鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

記憶の旅③観劇

2022-08-31 23:53:43 | 演劇・映画

葉月最終日。

残暑復活・・・。

午前中は、涼しかったのに、午後から、急激に気温上昇。

午後から、ホームセンター、郵便局、いつも行くパン屋、スーパーなどによって、食材や日用品の調達など。

 

eメールの新着ボックスに、演劇チケット予約サービス・システム改修のお知らせ・・・のメールが届いていて、コレは、プレイガイトのシステムではなくて、明治座独自?の『席取りくん』のシステムのお知らせでした。

・・・明治座かぁ・・・。

母と一緒に、行った劇場だったなぁ・・・なんてコトを思い出したりして。

2015年新春公演でした。

新春価格で、劇場内の食堂での食事付き一等席8,888円だったような・・・???

 

(↓ちょっと昔を紐解いてみたのですが・・・)

お席料金13,000円+お食事2,700円の合計15,700円が、56.7%お値引きで、1日4席のお年玉チケットで、このチケットをとるために、『席取りくん』のシステムに登録したのでした。

 

2015年というと、今から7年8カ月前・・・。

あの頃、母は、地下鉄・人形町駅から、明治座迄の10分前後の距離(歩いてみると結構長かったような・・・)を歩いて行けたのでした。

80歳代前半迄は、都内迄、単独でも行けたし、電車にもひとりで乗れたし、駅の階段の上り下りも出来ていて・・・。

並みのご老人よりは、元気だったように思います。

 

明治座は、なかなかに庶民的な劇場で、座席での飲食自由だし(どこかの芸術至上主義の劇場のように気取って、お席でのご飲食は、ご遠慮願います・・・と鬼の首をとったような係員とか居ないし)、雰囲気もいいのですが、何ぶん、演目が私とは、合わなくて・・・。

母は、何度か訪れていたようです。

 

母と私は、演目の趣味が合わないので、一緒に劇場に行ったのは、数えるほどしかありませんでしたが、お互い観たい公演が、同じ日だったりすると、連れ立って、都内へ行き、食事をしたあと、それぞれの劇場へ。

時間が合えば、待ち合わせをして、一緒に帰宅なんてことも、何度かありました。

 

それなりに、楽しかったな・・・なんて、思い出しました。

 


今年の夏は、高温多湿で、熱帯化バク進中とか・・・???

2022-08-30 23:33:43 | 自然・気象

最低気温20度を割込む朝。

一足飛びに秋が来た・・・というか・・・本日は、どんよりと曇りがちで、夕刻から雨なども降りだして・・・。

 

・・・とにかく・・・涼しいというか。

今年は、6月末には、既に、夏本番だったので、夏の期間の長いこと、長いコト。

しかも、猛暑なのに、カラリとは、晴れず、湿った曇り空で、蒸し暑い・・・夏だった・・・というか、まだ夏も居残りで、夏休みだって、あと1日あるから、夏の完全撤退と言う訳にもいかず、明日は、また最高気温30度越えの予報だし・・・。

 

・・・仏壇に供えているプリザーブド・フラワーの緑色の葉っぱに、白カビがびっちり。

ヨーロッパなどでは、10年は、色褪せず、飾って置ける花だということで、コレは、湿度の低い地域のハナシ・・・ということで、日本だと、2年から3年・・・くらいということなので、それでも、随分、早くダメになってきたな・・・と思います。

結構、高額だったのになぁ・・・。

白カビの生えた葉っぱを取り除いて、花と陶器のベースだけ、仏壇に戻しておきましたが、アレだけ、葉っぱに白カビが付着しているのだから、花を侵食するのも時間の問題かなぁ・・・。

 

今を去ること・・・12年くらい前に買ったオレンジ色の薔薇のプリザーブド・フラワーは、ガラスのケースのまま飾れる仕様で、これは、ゆうに、10年はその色を保ち続けて、拙宅の玄関に飾られていたけれど、流石に色褪せて、ふにゃ・・・となってしまったので、去年だか、一昨年だったかに処分しました。

やはり、密封できるガラスじゃないと保管が難しいようです・・・。

 

とにかく、高温多湿が、顕著だった今年の夏。

気候が、以前とは、違ってきたようです。

 


