みどりの野原

野原の便り

3月31日 3年ぶりのアサギマダラ幼虫 ベニボタルの仲間 ビロードシダ フサザクラ・・

2024年03月31日 | Weblog

うれし~!3年ぶりのアサギマダラ幼虫との出会い。

去年も、一昨年も、来た時には一応探してみる。
でも、食痕はあっても見つからないことが多く、根気も続かなくてあきらめ気味だった。
去年は食痕も少なかったが、今年は幼虫の食痕はあちこちに見られた。
でも、食痕があるからと言って幼虫が見つかるとは限らない。

葉をめくってみるが空振りが続く。


あっ。何かいるぞ・・と思ったらオオツマグロヨコバイがデート中。


これか?と思ったら毛虫。
やっぱりよう見つけないか~。


右下の丸い穴がアサギマダラの幼虫の食痕。まだ若齢の食痕だ。
左上に齧りかけのトレンチング跡が見える。(円形の点々状)

こんな食痕があれば幼虫が居そうに思うがそんなに簡単には見つからないのだ。
しかも、幼虫は葉の裏にいるので、パッと見てもわからない。

毒を持つキジョランを食草とするアサギマダラの幼虫だが、毒がきついのか? 先ず、円形の噛み傷をつけて毒の流れを止めてからその内側の葉を食べるらしい。

諦め半分、時々葉を裏返していると・・・


いた! 
うれしすぎて大きさを測るのを忘れたが、2~3㎝ぐらいだったか・・


拡大。まるでタイルを貼ったような模様。
体の前後に角状の突起があり、パッと見るとどっちが頭かわからない。
鳥などの天敵からの攻撃を軽減するためなのかと思われる。

2020年の3月・2020年4月・2021年4月に幼虫を見つけ、今年で4回目の幼虫。
旅をする蝶として知られるが、春に見つけたこれらは、ごく若齢の幼虫または卵で越冬したものと思われる。
よく寒さに耐えたねえ。

2022年4月と5月には蛹も見た。
蛹は早い時期にはきらきら光った黄緑(宝石のよう)、日がたったものは黒くなっていた。ころっとした可愛い形。

2023年5月には蛹の抜け殻も見た。
でも、ここで成虫のアサギマダラは見たことがない。

偶然頼みのアサギマダラ幼虫発見ではあるがうれしい。


ベニボタルの仲間のようだ。(雄)


ビロードシダ 初めて気づいた。


フサザクラの花
高い木が多いが、手の届く枝があって写真が撮れた。
雄しべの根元に目立たない雌しべがある。

山の中にはアブラチャンやクロモジなど黄色い小さい花が見られた。


ハシリドコロ 花

ちょっと横道に入ったら・・


ミヤマカタバミ


ショウジョウバカマ(白いので、シロバナショウジョウバカマ?)

他にも早春の花。楽しかった。

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3月30日 畝傍御陵前~香久山万葉の森

2024年03月30日 | Weblog

古くから続いている会だが、コロナで途切れて、その後再開されたが自分の都合がつかなかったりで久しぶりの参加。
懐かしいメンバーに会えた。


成長の邪魔になったフェンスを飲み込んだアキニレ。
木の左側を見ると。必要以上にフェンスを攻撃しているようにも見える。


飛鳥川そばの桜。まだチラホラ咲き。大きいヤドリギが1つ付いていた。
根元には茶色いフラスが・・クビアカツヤカミキリが取りついているのかも。


紀寺跡(小山廃寺とも)
調査の結果、伽藍配置は南大門-中門-金堂-講堂が南から1直線に並び、回廊は中門から講堂に取り付いて、金堂を囲む形になっていることがわかったそうだ。


奥に万葉歌碑「古の事は知らぬをわれ見ても 久しくなりぬ天の香久山」 
以前は手前の垣根が邪魔でよく見えなかったが、垣根を切り取ってよく見えるようになった。


コオニタビラコが群生。来年の七種集めにはここに来よう。
(覚えていれば・・)


かばん屋さんの庭のクスノキの大木。
茎に布が巻いてあった。養生のため?


