鼠丼

神の言葉を鼠が語る

<772> 涙は唐突に流れるものなので

2022-03-19 10:58:23 | 日記

 毎度!鼠だ。

 全国の99%の人達はそうしていないだろうが、私は父の墓を建ててからほぼ毎週墓参りをしている。そうして手を合わせながら「こんなことがあったよ。お袋がわらってくれたよ。実家の庭の水やりをしていたら近所の誰々が訪ねてきて親父の思い出話をしたよ。」などと話すようにしている。

 先日懇意にしてくれていた近所の方が亡くなったので、「お世話になっていた〇〇さんが亡くなったよ。もうそっちで会ったかな。」などと話す。親父は今日も犬を連れて公園で鳥の声を聞いているようだ。お袋の痴呆が日々進んでいる事を話すと少し悲しそうな顔をした。

 毎週そんなことを繰り返している。

 ある時。
 例によって線香に火をつけて親父の墓に向かう。すると通路を挟んで斜め後ろの墓の前に新聞を広げて座り込んでいる女性が。近寄ってみると新聞の上に大量の花を広げて墓に向かって何やら話している。「あなたは花が好きだったからこのくらい多くても良いわよね。」などという声が聞こえてくる。菜の花を備える際に「菜の花畑に入日薄れ 」という歌声が聞こえてきた。
 父の墓に近づくと「あら、ごめんなさい。邪魔になるわよね。」と慌てて新聞を片付けようとするので「いや、大丈夫ですよ。そのまま続けてください。」とあいさつする。年恰好は70代後半だろう。夫の墓に参りに来たのか。その墓は確か私の父の墓と前後して建てられたものだったと記憶している。もしかすると同じころに亡くなったのかもしれない。
 自分の親父の墓に手を合わせしばし親父と話す。聞くともなしに後ろのご婦人の話が耳に入ってくる。いろんな昔話をしているのが途切れとぎれに聞こえてくる。

 どうしたことか突如涙があふれてきた。後からあとから止めどなく。慌ててその場を離れるが本当にいきなりだった。理由は分からない。その場を離れ、しばらく車の中にこもり涙が止まるのを待つ。
 皆さんも記憶にあるに違いない。悲しいとか嬉しいとか怖かったとか、そんなはっきりした理由からの涙ではなく、唐突に心をわしづかみにされて滂沱したことがあるだろう。そんな種類の涙だった。 

 しばらくしてその女性が居なくなったことを確認し、もう一度親父の墓に戻るが、たまたま件の女性が戻ってきて鉢合わせしてしまい、「どなたのお墓ですか?」などと話し始める。
 長年連れ添った旦那さんの墓であること、親父が亡くなった翌日にその方が亡くなっていたこと、私と同様都内で安い物件を探していたらあっという間に時間が経っていたこと。今では一人暮らしになっていること、自転車で30分かけて毎週来ていること、など取り留めのない話をする。

「生きているうちはあまり話をしなかったんですよ。だから今こうして私のほうから一方的に話をしているんですけどね。今でも毎朝、朝ごはんに夫の分までお茶碗を並べて話しているんです。いただきます、ってね。これからどうやって時間を過ごすんでしょう。」と問われる。「楽しい事だけを繰り返してくりかえして思い出しましょう。つらい事なんか思い出さないほうが良いです。」と答えると「そうね、そうします。でもこの頃物忘れが進んでね。楽しい事だけ思い出せるかしら。」と老婦人は笑った。

 大丈夫ですよ。人間は都合の良い生き物なので、辛かったことは忘れるし楽しかったことは忘れない。

 じゃ、また。