仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

サバービア

2017年06月07日 | ムービー
『サバービア(原題SubUrbia)』(1996年/リチャード・リンクレイター監督/アメリカ)を見た。
物語は、「テキサス州オースティン郊外のバーンフィールドは、コンビニ以外に何もないような町。大学を中退して実家の車庫で暮らしている自称"作家志望"のジェフ(ジョヴァンニ・リビシ)、ニューヨークでのパフォーマーを夢見るスーズ(アミー・キャリー)、いつも悪ノリするバフ(スティーヴ・ザーン)、ダンス好きのビービー(ダイナ・スピービー)、退役軍人のティム(ニッキー・カット)の5人は、店主に迷惑がられながらも、毎夜コンビニの周辺でたむろしていた。そんなある日、地元を出てミュージシャンとして成功した昔の仲間・ポニー(ジェイス・バルトーク)が、近隣で行われたライブコンサートの終了後、町にやって来たのだが・・・」という内容。
ジェフは何故か、車庫の中にキャンプ用のテントを張って寝ているようなのだが、中退して少しばかり屈折してしまったようだ。
(^_^;)
せっかく昔の仲間が訪ねて来たのに、気持ち良く迎え入れることができないジェフ。
つきあっているスーズの夢をかなえるためにポニーが協力してくれるらしいのに、うまくいってない自分が取り残されてしまいそうで、怖いのだろう。
それに対して、バフは町から飛び出して行こうなどという気はさらさらないようだし、一度軍人として町を出たティムは挫折を経験したのか、将来への夢や希望を抱けないようだ。
ポニーのマネージャー、エリカ(パーカー・ポージー)とは気が合いそうだったものの、気力というものをどこかに置いて来てしまったのか、何をするわけでもなく、コンビニの横で壁に寄りかかったり、屋上にのぼっては、傷痍軍人手当で買った酒をただただ飲んでいるだけ。
これは、まだ若い5人が小さな田舎町で無為に過ごす日常の一日を切り取った作品。
この10年後の彼らはどうなっているのだろうか。

ナショナル・セキュリティ

2016年12月30日 | ムービー
『ナショナル・セキュリティ(原題National Security)』(2003年/デニス・デューガン監督/アメリカ)を見た。
物語は、「ロス市警の巡査ハンク・ラファティ(スティーヴ・ザーン)は、遭遇した強盗現場で相棒のチャーリー(ティモシー・バスフィールド)を目の前で射殺されてしまった。防弾ガラスとオートロックドアのせいとはいえ、何もできなかった自分を責めていたラファティは、捜査チームへの参加も拒まれて鬱憤がたまっていたのだった。ある日の巡回中、自動車泥棒の現行犯でアール・モンゴメリー(マーティン・ローレンス)という黒人を逮捕しようとするが、実は自分のクルマにキーを閉じ込めただけのモンゴメリーは何かとラファティの公務を妨害する。さらに、蜂に対するアレルギーを持っているモンゴメリーはまとわりつく蜂から逃れようとし、ラファティもまた蜂を追い払おうと警棒を持つ手を振り回す。遠目にはまるで白人警官が黒人を暴行しているように見えるその様子を、近くにいた市民がビデオカメラで撮影し・・・」という内容。
モンゴメリーの言うことはマッタク理解不能。
彼のおかげでどんどんと悪い方へ悪い方へと向かって行くラファティに同情したくなるほどだ。
(^_^)
裁判の陪審員は殆どが黒人だし、刑務所に護送されるバスの中でも、収容された刑務所でもバカでかい黒人がすぐにでも殴りかかろうと待ち構えている。
これは独居房の方がはるかに安全だろう。
看守を殴ってでも独居房に入ろうとする気持ちはよく分かる気がした。
(^。^)
ただ、(死刑囚等極刑の囚人は別として)独居房というのは、懲罰のために使用されるのだろうと思っていたので、独居房にいる期間は刑期に加算されるだけであり、ラファティは刑期6か月を丸々独居房で過ごすことなどできないのではないかと想像したのだが、どうやらそういうことではないらしい。
まぁ、その辺りの事情に詳しくなっても仕方がないのではあるが・・・。
刑期を終えたラファティは、物語の導入部分で相棒と共に馬鹿にしていた警備会社"ナショナル・セキュリティ"で警備員として働くことになるのだが、"2日間の厳しい研修"を終了した彼に会社から渡されるのは「警備灯」、「催涙スプレー」、そして、「最後の手段として警察に電話するための"小銭入れ"」といった支給品。
警備員は逮捕権など持ち合わせないし、拳銃を携帯しているわけでもないので、身の安全を確保するのが第一なのだろうが、"小銭入れ"には泣けてくる。
これだけ携帯電話が普及した世の中で、小銭が使える公衆電話がそう都合よく近くで見つかるとも思えないのだが、この作品が制作された2003年当時のアメリカ国内にはまだ公衆電話がそこそこあったのだろうか。
(^_^;)

私の愛情の対象

2007年06月24日 | ムービー
『私の愛情の対象(原題The Object of My Affection)』(1998年/ニコラス・ハイトナー監督/アメリカ)を見た。
物語は、「ジョージ・ハンソン(ポール・ラッド)はゲイ。恋人のロバート・ジョリー(ティモシー・デイリー)と別れてしまい、部屋を失う。パーティーで偶然知りあったニーナ・ボロウスキー(ジェニファー・アニストン)が住んでいるアパートの一室を借りられることになるが、ニーナにはヴィンス・マクブライド(ジョン・パンコウ)という彼氏がいて、彼女はヴィンスとの間の子供を妊娠するものの、彼との同居を拒み、ルームメイトのジョージと一緒に子供を育てたいと言い出す」という内容。
ニーナの希望をOKしたジョージにも新しい彼ポール・ジェームズ(アモ・グリネロ)が出来ちゃうものだから、ただでさえ複雑な話がさらに複雑になっていく。
(^。^)
仁左衛門の周囲には(男同士でも女同士でも)ゲイの人たちはいない(と思われる)し、身近にはない題材を扱った作品なので、『ハリー・ポッターと賢者の石(原題Harry Potter and the Philosopher's Stone)』(2001年/クリス・コロンバス監督/アメリカ)を見るのとあまり変わらない不思議な気持ちで見ていた。
(^_^)
この映画には何となく不似合いな気がするウエディングマーチが流れたのは、ジョージの弟フランク(スティーヴ・ザーン)の結婚式の場面。
ニーナとジョージは息があったダンスを披露して、それはごく普通の幸せなカップルのように見えたのだが、その直後「あなたと一緒にいたい。結婚したい。私と同じ気持ちになって」と言ったニーナにジョージは、「仕方がないよ。必要なのはポールだ」と答える。
泣いたって仕方がないよな。
相手は、ゲイなんだから。
(^_^;)
何とも不思議な物語だった。