ミズナの花(黄色)


大根の花(白に薄い紫が混じる)
ブロッコリー(黄色)など、野菜も花の季節。

万葉の森へ。


枝垂れ桜が満開。


カンヒザクラ 開花しているものやつぼみも多い。

散歩の人が通るだけの静かな万葉の森


ダイオウショウの落ち葉 
普通3葉だけど、4葉を見つけた人がいて・・
私も見つけた。


シナレンギョウ 満開

サンシュユも満開だった。


カンサイタンポポ と シロバナタンポポ


万葉の森の入口のケヤキ

お弁当を食べた後は、歌集を出して、みんなで童謡を歌う。
その後は折り紙をチョキチョキ・・


色とりどりの切り紙が出来た。(右下がmy切り紙)

万葉の森から古池の堤防を通り・・帰路。


興福寺 八釣山地蔵尊(ここには立ち寄らなかったのだけど・・)


アオノリュウゼツランの枯れた株。  


2021年9月 花は終わっていたが、見に来た。

1回繁殖型で、咲いた株は枯れる。


でも、近くにはちゃんと子供を残している。
この子が花が咲くまでに何年かかるのだろうか?


式内大社 畝尾坐健土安神社(うねおにますたけはにやすじんじゃ)
日本書記に神武天皇が「天香山の埴土を取りて、八十の平瓫を造りて自ら斎戒して諸神を祭りたまふ・・」と記載されているらしい。
「天香山赤埴聖地」の碑があった。


境内のケヤキの大木。幹回りをメジャーで測る。3m70㎝あった。


藤原宮跡の南端を通る。 遠くに耳成山


鷺巣神社 


クサノオウ 満開


リキュウバイ

畝傍御陵前駅で解散。

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3月29日 越水城址と広田神社のコバノミツバツツジ

2024年03月29日 | Weblog

暖かい日。
さくら夙川駅から歩く。


桜 チラホラ咲き


マツも多い夙川沿い。


西田公園へ。
昭和63年に開園された「万葉植物苑」がある。
晩年を西宮市で過ごされた万葉学者 犬飼孝氏が選定されたという万葉植物が万葉集の歌と共に植栽されている。


歌碑『春の園紅にほふ桃の花下照る道に出で立つをとめ』大伴家持 
犬飼孝氏 揮毫 

万葉集に登場する72種類の植物が見られるという。

今日の担当の方より、地形や歴史などの説明の後、公園を下る。


大社小学校のそばに「越水城址」の碑。横に越水城の説明板があった。
私にはなじみのない城の名。

近くにお住いのガイドさんによる説明を聞く。
越水城(小清水城)は、永正13年(室町時時代)に瓦林正頼によって築城され・・
元亀元年(戦国時代)に廃城になったそうだ。

この石碑は、大正9年に、ここから100mほど離れた自宅の門の横に建立されたものが、後にここに移されたという。

昔の写真を見せてくださった。


69年前の写真。海水浴客で賑わう近くの浜。
イワシを干す風景もあった。


63年前の写真。瓦屋根が連なる。今は瓦屋根はまったくない。
高台になっているここからは海岸や須磨まで見えたという。

「越水城(小清水城)」の名の由来になった井戸(泉)を見に行く。
昔は井戸が3か所あったという。

その1つ。鍵を開けてくださって見学した。

越水の井戸 西井戸(にしんじょ)

湧き水の井戸 西井戸(にしんじょ)


溢れた水が前の水路へ流れ出していた。結構な量が湧いているようだ。
近隣の方によって掃除や整備がされているらしい。
そばには地蔵堂もあった。
阪神大震災の時もここは役だったそうだ。

途中に越水城があったというあたりを通る。


東の井戸 東井(ひがしんじょ) 西国街道沿い。
中はシダが覆っていたが、水はあるらしい。


民家のフェンスに絡まったつる植物 何だろう。見たことのないものだ。

「広田神社のコバノミツバツツジ群落」は兵庫県指定天然記念物に指定されている。






コバノミツバツツジ 

たくさんのミツバツツジの植栽は、まだまだつぼみの多い木もあり、これから見頃になりそうだ。


廣田神社 創建は神功皇后摂政元年(201年)(日本書記に記載があるそうだ)

ここで解散となり、バスで阪神西宮へ。

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3月28日 橿原神宮周辺~畝傍山

2024年03月28日 | Weblog

先日逝去された先生を偲び、計画どおり橿原神宮周辺を歩く。


久米寺前のヤマザクラが咲いていた。

久米寺には寄らず、橿原神宮の方へ。
今は枯れ草地の所でもいろいろ教えてくださったことを思い出す。
もっと教えてほしかった。もっと真剣に聞いておけばよかったと悔やむ。


