鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

きめつ(気が滅入〔めい〕る)の月曜日

2022-02-14 21:58:48 | Weblog

終日くもりがちで、寒い一日。

 

とてもとても・・・。

気分が、落ち込んできて、もう何もかもが、面倒。

私は、究極のダメ人間で、このまま生きていてもいいのかな?とすぐに思ってしまう自己否定が強くて、こういう自分がどうにもこうにも、出来なくて、本当に、もう面倒で、面倒で。

もうバカでも、アホでも、なんでもいいわ。

生きている価値なんか、微塵もないけれど(よく使われる1mmとか・・・って表現よりも、微塵の方がいいような気がする・・・んなこと、どうでもいいけれど)。

微塵(みじん)か・・・。

ミジンコのミジンは、ここから来ているのかな?とか、バカなコトをつらつらと考える。

不安だとか、自己否定は、一瞬だけ消えるけれど。

 

私の母も・・・。

身体が不調のときとか、イヤなコトがあったときとか・・・すぐに、死にたい!って言ってたけれども。

でも、実際に死ぬのは、怖いとか、訳わからんコトを言っていたりした。

 

・・・では。死ぬときのシュミュレーションをしてみよう。

・・・例えば、自殺の名所?青木ヶ原樹海で、死ぬとして。

今の時期は、極寒で。

陽が沈み、あたりは、真っ暗になって、あるのは、たぶん月の光だけ。

寒い・・・これは、凍死のパターンだけれど。

寒さで、絶命する迄の時間って、どんなもんだろう。

やはり寒いんだろうな・・・とか。

寒いのはイヤだな・・・とか・・・。

 

夏だったら、夜になって、獣とか、浮遊霊とか出たらイヤだし。蚊をはじめ虫に刺されるのはイヤだな。

やはり、絶命迄の時間が、耐えられない気がする。

 

自殺は、絶命迄が、スゴくイヤだな。

絶命して、訳がわからなくなってしまえば、問題なさそうなんだけれど。

下手に生き返ってしまい、身体が動かなくなったりして、本当の寿命を迎える迄、長い・・・のか、短いのか、わからないけれど、きっと後悔ばかりしてしまうんだろうなぁ。

 

以前、渡辺淳一の著書で、死後の様子が、一番きれいなのは、凍死と書いてあったような気がする。

一酸化炭素中毒も、発見直後は、頬が、バラ色に染まって、綺麗だそうだ・・・(記憶違いだったらすみません)。

やはり死に際は、綺麗な方がいいよな。

誰かに発見されるのであれば。

千年だとか、二千年だとか・・・遠い過去の時間を越えて、ほぼ、生存状態時のままで発見される?木乃伊(ミイラ)とかあるけれど、数千年先の人間に、その姿を見られるのも、なんだか、恥ずかしいな。

死蝋化する・・・なんてのも、或る程度、条件が整えば、可能かもしれない。

絶世の美女なら、イザ知らず。

フツーのおばさん(←私のコトです)には、まあ縁のないハナシなのだな・・・(早く、灰になって、消えてしまった方がいいのかも)。

 

母の遺体は、ン十万かけて、エンバーミング処理とかいうのを施してもらった。

とても綺麗な遺体だった・・・。

コレなら、ヒトにみられても本望だっただろう・・・と思っていたりする。

若い頃から、数年前迄は、御洒落なひとだったからな。亡くなる1年前くらいから、身の回りに気を使う余裕がなくなっていたような気もするけれど。

もう婆さんなのに、グッチのエンヴィ(私が、飽きてそのへんに置いておいたパルファム)なんかつけて、楽しんでいたし。そして、それが、全然、違和感がなかった。あんなにグリーン・グリーンした香りなのに。

 

自力で、死に向かうには、ちょっとチカラ不足でもあるので、母よ!約束どおり、向こうで待っていてくれるなら、もう少し足を延ばして、早く迎えに来てくれないかな???と限りなく、気の滅入る月曜日。