Dying Message

僕が最期に伝えたかったこと……

アンチ平等主義

2006-02-01 21:14:58 | Weblog
ホームレスの退去命令、東横インの障害者施設取り外しと最近、社会の弱者にとっては辛い事件が頻発している。そうなると出てくるのが、人間は平等なんだから弱者を助けてゆくべきといった意見。
でも昨日も書いたように、こんなのは偽善以外の何ものでもない。それにもっと言えば、人間がみな平等である必要なんてどこにもないはずなんだ。

というのも、人間なんて生まれながらに不平等なんだから。まず裕福か貧乏かの振り分けがある。秀才もいればバカだっている。裸茎もいれば包茎だっているわけだよ。ちっとも平等じゃないじゃないか。それを平等と言ってしまうから、社会全体、そこかしこに歪みが出来てしまうんだよ。

本当に大事なのは、その自分の身を置く環境の中でいかにハッピーになるかってことなんだ。例えば勉強は頑張れば誰でも出来るなんて教師は言っても、そんなのは嘘っぱちなわけで、どうしようもないバカってのはやっぱいる。努力云々で誰もが偉くなれるほど、世の中甘くないんだ。でもだったら、頭の不自由の奴は手に職をつけたりして、頭脳とは別のフィールドで争ってゆけばそれでいいはずなんでね。
それを「やれば出来る」なんて教育をするから、受験に失敗したくらいで自殺しちゃう奴が出るわけさ。そんなの優しさではなく、ただ残酷なだけ。始めから「お前なんて大した力もない」って正直に教えてあげた方が、ずっとその子のためになるに決まってるんだ。バカだったらバカなりの輝き方を教えてあげるのが本当の教育じゃないかって。

ホームレスだって同じことで、救護団体が救いの手を差し伸べて彼らに希望を持たせるのは、逆に辛い思いをさせることになるんだよ。その“救いの手”のおかげで真っ当な生活に戻れる人なんてごく少数なんだから。

結局ヒューマニストの掲げる平等主義なんて、アフリカの恵まれない子にウナギか何かの臭いだけ嗅がせて、食わせないようなもんなんでね。なまじ希望を持たせるのが、一番残酷なんだよ。現実を突きつけてあげる優しさだって、時には必要に決まってる。
世の中には不平等があって当然だって、みんなもっと認識しなきゃダメなんだよ。