シラカシとアラカシ 透かして見ると違いがわかるという。
シラカシの脈は白く透け、アラカシは黒っぽく見える。
初めて聞いた。

橿原神宮の南端にあるハナノキ
下に花が落ちていた。高くて見にくいが赤い花が見えた。


雄しべが目立つ。雄花のようだ。


ウバメガシの植え込みの下にどんぐりが落ちていた。
お尻が小さいのでウバメガシのどんぐりはわかりやすい。
「ウバメガシのどんぐりは歪んでるよ」と誰かがいう。
そうか。それも特徴だね。
なぜ歪んでいるのかについて調べたら「2つの雌花が付いて、何らかの原因で一方の果実が成長過程の早期に退化消滅してしまった状態」ではないかとのネットの記事があった。


足元に花弁 オガタマノキが高い所にあるらしい。
橿原神宮境内にも高い木が何本もある。
後で歩いた畝傍山にも足元にたくさん花弁が散り落ちているところもあり、高くて見にくいが山の中にも自生しているようだ。


コツボゴケ わからないものだらけの苔の中で、これはわかる。
可愛いので好きな苔だ。


若桜遊苑のトサミズキ


咲いたばかりの花 雄しべの葯が赤い。

ここで、一時解散となり、帰る人と畝傍山に登る人に分かれる。


畝傍山登り口。このコースは距離は短いが登りは急。
途中でリンボクやクロバイの木を見る。

大阪の知人が、毎年畝傍山のセリバオウレンを見に来るというのだが、どこなのか場所がはっきりしないので気になっている。

途中で出会った人に尋ねてみたところ、もう花は終わっているが、近くまで案内してくれるという。
ありがたい。全員ついて行くことになった。

細い山道へ。 この道はわからないわ。


途中にコクランの群生しているところがあった。

しばらく行くと・・


セリバオウレンの葉があった。

尚進むと・・

果実の付いているものもあった。お~~。確かに花が咲いた跡。
今年は花が少なかったらしい。

案内して下さった方にお礼を言って別れ、頂上へは登らず下ることになった。


突如現れた構造物。これは何だろう。井戸か?
中に水が溜まっている。

あれこれ調べたら、昔この辺りにあった「洞村」の水利施設。と書いたネット記事に出会った。
その記事によると「洞の清水」と書かれた古書もあるとのこと。

神武天皇陵拡張整備時に、近くにあった洞村は村ごと麓に移転させられたと聞く。


「宮」の文字が見える石柱


埋もれた石柱にも「宮」の文字。

神武天皇陵を定める時にいくつかの候補地があったらしいが、その1つの場所なのかもしれない。
以前、畝傍山を探検した時、石柱が並んだところがあったが、ここは並んではいないが。

そこから下ったが、途中から道がはっきりせず・・
何とか神武天皇陵近くへ降りてきた。

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3月25日 セイヨウカラシナ トリバガ サクラつぼみ膨らむ 

2024年03月25日 | Weblog

雨が上がっている間にセイヨウカラシナを採りに行く。
春のお助け野菜。


ちょうど採り頃のセイヨウカラシナ


草むらに・・カマキリの子供かと近づくと・・トリバガの仲間 
体も翅も細い。翅開いた幅2㎝ぐらい。


クロマツ 雄花のつぼみと今年秋に成熟する球果


桜 少しピンクが見えるものもある。


この橋は新橋ができるとなくなるのかな?
京奈和道が迫る。

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3月24日 コンサート 目の前での演奏 迫力!

2024年03月24日 | Weblog

誘われて桜井市音楽協会の定期演奏会に行った。

ピアノ・連弾・クラリネット4重奏?・フルート・メゾソプラノ
演奏家の方々の演奏に、久しぶりに音楽に触れた時間だった。

会場は舞台と観客席が平面。
すぐ目の前数メートル先にグランドピアノ。
演奏家の姿も間近。息遣いも聞こえてきそう。

歌い手さんが歌いながら客席の間を通って前へ。
迫力ある歌声を手の届きそうな場所で見聞して感動した。

高い舞台の上の演奏を遠くから聞くのと違って迫力満点。
ほとんどがなじみのない曲だったが、目で耳で音楽を楽しめた。

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3月22日 平群 本番 晴天がうれしい。トクサ・イシクラゲ・ケイオウザクラ・アオモジ・ヒサカキ・オガタマノキ 

