鼠丼

神の言葉を鼠が語る

<749> 読まれないメールを送る息子の話

2020-09-29 18:53:11 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 ウチの老いたお袋が圧迫骨折で病院に搬送されたり、そのあとリハビリ施設に移動したり、なんやかやで8ヵ月が経とうとしている。新型コロナウィルスのおかげで面会は一切できず、この数カ月間で1度だけスカイプで画面を通して顔を見ながら話せたきりだった。
 久しぶりに画面越しで顔を見た母の顔は私の知っていたそれよりも10才位歳をとっていた。髪は少年のように短く切りそろえてあり、真っ白だった。「髪を短くしたら若く見えるね」と見え透いた嘘をつくのが精一杯だった。

 さて、お袋が病院に入ってからは毎日のように長いメールを送っている。週に一度は万年筆で手紙を書き直接渡してもらっているのだが、メールを読むことで少しでも脳みその刺激になればと思っての事だった。数週間毎に「メールありがとう」と短い返事が来る。その間の数十通にも及ぶメールのほとんどは読まれていない事がすぐわかる。もしかしたらその短いメールでさえ看護師の方に代わりに打ってもらっているのかもしれない。その短いメールですら最近は来ない。

 それでも。

 それでも私は母親にメールを打っている。まるで古い枯れた井戸に小石を投げ込むような行為だ。
 私が怖いのは体が良くならない事よりも、ボケて少しずつ以前の生活を忘れてしまう事であり、私たちの事を忘れてしまう事である。
 息子の勝手な我儘だが、このままリハビリ施設で何から何まで看護師にやってもらい、「危ないから」と何もさせてもらえないうちに、本当に何も出来なくなってしまう事が怖い。以前の事を何もかも忘れてしまうのが怖い。「少し痴呆が始まったようです。」と施設のケアマネージャーから話を聞く度に母親がどんどん遠い所に行ってしまうような気がする。
  
 そうして、すこしでも母を繋ぎ留めておくために私は毎日メールを打っている。「お袋さん、おはようございます。先週から急に秋らしくなってきました。お袋が帰ってきたら快適に過ごせますよ。もう熱中症の心配は要りませんね。」と。

 じゃ、また。