鼠丼

神の言葉を鼠が語る

<726>妻がペンギンかもしれない話(夢十夜の一)

2018-03-22 17:57:27 | 短編小説

 妻がペンギンかもしれない話


 まだ私が若かった頃の話である。

 私は一人暮らしをしている。ワンルームの部屋にはほとんど家具がなくいやに大きな扉が壁にある。どうやら押入れのようだ。
 そこから寒い風が吹き出しているので、不審に思ってあけてみるといきなり雪がどさっと落ちてくる。慌てて締めようとするが後からあとから雪が落ちてきて閉口する。ほとほと困っているとペンギンが一羽落ちてきた。落ちてくるなりぎゃあぎゃあと騒ぐものだから周囲の部屋に聞こえないか、そればかりが心配である。

 やがてペンギンは落ち着いたようだが、いきなり寒い国から私の部屋にやってきたためだろう、あたりをきょろきょろ窺っている。いやにかわいいペンギンだが私はペンギンに関して造詣が深いわけではないので、どういった種類のペンギンなのか全く判らない。ただ羽が小さい様子だとかクチバシの具合からして、まあ概ねペンギンに相違はない。
 部屋が暖かだったせいで、見る見るうちに雪は溶けてしまい畳に吸収されていってしまう。ペンギンばかりが残されている。
 私は暇に任せてペンギンの喉をくすぐってやる。はて、これはネコを喜ばす行為ではなかったかしらんと思ったが、かのペンギンは短い羽をぱたぱたさせて喜んでいる。確かに喜んでいるのだ。こちらも愉快になり、ますますペンギンの奴をくすぐってみる。するとさらに喜びパタパタしだした。

 やがて私は飽きてしまい、眠たくなったのでペンギンをうっちゃっておいて布団にもぐりこんだ。ペンギンがあちらこちら走り回っているのをどこか遠くで聞きながら瞬く間に寝てしまう。
 どのくらい寝ていたのだろう。ふと目覚めるといつの間にかペンギンが居なくなり、となりに寝ているのは妙齢の女性である。
 さては彼女はペンギンであろうか。その事を彼女に問うてみると案の定彼女はペンギンであった。なぜペンギンが女性になってしまったのか再び問うてみたが、何しろ彼女にもわからないらしい。くすぐられて心持が良くなり走り回っているうちに疲れたので寝ていると、ついに人の形になってしまったそうだ。

 やがてペンギンであった女性はおずおずと立ち上がり、このまま部屋にいるのも申し訳ないので失礼すると言い出した。

 私は部屋にいるのがペンギンでも女性でも特に邪魔ではない、むしろ一人暮らしだったのだから話す相手ができて、暇をもてあますことが無く好都合だ、もし貴女さえ良ければ当面この部屋にいるが良い、というような内容のことを告げた。
 すると彼女はそこに座りなおし、丁寧に頭を下げて「それではこのままよろしくお願いいたします。」と言った。
 
 そこで目が覚めた。なんだ夢だったのかと思い隣で寝ている妻を見る。まだ薄暗い中でスースーと寝息を立てている。

 そう言えば妻はいやに暑がりだ、と思い出した。


 <了>
 



 

<725>見えなくなるまで手を振ると言えば

2018-03-09 17:29:03 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 唐突だが。私の運転する車に向かって、見えなくなるまで、本当に見えなくなるまで手を振り続けたり見送ったりする女性に、人生で3人会った。一人は母親であり、もう一人は所属するテニス仲間と昔少しの間だけ一緒にコートでボールを追いかけていた女性。今まで色んな女性に会ったが、ほとんどの女性はバックミラーで確認するとすでに後ろを振り返っていたりその場を立ち去っていたり、だった。

 何度も書いているが、できるだけ実家に立ち寄るようにしている私だが、先週も帰り際にバックミラーで確認したら、遠ざかり豆粒のようになった母がやはり手を振っていてふとこの件を思い出したのだ。たぶん年老いた彼女は息子がバックミラー確認しようとしまいと、いつでも同じように見送っているのだ。
 別に車が見えなくなるまで見送っていてほしいわけではないが、なんとなくすぐにその場から立ち去ってしまわれると少しがっかりするのは私だけではないはず。こういう細やかな気遣いを世の女性に持っていてもらいたいものだなんて書くとバッシングを浴びそうなのでやめておくいやもう書いちゃったけど。

 上述の2番目の女性は物腰が柔らかくて女優の乙葉に似た、笑顔の素敵な方だった。テニス仲間のうちの一人だったが意を決して車で送っていった際に、走る去る私の車が見えなくなるまで、ずっと手を振り続けていた。当時軽く感動したものだ。残念ながらそのあと少しして結婚されてしまって結構落ち込んだ記憶がある。今でもどこぞで幸せに暮らしていらっしゃることと思う。

 本当にどうでも良い事だが、こういうふとしたことで男は女性を好きになってしまうような気がする。特に美人でもなくスタイルが良いわけでもないのに、こういう瞬間があると、今までと違った見方をしてしまう。

 あ、書き忘れたが3番目の女性は今私の奥さんをしている。付き合うずっと前から。食事をして家の近くまで送り届けたあと、車が見えなくなるまでずっと見送ってくれていた。勝手ながら日本の女性にはこうあってもらいたいなんて書くと再びバッシングされそうなので心の中でこっそり考えるだけにする。

 じゃ、また次回。


 


 

 

<724>夢で彼女に会ったので

2018-03-03 07:53:52 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 先日、新聞でこんな記事を読んだ。
 東日本大震災で息子を亡くした母親が、夢の中に出てきた息子とのやり取りを、目が覚めるやいなやノートに記して残しているという。夢の中の出来事なので忘れないうちにノートに急いで書いているのだろう、文字がかなり乱れている。奥さんと娘を震災で失った父親がやはり同じように夢の中でのできごとを「夢日記」と題して文章に残している。親の子を思う内容に、読みながら涙があふれてきた。3.11が近づくと毎年このような記事をよく目にする。そして同じように涙する。

 私も同じようなことをしていて、若くして亡くなった友人の事をこのブログにしたためている。文章にしなくても絶対忘れることはないのだが、やはり文章に残したい気持ちが強いからである。

 実際に起きた出来事を日記として残す。夢の中で起きた束の間のストーリーを日記に残す。どちらも同じ行為である。後で読み返して「ああ、こんな事があったな。」と懐かしく思い返す、という点に関してだけ言うとまったく同じだ。現実であろうと夢の中であろうと、同じ感情を脳みそや心で感じているのだから。それは書き残す人たちにとっては大切なたいせつな思い出になる。

 多かれ少なかれ、人はこんなささやかな思い出の積み重ねに支えられて生きている、と思う。

 じゃ、また次回。