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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

日本最古の神明造りの国宝・仁科神明宮と、七色大カエデとカミツレの咲く大峰高原(妻女山里山通信)

2018-06-13 | 歴史・地理・雑学
 安曇野から善光寺平に戻るのですが、まず大町市にある国宝の仁科神明宮へと向かいました。千国街道(糸魚川街道:147号)を北上し、高瀬川を渡って池田町へ。51号を北上すると、右に仁科神明宮の大きな看板が見えてきます。案内に従って1キロほど登っていくと一の鳥居に着きます。
仁科神明宮 公式ホームページ
仁科神明宮|わが国で唯一の国宝の神明造の建築物|大町市
仁科神明宮(信濃大町だより):神明宮はもちろん、神仏習合の時代の仁科神宮寺についての記述が興味深い
仁科神明宮:wikipedia

(左)一ノ鳥居。笠木の下の貫(横木)が柱を突き抜けていないので伊勢系と分かります。広い駐車場は突き当りの右でトイレもあります。ペット同伴は禁止。(中・右)仁科神明宮の石碑を右に見て入ると左手に御神木の三本杉。中央の杉は、昭和54年に突風で倒れ、切り株が保存されています。また右の杉は参道方向に傾いていて鉄管で支えられていますが、かなり心もとない状態です。

(左)「示」祭神は、天照大神。(中)社叢(しゃそう:鎮守の森)の説明。杉・檜が主で、赤松・栗・小楢・栂・樅など。樹高50mを超える大杉もあるとか。社叢は793mの宮山に向かって逆漏斗状に伸びています。(右)国宝に指定されている本殿と中門(前殿)の説明。

(左)手水舎で口と手を清めます。(中)左を向くと二ノ鳥居。左に社務所(休憩所あり)、右に神苑内の池があります。参道を進み石段を登ると三ノ鳥居。(右)くぐって進むと神門。ひんやりとして厳かな雰囲気に包まれますが、あいにく工事の最中で、ガードする黄色い馬があるのが残念でした。

(左)左手にはたくさんの境内社。諏訪社や加茂社、九頭竜社もあります。(中)参拝の後、神門の右の石段を登ると、元の御神木。すごい巨木です。(右)社殿のご案内。

 日本最古の神明造りの本殿。左に拝殿の屋根が。この地は、土豪の仁科氏が平安時代から戦国時代まで約500年治めたところです。伊勢神宮の御厨(みくりや:神饌※を調理するための館)が、永承3年(1048)、後冷泉天皇の時代に建立された記事があるそうなので、創建もその頃かと思われます。御厨は、また荘園のことも意味します。
※神饌(しんせん)は、神に供える酒食(しゅし)のことで、御饌・御食(みけ)ともいいます。
大御食神社例大祭と日本最古の家系小町谷氏。立川音四郎種清の木彫。光前寺と熱田神社(妻女山里山通信)
 天正10年(1582)仁科氏が滅びてからは、松本藩主小笠原貞慶が治め、創建以来20年毎に伊勢神宮と同様の式年遷宮を行ってきたそうですが、寛永3年(1636)松本藩主・松平直政の式年選宮を最後として、その後は部分修理に移行。そのため、日本最古の神明造りとして国宝に指定されたわけです。
 光背の大杉は、折れる危険性があるのか補修されています。

(左)この位置からだと中門が見られます。中門は、本殿との間をつなぐ釣り門とともに国宝です。(中)左側から見る拝殿と本殿。(右)天満宮の旗。北野社、鹿島社、白山社など。境内社は数えたら16ありましたが、他にもあるかも知れません。明治政府の合祀令で一村一社が定められ、南方熊楠も猛反対しましたが、多くの神社が破壊され生物が豊かだった鎮守の森がたくさん消えました。

(左)神苑内の池。鯉が餌をもらえると思って寄ってきましたが、あいにく持っていません。社務所で、境内社は明治の合祀令で集められたものですかと聞いたら、恐らくそうでしょうと。勾玉のお守りがあったのですが、プラスチックだというので天然石のおみくじを買いました。何種類かありますが選べません。私のは金運・心願成就の虎目石でした。(中)入り口左にある神宮寺の標柱。明治政府による神仏判然令で、廃仏毀釈の愚行がなされるまでは、1000年以上神仏習合の時代が続いたのです。仁科神明宮には、昔は本殿に安置されていたと思われる御正体が16面残っています。伊勢内宮の天照大神の本地仏である大日如来がほとんどで、墨書銘などから鎌倉から室町のものといわれています。(右)駐車場から望む境内。駐車場の南には神明沢。参拝を終えて51号を南下、左折して274号へ。大峰高原へ向かいます。

(左)池田町広津北山自治会とある展望台。ヒカゲツツジで有名な大城と京ヶ倉。拙書でも載せています。(中)西方を見ると常念岳・燕岳・餓鬼岳が望めるそうです。(右)東は聖山から根子岳・四阿山・冠着山・大城・京ヶ倉・巌殿山・御鷹山・王ヶ頭・鉢伏山・高ボッチ山・長峰山などのパノラマが。眼下には犀川と生坂村。晴れの日に来たいですね。近くでホトトギスが許可局許可局と鳴いていました。

(左)274号から左に入って大峰高原へ。カミツレ研究所の横を通って登っていくとカミツレ(加密列:カモミール)の大きな畑がありました。ちょうど花期で、辺り一面にいい香りが充満していました。(中)七色大カエデ。紅葉の時期には4万人も訪れるそうです。(右)そして、生坂村の19号に下りるべく274号を下ったのですが、これがとんでもない山道でした。初めは200mすれ違い困難とかがたくさん現れ、その後500mが3回、600mが2回現れました。路面も荒れていて昼なお暗くて点灯が必要な箇所も。しかも途中に小さな集落があるらしく分岐もたくさん。幸い対向車もなく55号に出たときはホッとしました。信州の山道恐るべし。

 55号を下るとほどなく犀川と国道19号が見えてきます。三清路の展望台に登りましたが、手すりは壊れているし、道は泥濘状態で草ぼうぼうだし、展望台はミシミシ音がするし、大変なところでした。しかし、眺めは最高でした。

 三清路公園案内図。公園とありますが、とても公園と呼べる様なところではありません。金戸山(かなとこやま:766.5m)の登山道はよく整備されているようですが…。昔は交通の難所であったことがよく分かります。麻績川を遡って差切峡経由で坂北へ抜ける道は、度々通行止めになるので確認が必要です。

(左)大岡道の駅に寄っておやきを買ってからもどって12号で旧大岡村から麻績村へ。98年の長野冬季オリンピックの開会式に登場し、世界中の人々から熱狂的な歓迎を受けた北アルプス展望所にある芦ノ尻道祖神。麻績村から戸倉上山田へ。万葉温泉に入って帰路につきました。(中)妻女山の長坂峠に寄ると梅雨の花シモツケが咲いていました。MTBに乗った以前にも出会ったことがある男性に邂逅。(右)夕食は篠ノ井の紅日香で地獄辛味噌ラーメンを。辛さは10までありますが4で。味噌スープが非常に美味です。私も仲間と大豆を育て味噌を作っていますが、信州味噌は旨いんです。麹味噌がほとんどで、大豆の旨味だけでなく、麹の甘みと旨味とコクが加わります。ということで信州には美味しい味噌ラーメンの店がたくさんあります。それにしても非常に濃い一日でした。

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本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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