空気が軽いので・・・。

2022-08-29 22:38:38 | Weblog

朝から、久しぶりにカラリと晴れて、湿度の低い、さわやかな晩夏の週明け。

最高気温28℃。

朝方は、20℃近く迄、気温が下がって、少し寒いくらいで・・・。

県北では、最低気温10℃を割込み、8℃とのことでした。

 

深夜になって、雨降りだす・・・また、空気が重くなるかな・・・。

 

今年の夏は、曇りがちで蒸し暑いだけの夏だったような気もしますが・・・。

晴れたので、大物の洗濯。

夏用(・・・といっても、冬の初め頃迄使っているかも・・・)のしじら織りの敷パット、羽根布団など、お昼頃まで、回る洗濯機。

本当の夏は、こんな感じだ。

なにより、コレ迄は、居室の湿度が、60%を超えていたけれど、本日は、50%台を推移。

空気サラサラで、軽い・・・。

毎年、こういう夏だったら、よいのになぁ・・・。

 

高温多湿は、身体が疲れるし。

暑さが治まると、ほっとするけれど、気温差があると、体調崩しやすかった母を心配するのも、晩夏の頃でした。

 

 


映画:異動辞令は音楽隊!

2022-08-28 15:54:45 | 演劇・映画

昨日よりも、10℃以上気温の下がった雨の日曜日。

9月下旬並みの気温だと天気予報は伝えていました。

 

昨日・・・気温33℃の中、県央へ。

夕刻より、隣市シネ・コンへ、相方と映画『異動辞令は音楽隊!』を鑑賞。

30年間現場叩き上げの刑事が、モラハラ、パワハラが原因で、小学校時代の和太鼓経験者のキャリア?があったため?警察音楽隊へ異動。

今迄、警察官としてやってきたことの無意味さに、憤る主人公(阿部寛)。

異動先には、警察業務を兼任する様々な職員達が居て、様々な経歴、現状を知ることになり。

主人公自身も、痴呆症の母親、反抗期の娘、離婚・・・と、問題は山積。

音楽隊では、パーカッションを担当し、同僚の子育て中、離婚進行中の音大卒のトランペッターの婦警(清野菜名)と知り合い、音楽の楽しさにも目覚。

そんななか、未解決事件の老人を狙ったアポ電強盗の被害にあったのは、音楽隊の演奏を心から応援している老婦人だった・・・。

 

このところ、映画出演に出ずっぱりの清野菜名、磯村優斗をはじめ、主演の阿部寛、母親役に倍賞美津子。

 

人生の転機って、いろいろとあって、この異動がなければ、家庭はたぶん、崩壊の速度を増していったであろうし、見えないものは、見えないままの現状が続いているのだろうし。

これまでの環境がガラリと変わるのも、或る意味、必要なことなのかもしれない・・・そんなことを思いながら、転機は、転機であったけれども、私は、現状維持がしたかったんだな・・・て思ったり。

きっと、乗り越えられるひとにしか、本当の転機は、訪れないのかもしれない・・・。

 

 


ナビゲーション・システム/某・ソニー・タイマー

2022-08-26 22:22:22 | Weblog

終日、もったりした灰色の重たい雲一面に覆われ。

それでも、蒸し暑い週末。

 

カーナビが、普及する前って、知らない場所へ行くのに、どうしていたんだろう・・・なんて、コトをふと、考えておりました。

一昨日、進物用の葡萄(ぶどう)の発送を依頼するために、県西部へ向かいました。

このところ、拙宅のWiFiの接続不具合で、スマートフォンは、データ通信に切り替えて使用していたので、月末を待たずに、容量残僅か・・・のお知らせがあり、目的のぶどう園へは、地図を記憶して向かうことにしました。

記憶すると言っても、西進する県道に対し、右折の交差点さえ間違えなければ、フツーにたどり着ける道順でした。

そして、毎度のことながら、迷ったならば、僅かに残るデータを使っちまえばよいのだし、どうしても辿り付けなければ、既に行ったことの或るフルーツ・パークへ向かえば済むこと・・・(フルーツパークのぶどうでも、大差あるまいよ・・・)。

全く土地勘がないわけではないし、あの国道にさえ出ることができれば、勝手知ったる県内南西部だし。

そんなふうに軽く考えることにして、平日昼日中の交通量の殆どない?県道をトロトロ・・・。国道だともっと早いんだけれどね。

気分転換には、よい風景の葡萄畑。

一房、一房、袋をかけて、大切に育てた大粒の葡萄達が収穫のときを待っている風景。

 

