鼠丼

神の言葉を鼠が語る

<750> 久しぶりに母親が実家に帰ってきたので

2020-10-06 19:19:36 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 2月の頭に腰の圧迫骨折で入院した後、3月にリハビリ施設に移った母であった。6月に出所予定だったが、再骨折して今に至る。コロナの影響で面会できないまま、去る某日、1泊2日で実家に戻った。リハビリ施設の担当者が「今後この家で独居生活が送れるか」どうかの判断をする為である。

 アマゾンの端末「アレクサ」を導入して玄関の鍵、居室・トイレ・台所の明かりを「アレクサ、〇〇して。」と音声で点けたり消したりできるようにし、テレビ・エアコンも音声で自由にコントロールできるようにした。24時間見守りカメラも設置し、リモートでライトを点けたり消したりできるようにも。
 転んでも再骨折しないように床に緩衝マットを敷き詰め、いたるところに手摺を取付けた。壁や柱にも緩衝材を貼り付け、床や敷居の段差も無くした。考え得るありとあらゆる対策を取った。
 調理しなくても良いように部屋の中に冷凍庫と簡単レンジ。さすがにこれならなんとかなりそうだ。なんとかした。「同居する」事以外は。

 自分を無理やり説得して当日母親を迎えに行く。自慢の髪を切ってしまった母は幼い男の子のように小さくなっていた。数カ月のうちに10年も年をとってしまったようだ。
 そして何よりも。彼女はほとんど歩けなくなっていた。車椅子から抱きかかえて何とか車に乗せる。その一方で近所の方が見えて会いに来るたびによく喋る。その姿を見て不安になったり安心したり。歩行器を使って少しずつ移動し、部屋の中でようやく手摺を使って伝い歩きをするのがやっとだった。

 その夜、見舞客が帰って母親と二人きりになって、「じゃあ、お袋さん、寝る前にパンツを履き替えるか。自分でできる?」と聞くと、コクンと頷く。恥ずかしいだろうと思い一応席を外して20分後戻ると、そのままである。「あれ、履き替えてないの?」という問いになんだか不安げに下を向く。要は下着を自分で履き替えられないのである。
 血の気が引くのがはっきりと分かった。8ヵ月の間に自分で下着を取り替えられなくなっていたのか。さも何事も無かったように母親の紙パンツを取り替える。大したことではない。50年以上も前に私が母にやってもらっていた事ではないか。そう自分に言い聞かせながら明らかに手が震えている。8ヵ月の間に何かとんでもない事が起きてしまったのではないか。

 息子に下着を取り替えてもらうことに対して、母親がどう思っていたのかは知る術もない。そのままゆっくりベッドに横になる母を見ながら、全身の力が抜けてしまった。 

 その夜。
 介護ベッドのとなりにタオルを敷き、うつらうつらとする。何かあった時のために深くは眠っていなかったせいだろう、母親の夢を見た。
 実家の庭で車を洗っていると、まだ40代の母親が自転車に乗って帰ってくる。買い物の帰りのようだ。黒字に黄色い模様の入っているお気に入りの長いスカートだ。今でも実家のどこかにあるだろう。
 私と目が合うと「あら、今来たの?おかえり。」と元気な声で。一方の私は50歳をゆうに過ぎている今の私だ。その私より10才は若い母親。夢の中の母は常に若い。自慢の長い髪をなびかせている。一緒に家の中に入ると、今年の1月に死んだ親父が台所で何やらやっている。どうやら食器を洗っているようだ。「なんだ、親父、洗い物かい?」と問うと振り返って照れ笑いをしている。
 夢の中では親父もお袋も、いつも私よりも若い。なんでもない日常のワンシーンである。

 永遠に戻らない家族の情景である。

 翌朝、お袋に朝飯を食べさせるが、ベッドから起きて椅子に座りテーブルの上のパンに手を伸ばす、たったそれだけの行為にやたらと時間がかかる。袋の中のパンをどうやったら開けられるか分からず、ただ弄んでいる。病院とリハビリ施設で「なんでもかんでもやってもらっていた」おかげで「なんにもできない」ようになってしまったのか。それともこれは一時的なもので、そのうち「かつての母親に戻ってくれる」のか。ヨーグルトの蓋をあけスプーンを渡すと、ようやく食べ始める。

 独居にさせるべきではないという事は分かっているが、たとえ同居しても朝から晩まで介護できるわけではない。せいぜい何かあったら車をすっ飛ばして駆けつけるだけだ。朝・昼・晩・就寝前の巡回看護施設に頼むのが精一杯だ。
 その一方、介護施設に入れるとさらに私の知らない母親になってしまうのは明らかである。もう二度と「かつての母親に戻ってくれる」日はやってこない。手の届かない所に行ってしまうに違いない。

 どうすれば良いのか。どうにもできないのか。焦燥感ばかりが募る。