鼠丼

神の言葉を鼠が語る

<781> セミの抜け殻の話

2022-08-29 19:23:31 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 近所の柿の木の下にセミの抜け殻が落ちていた。

 セミの抜け殻を見たことがある方ならわかるだろうが、セミは幼虫のまま地中から這い出し、木などにしがみつきながら徐々に羽化する。その過程で幼虫の背中はパックリと割れ、成虫が反り返りながら出てくる。成虫は抜け殻から出てくると羽が伸び切るのをじっと待ち、やがて普段私たちが見ている「セミ」の様相を呈するように。ほどなく羽が乾ききって飛び立つと抜け殻はその場に置き去りにされる。
 セミの抜け殻はそれでも木などにしっかり掴まっているいる事が多い。丸まった背中で前足を木などに引っ掛けたまま、その茶色く半透明の姿をさらしている。

 ふと、自分の母親の姿と重ねてしまう。人生を家族のために費やし、祖父を看取り、親父を看取り、二人の息子を送り出した母は、その内側に何も残さず、空っぽの抜け殻のようになってそれでも爪をたてて木にしがみついている。やがて風にふかれ地面に落ちて土に還ってゆく様が、母親に重なる。

 祖父・父・二人の息子、と4人の男の世話をして送り出したあと、その役目を終えた後には自分の中に何も残っておらず、病院のベッドを経て老人ホームのベッドの上で静かに眠る毎日。
 おそらく自分のやるべき仕事をすべてやり切ってしまったと満足したとたん、自分の人生を考える事はしなくなったのかもしれない。2週間に一度面会の時間に声をかけても、わずかな時間虚ろに開くその目は息子を認識できているのかどうかも怪しい。すぐに目を閉じてしまう。

 老人ホームの担当看護師から「食事の量が減ったようです。」というLINEでの報告が。食事の様子の動画を撮って送ってもらっているのだが、食事の最中でさえもすぐに目を閉じてしまう。見ていて痛々しい。
 コロナによる面会禁止さえなければ毎週末に行って頭をなでてやったり、手を握って耳元で話したりできるのだが、それも叶わない。当分期待できそうにない。 

 母は一日のほとんどの時間をうつらうつらとしながら過ごしているが、できればその夢の中では親父や二人の息子と楽しく暮らしていてくれれば、と思う。
 少し前に親父に手紙を書いた。30年ほど前に飼っていた愛犬と一緒にお袋の夢の中で会いに行ってくれるように頼んだのだ。実家の遺影にも手を合わせておいたから大丈夫だとは思うが。そんな事を考えながら、今週もまた差し入れのプリンをぶら下げて老人ホームに通う。

 じゃ、また。


<780> 初めて親父に手紙を書いた話

2022-08-22 19:19:40 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 先日、親父の墓に顔を出した時の事。
 親父の墓には基本毎週顔を出している。お袋が世話になっている老人ホームに差し入れのプリンを持って行った帰りに寄るので、よほどの事が無い限り毎週のルーチンになっているのだ。
 おそらく世界で最も墓参りを頻繁に行っている一人では、と自負している。

 お盆の時期だったこともあって、墓苑内に並ぶ墓石にはどれも花が供えてあった。いつものように墓を洗って線香をあげ、しばし親父に話しかける。線香が燃えて煙が出ている間はその煙に乗ってあの世の親父に話が届くらしいので、ゆっくりと話ができる。他の人は頻繁に墓参りに来ないのか、めったに他人に会うことはないので気兼ねする必要がない。
 しばし話した後、あまりに暑かったので、少し寺の中で涼んでから帰ることに。その寺は地下に永年供養用の位牌が大量に並んでおり、給湯機が供えられている。紙カップに冷たいお茶を注ぐと一休みさせてもらった。

 ふと見ると郵便ポストが。あの古めかしい、赤くて丸いタイプのポストである。近寄ってみるととなりに机といすが。封筒と便箋まで用意してある。「亡くなったあの方に手紙を書いて送りましょう。」と書いてあり、どうやら坊さんが「お焚きあげ」してくれるようだ。

 そこでボールペンをとり、「親父へ」と書き始めた。親父があの世に旅立ったあと、心身ともにからっぽになったお袋が骨折による入退院を繰り返した事、老人ホームにお世話になり始めた事、今では面会に行ってもほぼ反応が無くなった事、など。
 普段墓に向かって話していることだが、親父は耳が遠かったのでもしかしたら聞こえてなかったかもしれぬ。あらためて手紙に書いたので、今度はちゃんと届くだろう。

 そこまで書いて、ふと親父には手紙を書いたことがなかったのでは、と思い当たる。
 幼稚園だったり学校だったりで親に感謝の手紙を書いたことがあったかもしれないが、自発的に親に、しかも親父には手紙などついぞ書いた事がなかったのでは。
 世の中の多くの息子がそうであるように、男親とはあまり話さないものだ。(そんな事はないのか。)

 不思議なもので、次からつぎへと親父に伝えたい事が溢れてきて、あっという間に便箋が一杯になってしまう。
 最後に。飯と風呂の時間以外はほとんど眠っているお袋の夢の中に出てきて、お袋の話し相手になってやってくれ、と頼んだ。今では一切喋れなくなったお袋も自分の夢の中では相変わらずよく喋るのかもしれない。

 少なくとも私の夢の中に出てくるお袋はまだ若く、そして元気である。「なんだ、お袋、元気になったのか!」と毎回夢の中で驚かされる。そして、たいてい親父はその隣でニコニコしているだけである。
 おしゃべりが好きなお袋とは対照的にあまり喋る事のない親父だったが、せめておふくろの夢のなかでは饒舌であって欲しい。