カー・ナビゲーションの無かった時代・・・。

国道・県道には、公共施設などへの案内板が、もっとたくさんあったような気がします。

5年に一度行かなければならない運転免許センターなどは、交差点の信号機の上に赤い矢印で、道案内してあったけれど、ナビ・システムの導入によって、それらも淘汰されかかっている感もありますが・・・(それにつけても・・・なんで、免許センターって、車でしか行けないような場所にあるのだろう・・・???免許のないひとが、免許を取りにいくとこだよ???書換のひとは、まあ車があるからいいけどさ・・・と、昔そう思ったりしました)。

そんなこんなで、知らない場所に行くには、道路地図なるものが必要だったけれど、その道路地図も、コンビニエンス・ストアの雑誌のラックの横に、置いてあるのをみかけました。

そして、そのナビ・システムの福音と言えば、街中からハズれた山の中の一軒家的レストランとか・・・ナビ・システムがなければ、絶対にたどり着けそうもない場所にお店を開店しても、集客が出来るようになった・・・ということでしょうか。

ナビ・システムとネット・マップの相互効果・・・。

車搭載のカー・ナビと、スマートフォンのナビに格納された膨大な情報。

あいにく、私の車は、古いうえに、勤めていた会社と自宅の往復、市内での食糧調達にしか使用しなかった期間が長いので、カー・ナビは、ついておらぬ上に、スマートフォンも、もう6年以上同じものを使っているので、かのリンゴ会社は、ソフトの更新をしてくれなくなったので、旧式のままなんですけれどね・・・。

そして、Wifiの不具合も、たぶん、モデムとかルーター・・・或いは、光ファイバー線の経年劣化ではないか・・・と思っているのですが、電子機器って、少しづつ劣化して毀れるのではなくて、或る日、いきなり、その活動を停止してしまうあたり・・・。

やはり、かの某・ソニーの開発した『某・ソニー・タイマー』の性能は、世界の某・ソニーと豪語していた時代から、各社の電子機器に、確実に、組みこまれ、設定してある生存期限に忠実に、作動しつつある・・・のでは・・・と思ったりするのです。

多分、寸分違わず、止まるんだろうなぁ・・・とか。

(最も・・・某・アヤメ・オーヤマあたりの電化製品のタイマーは、やはり、あのメーカーなんだよなぁ・・・保証期限が切れる前に、誤作動して、止まっちまうことも多いんで、何度か、交換してもらった・・・と相方は言ってましたが・・・どうなんでしょ???)

 

 


再びの大規模通信障害???/葡萄(ぶどう)団地/二度寝・三度寝・母の夢④

2022-08-25 21:18:36 | Weblog

もったりと重たい曇空。気温30度に満たないものの、蒸し暑い。

 

昨夜(24日)、45分間にわたり、KDDIの通信障害再び・・・。

音声通話のみ・・・ということだったのだけれど、拙スマートフォンも『圏外』の表示。

それでなくとも、最近WiFiへの接続が、ブチブチ切れるので、ルーター?だのモデム?だの・・・固定電話回線付近の周辺機器に不具合でもあるのかも?と思っていた矢先、スマートフォンのデータ通信が出来ない状態が、数時間・・・。

それに連動してなのか・・・パソコンもインターネットに繋がらない状態になってしまっておりました。

 

関係あるのか、無いのか・・・。

 

そんなこんなで・・・WiFiに繋がらない場合の復旧の仕方・・・を、スマートフォンで、調べようと思っても・・・ネットに接続できない状態で、パソコンも繋がらん・・・。

仕方が無いので、押入れに突っ込んである携帯電話契約時のいろいろな書類、パンフレットなど調べてみるも・・・。

 

今月半ば頃から、WiFiに接続しても、画面上部で、クルクル回って、接続中です・・・が続き、つながらないので、データ通信(4G)につないで利用していて、一昨日、

『残データ容量に関するお知らせ』なるメールが送信されていて、あと0.42Gbyteで、通信速度低下します。速度低下させないためにも、追加(有料)されることを推奨・・・云々・・・。

データ容量復旧まで、あと6日間か・・・。Wifiに接続できないと、困るよな・・・と思いつつ。

残り少なくなったデータ容量に鑑み・・・Wifiに接続を試みるも・・・。

 

暗号キーを入力しろだの・・・暗号キーが違います・・・だの・・・。

 

