。
物語は、「錦重工業株式会社・名古屋航空システム製作所の小牧工場では、軍事用大型ヘリコプター"ビッグB"の納入式典が行われようとしていたが、開発チーム・湯原一彰(江口洋介)の息子・高彦(田口翔大)を乗せたまま、"天空の蜂"と名乗るテロリストに奪われ、飛び去ってしまった。遠隔操縦によって、福井県にある高速増殖炉"新陽"の上空でホバリングを続ける"ビッグB"には爆薬が持ち込まれていた。そのままホバリングを続けられる時間は約8時間。日本政府には、"現在稼動中・建設中の原発の発電タービンを全て破壊せよ"との犯人からの要求が突き付けられ・・・」という内容。
要求をのまなければビッグBを新陽に墜落させるというテロリストだが、中塚一実高速増殖炉所長(國村隼)以下の所員、今枝福井県警警備課長(佐藤二朗)以下の警察関係者、佐久間福井県消防課長(光石研)以下の消防関係者、航空自衛隊関係者、そして設計施工した錦重工業の原子力技術者・三島幸一(本木雅弘)らが現場で対策を取り続けていた。
そして、そこには子供が巻き込まれてしまった湯原が加わり、時には筒井炉燃理事長(石橋蓮司)から極秘の指示が入るのだから、事は複雑だ。
同名の小説『天空の蜂』(1995年/東野圭吾著)が原作とのことで、それを知った瞬間に「きっと何か切ない物語なんだろうなぁ」と、見る前から想像がついたのだが、このような緊張感いっぱいの物語において、見ている側の期待を裏切らずに画面を騒がせてくれるのが、やはり佐藤二朗だ。
しかも、一度だけじゃないのが嬉しい。
(^。^)
この作品では意外と(!?)台詞も多かったみたいだし、今後も活躍してほしい俳優さんの一人だ。

花のあと

2012年04月17日 | 映画サークル
本日(2012年4月17日)開催の"ましけ映画サークル"4月例会は急遽仁左衛門企画となり、『花のあと』(2010年/中西健二監督)を見た。
物語は、「江戸時代、海坂藩。寺井甚左衛門(國村隼)の長女・以登(北川景子)は幼い頃から父に剣術の手ほどきを受けている剣豪。ある時、羽賀道場を訪ね試合をしたものの道場一番の剣の使い手・江口孫四郎(宮尾俊太郎)は不在だった。城内で桜見物をした折、偶然孫四郎に声を掛けられた以登はその人柄に淡い想いを抱き、そしていつか試合をすることを約束する。父への願いが通じ、一度だけ孫四郎との手合わせが叶った以登だったが・・・」という内容。
"海坂藩"とくれば、それは藤沢周平原作の時代小説で、雪山や清流など美しい自然の風景が映える、しかし、何か物悲しい物語である。
その物悲しさを"桜の花"に例えているのがこの『花のあと』なのだが、以登の「惜しいこと」という台詞でそれを明確にさせている。
しかもそれは以登だけではなく、友人の津勢(佐藤めぐみ)、父・甚左衛門、孫四郎にもこの"残念さ"が共通する。
それが単にお涙頂戴のただただ悲しい物語にならなくて済んだのは、以登が50年前の恋の物語として語っているからだろう。
"爽やかさ"とは少し違う、時間が経ったゆえに生まれた過去に対する"潔さ"というものだろうか。
ただ、藤井勘解由(市川亀治郎)と加世(伊藤歩)は別の意味で"残念"な登場人物だったが、いかにもという感じのキャラクター設定が分り易過ぎた。
(^_^;)
寺井甚左衛門は何故、片桐才助(甲本雅裕)を選んだのかとも思ったが、最後にそのあたりのもやもやが解決される所はほっとする。
派手さはなく淡々と展開したが、良い物語だった。

萌の朱雀

2009年06月27日 | ムービー
『萌の朱雀』(1997年/河瀬直美監督)を見た。
物語は、「地元を通る計画の鉄道建設工事現場で働く田原孝三(國村隼)。その孝三を主とする田原家の家族5人は、奈良県西吉野村で生活していたが、工事は建設途中のままに中断した。働く気力を失った孝三はある日、愛用の8ミリカメラを携えて出かけたまま・・・」という内容。
林業が衰退して暮らしが成り立たなくなった人達が工事現場で働くようになっていたものの、老齢化や工事中止による失業で地域から離散していく。
劇中での詳しい説明はないのだが、おそらくそういうことだろう。
家族のありきたりな日常生活と臨場感がある集会の様子、美しい山々の風景と工事途中で放棄されたトンネル。
それらの対比が何か物悲しさを感じさせ、見ていると段々寂しい気持ちになっていく。
この監督は、"第50回カンヌ国際映画祭"(1997年)で【カメラドール(新人監督賞)】を受賞したそうだが、あの緑濃い美しい風景とそこで暮らす人達の心情を見せられたヨーロッパ人は、そりゃぁ賞をあげたくなるだろう。
(^_^)
また、孝三の母・幸子(和泉幸子)の「けいさづ?」という台詞など、この女優さんが何ともいえない素朴感を醸し出していて、それもまた良いのだった。