鼠丼

神の言葉を鼠が語る

<806> 240516 傷つきたくないから選択しないという選択もある

2024-05-16 19:22:16 | 日記
 毎度!ねずみだ。

 先日、社内で2歳年上の先輩と話した時の事。

 その方は親の残した家もあり、独身でそこそこのお金を持っている。ウチの絶望印刷会社の株もかなり持っており、老後は悠々自適の様子。

 結婚するしないという話になり、「一人でいると寂しい時がありませんか?」という質問をしたところ、「一人はいいよ、気楽だ。」という答えが返って来た。
「寂しいか寂しくないか」という問いだったが、「気楽で良い」という答えにすり替えられている。気楽で良いかどうかなんて聞いていない。
 まあそこを突っ込まないのが大人のルールなので、そうですか、と言って他の話題に。

 私の場合何度も失恋してそれなりに傷ついたりしたのだが、それでも数年間一人暮らしをしているうちに猛烈に「一人は寂しい」と思うようになってしまった。そのタイミングで父親の知り合いから今の妻を紹介されて、その後なんだかんだあった末に今一つ屋根の下で一緒に暮らしている。
 会社から疲れて帰った際に「お帰り。」と言ってもらえるのは何よりの癒しになる。疲れが吹っ飛ぶというのは言い過ぎだが、ホッとできる。
 
 そもそも人間という生き物は極めて社会性の高い動物で集団生活を営むことが大前提に作られているので、どう考えたって皆一人で生きていくのは寂しいに決まっているのだ。実家で親と一緒に暮らしている間には気づかないだろうが。
 仕事終わり、疲れて電車に揺られて最寄りの駅を出て真っ暗の部屋のドアを開ける時。テレビの下らない番組を見ながら、思わず笑ってしまってその声に反応する者がいない時。布団に入って「お休みなさい。」と言いあえる者がない時。美味しいものを食べて「美味しいね。」と言いあえる者のいない時。

 誰もが経験しているその寂しさを埋める相手(男でも女でもどっちでも良い)がいないという瞬間は、何物でも埋める事ができない。それを分かったうえで誰かと一緒に暮らさないのはなぜなのか。

 恐らく「告白して失敗した時のみじめな自分を認めたくない」からに他ならない。皆傷つきたくないのだ。あるいはそのような場面を想定して「もしかして失敗するのであれば、初めから選択するような場面は避け」ているのだ。

 マッチングアプリがその良い例。どうしても「誰かと結婚したくて」それでも自分が傷つくかもしれないのであれば、そんな「危険なプロセス自体を経ずに「初めから自分を選んでくれるかもしれない良い条件の人を探して貰えば良いじゃん」というもの。
 自分に合う(かもしれない)相手、自分の理想(を満たすような)相手を他人任せにしてしまう。タイムパフォーマンスが良いと言われればそれまでだが、その裏には自分が傷つかないように予め自分のレシピを紹介しておいて「私はこんな者ですが、もしよろしければ連絡ください。できれば良い条件のかた」としておけば、いちいち会って確認して失望したり傷ついたりしなくて良い、という打算が。(成功する確度が非常に高い、というのもあるが。)

 以前マッチングアプリで結婚した会社の後輩に聞いてみたことがあった。「だって、条件に合う人を自分だけで探すのって、時間の無駄じゃありません?マッチングアプリで自分の情報を知っている人と会えば、成功の確率高くなりますよね。」と言われぐうの音も出なかった事があったが、その裏には「傷つくのイヤだもんね。」という本音もあるに違いない。

 先の先輩もそうだ。「傷つきたくないから予め選択するような局面に自分をおかない」のですよね?傷つく自分を想定しているから恋愛しないのですよね?
 それでもやはり、年老いた時に隣に自分の事を考えている人がいないのは、寂しいとは思いませんか?

 大きなお世話と言えば大きなお世話か。

 じゃ、また。



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