思考錯誤していたら、あっと言う間に日付が変わり25日深夜。

画面が、ぱっと変わって、あの扇形のWifiマークが復旧。

なんとなく!復旧したようです。

 

・・・やはり(24日)の日中。

ペットボトルのリサイクル、郵便物投函、食糧調達・・・で、市内から、隣市へ。

母が毎年、御中元を贈っていた親戚へ、何を送ろうか迷っていたところ、そろそろ県南の葡萄(ぶどう)がシーズンになったので、コレを送ろうと思っていたので、隣市の山際の葡萄団地へ。

かの新海誠監督の空気感ある画像表現は、リアルそのものなのだけれど、そのアニメーション映画のロケ地になった街を通過。

ここは、所謂、アニオタさん達のメッカ(聖地)。聖地巡り・・・巡礼???地なので???街中の道は、結構狭い(・・・ような気がします)。

 

その街を通過して、舗装された山道を車で走行。

道路の両脇に、『ぶどう園』の看板が、幾つも。

お目当ての『ぶどう園』で、巨峰・シャインマスカットのセットの配送を依頼して、戻りました。

午前中は、家から、出たくなかったのだけれど、御用を作って、外出し、都合2時間くらいドライヴ兼買い物。ちょっとした気分転換になっていいかも?

あまり混雑や渋滞しない県道をトロトロ走るのは、楽しいものです・・・けれども、前述したデータ容量の制限もあって、ナビにも制限がかかり、頭で、地図を記憶し、その記憶と道路案内標識をたよりに、たどり着けたのは重畳、重畳でした・・・(と言っても、右折する場所さえ、間違えなければ、辿りつくのだけれど、こんなに簡単に目的地に着いたのはなんか久々。ナビの無かった時代ってどうしていだんだろう・・・???とか)。

 

そして、ここからは、本日(午前8時頃から、10時頃)の話です。

深夜に、インターネットに繋がらなくなったので、いろいろと試行錯誤していて、眠るのが遅くなって、午前8時に一度、起きよう・・・とおもったものの、あと1時間くらいいいや・・・とうとうと・・・。目覚めたのが、二時間後の午前10時になってしまったのですが、再び、母が生き還った夢をみました。

やはり母の帰還?に喜び、母の死後、どれくらい大変だったかを母に話すと、母も嬉しそうにしておりました。

一昨日の夢と同じく、母の周囲は暖かで、穏やかな光があったような気がします。現実の脳とのスリ合わせが、ネックで、

『火葬してお骨にしたのに、どうして生き返ったのだろう?』

という疑問は、夢の中でも、テーマになっているようでしたが、なんとなく・・・コレが、次元上昇、別の次元に移動している現在(夢の中)では、違うタイム・ライン?に居るから、母も火葬されていない???とか、滅茶苦茶な設定ではありました。

そして、同じ夢の中で、母の義理母(私の祖父の後妻さん)も、もう危ない(・・・現実には、33年前に亡くなっておりますが)と、おもっていたら復活していて・・・。

葬儀感漂う中、嬉しいような・・・おかしいような・・・ヘンテコな夢をみました。

 

こんな夢をみたせいか・・・最近、台所の流し場に立つと、得もいわれぬ・・・(まだ季節には早かろう・・・と思いますが)金木犀の香り。

もう咲いているのか・・・とベランダに出ても、その香りはしないので、母の居室と近いキッチンに、母が居るのだろうかね・・・などと思い、

『心配してないよ。心配で、見にきてくれたのかね?』

なんて、独りごとを言ったりしてみます。

 

 


訃報・久野綾希子さん(2022.08.22)

2022-08-24 02:14:16 | 演劇・映画

 

昨日、元・劇団四季の久野綾希子さんご逝去のニュースを知る。

 

1980年代劇団四季の看板女優で、ミュージカル『エビータ』の主役を演じた。

 

 

あの頃の劇団四季は、加賀丈史、或いは、山口祐一郎の『ジーザズ・クライスト・スーパー・スター』。

イエス・キリストと対を為す、マグダラのマリア役。

 

『かもめ』のニーナ役も印象的だったな。

 

私は、カモメ・・・いいえ、私は女優!