2024年03月22日 | Weblog

雨続きの中休みのような晴天。何よりうれしい。
久しぶりの方、初めての参加者も。

私が初めて平群に来たのは今から20年ほど前。
桃源郷と教えてもらった花の谷を見に来た。

その後、この会で、コースを少し変えながら定点観察を10年実施。
その間、駅前は再開発ですっかり変わった。
今年は定点観察終了後、6年目。久しぶりの平群観察会。

長福寺
サクラはまだつぼみ。古木の桜に着生したセッコクも今は花時ではない。

竜田川近くのトクサを観察。


「砥ぐ草」が名の由来といわれ、ケイ酸を含み細かい凹凸のある茎は現在も茹でて乾燥させたものを工芸品の研磨などに使用されているそうだ。
姿はツクシに似て、先に胞子嚢穂をつけている。
ツクシと違うのは、胞子葉と栄養用に分かれていないこと。
爪を磨いてみた。

ホトケノザ

ホトケノザの種子 白いものはエライオソーム(種枕)アリが好む物質。
遠くへ運ばれて捨てられた種子によりホトケノザの生息域が拡大。
暖かくなって昆虫が活動するころには閉鎖花は見られなくなる。

イヌノフグリ


以前、住宅の石垣で発見して観察を続けていたがそこがなくなり、近くの畑の斜面で再発見して、花や果実を観察していたのだが・・
今年の下見の時は斜面では見つからず、斜面の下の溝のコンクリートのすき間にかろうじて小さい株を見つけた。
今日は大勢の目で斜面を探してみたが、やっぱりない。
フラサバソウとの競争に負けたのか?だんだん追いやられている感じ。

下見から約2週間、今日は小株に花が見られるかと期待したが残念ながら花は見られず。
うちの庭でもずいぶん長く居ついていたところを見ると、場所さえあれば、意外と強さもあると思うので、生きる場所を見つけて生き残ってほしい。

農道
ひとりしか通れない狭い農道は、入口付近は舗装されていたが、奥はでこぼこ道で、足元注意しながら歩く。

キジムシロやオヘビイチゴ・ナズナやタネツケバナなど、昔からある野草が多い。
そんな中、田んぼの縁にはオオカワヂシャが花を咲かせている。

ジャノヒゲの実(種子)

ジャノヒゲの実(種子)の青い皮をとると半透明の胚乳が現れる。
昼食後、ジャノヒゲの胚乳で、スーパーボール(弾み玉)遊び。
「もう少しでこぼこのないコンクリートであれば何回も弾むのに・・とやってくれた人が残念そう。

イシクラゲを観察


イシクラゲ 下見の時の雨上がりの写真 今日はお天気で乾いていた。
これは植物ではなく細菌の一種(シアノバクテリア)。
光合成と同じような仕組みを持ち水と二酸化炭素を材料として酸素を発生。
地球が誕生して陸上で生物が暮らせるようになるのはシアノバクテリアのお陰だそうだ。

農道を出て、下見で見た異形ダイコン(マタコン)を見に行く。


まだ抜かれずに残っていた。というよりも、通りかかる人に見てもらうために残してあるのかもしれない。このほかにもっといろんな形のものがあった。
原因は土や肥料などの塊、種が古いことも関係すると書いたネット記事もある。 

白山神社周辺
以前、ミズオオバコやオグルマやオギノツメが見られた休耕田はすっかり変わってしまった。


イヌガシはまだ花が残っていたが、老木になり株元はひどく傷んでいた。
あの頃は枝葉も繁り花もたくさん咲いて元気だったのに・・わが身を重ねる。

鎮守の森を上る。

ハラン
下見で見つけたつぼみはまだ咲いていなくて残念!


他にもつぼみや果実(右のもの)・小さいつぼみも見つかった。


根の出た種子も転がっていた。


オオアリドオシが多い。果実が残っているのもあった。
トゲは葉の半分以下ぐらいの長さ。大小の葉が交互に付く。

尾根道


早咲きのケイオウザクラが満開。 
切り花用に作出された園芸品種だそうだ。

アオモジ
活け花材料として栽培されたものが逸出。
芳香があり爪楊枝にもするそうだ。
以前は幼樹がたくさんあり、どれだけ増えるのかと思っていたが、落ち着いたように思う。
成長して大きくなった木。やっと1本、手が届く枝があった。


複雑な花のつくり。外側に4~5枚あるのは総苞片。
中央の1個(少し飛び出して見える)と、その周りに4~5個の花が散形に付く。
おしべは変わった形で、橙色の腺体が見える。