 じゃ、また。

 

<779> ティーポットに襲われる話

2022-08-12 18:47:47 | 短編小説

 ある夜の事。

 駅からの帰り道、坂道の上のほうから何やらゴロゴロと大きな音をたてて転がってくるものがある。

 駅から家までは、途中にある公園をぐるりと半周しなければならない。公園をはさんで反対側にあるのだ。私はその公園をぐねぐねと貫く小道を通って行き来している。公園の外側をを回るより若干時間がかからないで済む。
 その公園はいかにも公園らしく、こじんまりとしていながらも、小高い丘をその敷地内に有している。丘の上には電灯が一つあり、帰りにその電灯が灯っているのを見ると、不思議とホッとする。冬でもホット。夏でもホット。
 その丘を登って降りる、ただそれだけの事だがそれは帰宅途中の私のささやかなルーティーンなのだ。

 いま、その丘に差し掛かるゆるやかな坂道の上から何やら巨大な物体が唐突に転がり落ちてきた。
 電灯に照らされたそれが大きなティーポットであるのに気づくのにそれほど時間はかからなかった。突き出した注ぎ口と取っ手を見ればすぐ分かる。誰でもわかる。君にもわかる。紅茶文化の無い人でもそれなりに「何か液体を注ぐ容器だ」という事くらいわかる。取っ手が無くても分かる。取っ手があるからわかるわけではないが取ってつけたような話はどうでもよい。そもそも何の話だか分からなくなった。

 「なんだなんだ。」私はあわてて振り返ると今来た道を戻る。こんなところでティーポットの下敷きになるわけにはいかない。ローンも残っているし、夕飯もまだ食べていない。妻が用意してくれた夕飯を食べないと、妻に大目玉を食らうのだ。せめておかずだけでも箸をつけねば。
 そんな呑気な事が頭をよぎる。まずは逃げるのみ。しかし50過ぎの運動不足の身体ではそれほど早く走れるわけもなく、あっというまにすぐ背後にティーポットの存在を感じる。私は何を思ったか鞄の中を手探りで探し出した。冷静に考えればそんな事をしても意味がないのは分かりそうなものだが、とにかく慌てた私は鞄の中に手を突っ込んだのだ。手が何かを掴む。
 引っ張り出すとそれはティーポットだった。なぜ通勤カバンの中にティーポットが。それはさておき私は振り向きざまそのティーポットを背後の巨大なティーポットに投げつける。

 やみくもに投げられたそのティーポットは瀬戸物特有のガチャンというくすんだ音とともに砕け散った。もしかして相手も瀬戸物だから一緒に砕け散ってくれれば、と思った私の願いは砕け散った。しかし。気のせいか巨大なティーポットの転がるスピードがやや鈍ったような気がする。

 程なく公園の外にでる。それでも背後のティーポットは追いかけてくる。まるで意志をもっているかのように。私は再び鞄の中をまさぐる。さすがに通勤カバンのなかにティーポットを複数仕込んで会社に行くやつはいないだろう。しかしアニハカランヤ、もう一つティーポットが出てきたよ。ポケットを叩くともう一つくらい出てくるかも。そんな不思議なティーポットが欲しい。いや欲しいのはポケットのほうだ。どうやら私は「通勤カバンのなかにティーポットを複数仕込んで会社に行くやつ」らしい。
 とりあえずそのティーポットを投げつける。鞄から出てきたティーポットは先ほどと同じようにガチャンと音を立てて、巨大な再びティーポットのスピードを緩めてくれた。

 私は走りながら、訳も分からないうちに鞄を叩いてみた。もう一つティーポットが出てくるように!
 私の期待を裏切り、鞄の内部で瀬戸物の割れる音がする。手を突っ込むと元ティーポットであったろう瀬戸物のかけらが出てきた。私はチャンスを自ら潰してしまったのだ。私の期待は粉々に砕け散った。いや砕けたのはティーポットの方だ。

 「やってもうた・・・。」半べそをかきながら後ろを振り向くと、やはり巨大なティーポットは注ぎ口をぶんぶん振り回して転がってくる。

 再び前を向いた私はそこで異様なものを目にする。駅へと戻る道の両側に建っているはずの家々がみな巨大なティーポットになっているのだ。私の後ろから転がって来るティーポットよりも数倍大きなティーポットである。ティーポットハウスだ。そう言えば道に止めてあった誰かの車もティーポットに。ティーポットカーだ。すべての物がティーポットになってしまった。それがゴロリと転がり始め、さきほどのティーポットと同じように私を追いかけ始めるのだ。
 ふと気づくと先ほどまで腕のなかにあった通勤カバンもいつの間にかティーポットに変わっている。ティーポットバッグに。略してティーバッグだ。

 そんな上手いことを言っている場合ではない。私はティーポットに追われているのだ。そうだ、あの角を曲がれば上り坂になっている。
さすがに丸いティーバッグ、ではないティーポットは坂道を登ってこられないだろう。

 わずかな希望にすがるように私は角を曲がる。大量のティーポットに追いかけられティーポット、いやティーバッグを抱えた50過ぎのおっさんが角を曲がるとそこには「工事中」の看板とともにダンプカーのようなティーポットが道をふさいでいる。振り向くと無数の大きなティーポット達。全てのものがティーポットになってしまったようで、私は完全にティーポットたちに囲まれてしまった。

 行き場を失った私。絶望の中であきらめの言葉が口をついて出る。

「万事きゅうす。」(ティーポットだけに)