 

劇団四季退団後、昼メロの『運命の森』では、貰い事故のような・・・自分自身には、全く罪がないのに、その結果が、悲惨なものとなる絵本作家の物語で、こういう難儀な役どころ・・・(これまでの女優のイメージを180度変えてしまうような・・・)を演じていて、それから先は、殆ど知らなかった。

享年71歳。まだまだ活躍できたのでは・・・。

早すぎる死。

 

ご冥福をお祈りいたします。

 

 


二度寝・三度寝・母の夢③

2022-08-23 22:44:55 | 睡眠

処暑。

曇りがちで、蒸し暑い日が続くも、週中、週末にかけて、季節変わり目の秋の長雨の予報。

いづれにせよ、すっきりとは晴れない晩夏。

 

夜間から、明け方にかけて、何回か目が覚める。

浅い眠りの日々が、もう10年近く続いているけれど、母が居た頃は、昼間もよく眠っていました。

不安があったけれど、母が居た安心感が、昼間でも眠れるってことだったのかもしれないな・・・などと。

朝寝して、母の夢を見ました。

 

なんと・・・夢の中で、母は、その死から、生還していたのでした。

死んだと思っていたのは、夢で、本当は、生きていたんだ!

この安堵感は、ナニモノにも代えがたく、暖かく、穏やかな感情でした。

死んで、生き返ってきた母に、喪中葉書も出してしまったんだけれど、やっぱり、生きていたんだね。帰ってきたんだね。よかった、よかったと喜び、喪中葉書を見せようと、探すのだけれど、文箱の中に、喪中葉書はなく・・・探しているうちに、母は、火葬して、お骨になったんだった・・・と思い出し・・・ああ、やはりこれは夢・・・とこのくだりで、脳は覚醒したらしく、現実を思い出させるのでした。

それでも・・・。

ああ、やはり死んだのは、夢だったんだ・・・この安堵感。

そして、ああやはり生き返ったのは夢だったんだ・・・と思う絶望感。

こんな夢を繰り返し見ているような毎日なのですが、不思議と今日の朝寝の夢には、絶望感はなかったのでした。

 

夢の中の母は、暖かで、穏やかで、生前の老い、痛み、苦しみとは、無縁の顔をして、暖かい春の光の中に居たようなのでした。

 

母が亡くなって、もう1年半になろうとしているのに、まだまだ母の死を受けることが出来ずにいるようです。

 

 


お嫌さん(おいやさん)

2022-08-22 23:05:24 | Weblog

くもりがちでも、蒸し暑い週明け。

それでも、夕方のベランダで、洗濯物など取り込んでいるときに、吹いてくるのは、秋の風。

明日は処暑。

 

お盆前に買ってきた供花が、枯れ始めたので、お仏壇から、撤去。

毎日、毎日、水を換え、花瓶には、塩素を少し入れて、水の腐敗を遅らせていたけれど、10日間、花は、咲いてくれました。

全部、枯れた訳でもないのだけれど、花を支えるガクの部分が、茶色くなって来て、半分は、下を向いてしまっているので、可哀そうなのだけれど。

 

母の勤め先の同僚さんから、御供物のお菓子が送られて来たので、熨斗を掛けたまま、仏前にお供えしたものも、箱を開けて、中身を取り出し、改めて、器に盛り、仏前に。

私も、おやつに頂きました。

 

私は、子供の頃から、極端なビビリで、臆病だったのは、今もまったく変わっていなくて、他人様は怖いし、他人様との距離を詰めるのが、相当苦手。

だから、友達も少ないし(・・・というよりは、今となっては、その友達すら居なくなったから、少ないなんてものじゃなくて、友達は居ない)、これまで、仕事とかで、関わってきた人達、親戚、身内を問わず、好きなひとは、殆ど居なかった(コレも居なかったのではなくて、現在も居ないので)し、ほぼすべて嫌いなひとしか周囲に居ない・・・と言う状態が続いていて、ヒトとして、これでは・・・とも、思うのだけれども、コレも自分だから、まあ、いいのかもしれない(・・・いや、良くないよな・・・たぶん)。

私の周りは、全部、嫌い・・・状態な訳で。

 

『嫌(きら)い』のことを、『おいやさん(お嫌さん)』という記述があったような気もするけれど、そんな言葉があるのか?無いのか・・・ちょっと調べてみたけれど、京都弁なんかで、

『イヤどす!』

なんて言うみたいだから、御所言葉などで、『おいやさんどす』なんて、言うのか、言わないのか・・・京都のひとじゃないから、わからないけれど。

 

私は、『お嫌さん』の総本山みたいな人間なのだけれど、『嫌い』という感情は、ネガティヴなので、きっとあまり宜しからざる・・・というか。

言霊的にも、否定なんだろうと思います。

でも、だって、嫌いなんだもん。

・・・ではなくて、

『でも、だって、好きじゃないんだもん。』

の方が、よいのかも???

 

モノでもヒトでも、嫌いなものは、キライだし。

特に、誰かにメンと向かって言う訳でもないし・・・それでも、嫌いなひととは、仲良くなれそうもない・・・或る意味、ネコ的。

出来れば、避ける・・・いや、徹底的に避けて通る・・・。

もしかすると猫科なのでしょうかしら?

 

猫は、自己完結しているから、ソレでいい。

何をしても、許されるトコがある・・・可愛いヤツは、得している・・・というより、世界が自己完結しているんだろうかな・・・。

 

『嫌い』という、否定的な感情を持ったら、少しの間、この『お嫌さん』と一緒に居ることにしましょう。

 

私は、このひとは、嫌いなのだけれど・・・と、『お嫌さん』が出て来たら、ちょっとだけ、一緒に居てあげることにしましょう。

あのひとは嫌いだけれど、感情の『お嫌さん』のことは、嫌いじゃないからさ・・・。

 

いくら、自己完結を夢みても、嫌いなひとばかりだと、やはり寂しいのかもしれません。

なので、今度は、『寂しいさん』と一緒に居てあげることにしましょう。

 

何の脈絡もないのだけれど、来世は、猫がいいですかね?

 

 


記憶の旅②花火大会

2022-08-21 20:33:03 | Weblog

曇り空の午前中、小雨降ったり・・・昼過ぎから、陽も差して、蒸し暑。。

 

市内の花火大会も規模縮小ながら、自宅ベランダから、贅沢な花火を見ることが出来た昨日。

この花火大会の一番最初の思い出は、まだ乳幼児の頃。

河川敷の花火大会の会場に連れていかれた私は、花火の音にビビリ捲り、ギャン泣き。

三つ子の魂百迄・・・というか。

異常なビビリで、臆病だったのは、幼少の頃から、ちっとも変っていないようで。

・・・と言う訳で、翌年の花火大会は、母とお留守番となり、母は、家の外に私を連れ出し、玄関先の花火の見える場所から、空を彩る花火を見たのが、私の花火大会の最初の記憶。

 

海水浴に連れて行ってもらっても、波が怖くてギャン泣き。

犬が吠えても怖くてギャン泣き。

母親の姿がちょっとでも見えなくなるとギャン泣き。

 

こんなに泣き叫んでばかりいたら、涙の源泉も枯れるのも早かろう・・・と思う位、毎日、毎日が、恐怖の連続だった子供時代を思い出しました。

自分の外の世界が、怖い。

 

綺麗な花火も音が怖い。

・・・今考えてみると、私は、音に対して、物凄い恐怖を持っているようで(何が原因なのかわからないのだけれど)、小さな物音にも、過剰に反応するし、ひとの声・・・特に、怒鳴り声など聞こうものなら、脅えてしまうのは今でも。

故に、あれ程、大音響の花火も、怖かったに違いない。

恐い・・・恐怖の源泉って、一体何だったんだろう・・・命の危機とか、死・・・とかではなかったような気もするし、大体、死なんてわからないのに、何故、あれ程、世界中のモノが、怖かったんだろう。

潜在的に、わかっているものなのかなぁ・・・???

 

高校生になって・・・(もしかすると中学生?)、同じ学年で、実家が花火師をしているというひとが居ると知りました。

綺麗なひとで、華奢で、線が細く、ちょっと中性的というか、清潔な感じのする女子高校生が居たことを思い出しました。

地元のローカルテレビに、ご実家の花火製作現場などの取材ニュースは、夏近くなるとよく取り上げられるので、今、どうしているのかな???と思います。

私は、彼女を知っているけれど、彼女は、たぶん、私の事は、知らないと思います・・・高校時代って、あまり学校へ行っていなかったので。

 

昨日みた花火も、昔の一色か二色の花火とは、違って、赤、黄色、緑、青、紫、オレンジ、白・・・。

色もそうだけれど、打ちあがった花火の形も、花、ハート、苺、土星?、星・・・いろいろあって、綺麗なものでした。