出荷した後の捨ててあった枝を拾った下見の時のものは雄花のようだった。


今日見たのは雌花のようだ。子房が見えた。

雌雄異株の木だが、花材にするのは、花が大きく賑やかな雄花だそうだ。

ヒサカキ
ガス臭がしてヒサカキの花が咲いているのがわかる。
雌雄異株と言っているが、実際にはヒサカキの性表現は複雑と聞いている。
みんなで雌花や雄花を観察。


中に1つの枝に雌花と両性花が混じったものも見つかった。
大きい3個の花は雄しべと雌しべが見える。
小さいのは雌花のよう。(子房があり、雄しべは見えない)

荒れた畑が目立つ。
尾根の途中の畑はオオオナモミに占領されていた。
尾根を出たところの畑も耕作されておらず、枯草に覆われていた。
そのすぐそばでは山を開拓して畑にされるよう。
新しいキク畑になっているところもある。・・ちょっと複雑な心境だ。

帰りは下り道。

 
普門院跡(福貴寺の塔頭の1つ)に、オガタマノキ 
道路から下に植えられているので花が見やすい。

ヒトツバやクロガネモチや庭に植えられたフサアカシア(?)などを見ながら下り、駅前で解散した。

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3月19日 大中公園 サクラ つぼみ少し膨らむ モミジバフウ冬芽・ カツラ 雄花つぼみ

2024年03月19日 | Weblog

医者のついでに大中公園 雨ではないので、駅から往復歩く。


屋台も場所を確保してお花見の準備万端


公園の桜 つぼみが少し膨らんできた。


モミジバフウ


モミジバフウ 冬芽も大きい。


カツラ 雌雄異株 雄花のつぼみは少し開いてきた。
雌株もあるが、花芽はまだ見えない。


空に広がったイロハモミジ 小枝が美しい。

本当はもう少し遅い日に来れるといいのだが、(お花見もできるし、カツラの花も咲く・・)来年の予約も3月初め。
花の都合で遅くしてとは言えないし・・
まあ贅沢は言えないか・・・。

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3月17日 天見 地衣類・ヤマコウバシ・ドロバチの巣・蟹井神社

2024年03月17日 | Weblog

河内長野市の天見へ。


天見駅前の花壇 マメツゲのトピアリー

桜はまだつぼみ固い。

藻類と菌類が共生している地衣類。
菌類は藻類に住処と必要な水分を与える代わりに、藻類が光合成で作った炭水化物をもらう。
桜並木にはいっぱい地衣類が付いていた。


ウメノキゴケ 黄色っぽいキウメノキゴケなど「葉状地衣類」
マツゲゴケはよう見つけなかった。


立ち上がる「樹状地衣類」


ツツジの植え込みに付いていたサルオガセのようなのも「樹状地衣類」


べったりと張り付いた「痂状地衣類」


ドロバチの巣


ヤマコウバシ まだしっかり枯れ葉が残っていた。


山の中にアカガシ カゴノキ があった。


近くで道路工事しているのが見えた。
ナルトサワギクが1株 広がらねばいいが。


ナンテンについたハチの巣 セグロアシナガバチの巣だそうだ。
蓋はないのもあるし、閉まっているのもある。

ミノガの仲間と教えてもらったが、クロツヤミノガ・ネグロミノガ・ヒメミノガ・オオミノガ
オオミノガ以外は名前もしらない。


キヅタの果実


道にカヤの実(種子)が落ちていた。高い所に木があるのだろう。


集落 そばには棚田


軒先で草を丁寧に整理して干しておられた。
ゲンノショウコ・タンポポもある。
煎じて薬用やお茶にするようだ。市内の売り場に卸すということだった。

予報通り、雨が降ってきた。


蕎麦畑らしいあたりでお弁当。
この時だけうまい具合に雨が止んで助かった。


そばの小川で・・あれは網じゃない・・タオル?


収穫は、アカモンミゾドロムシ と、ヨコエビ。
黒い点にしか見えない。ヨシノボリも捕れた。

本当はもう少し山の方へ行く予定だったのかもしれないが、お天気も悪いのでここから引き返す。
時々小雨。傘を差したり畳んだり・・


途中「蟹井神社」に立ち寄る。平安時代の創建と伝わる。


ご神木のスギ・コウヤマキ・イヌマキを観察。

どんどん下り、天見駅で解散。


この日拾って来たフジの鞘。
部屋に置いておいたら、翌日、パンッという破裂音と共に弾けて、種を飛ばした。
これが面白くて、時々鞘を拾ってくる。

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3月16日 河井寛次郎記念館 

2024年03月16日 | Weblog

ずっと行きたかった河井寛次郎記念館へ。
先日、娘に行くことを言ったら「いいよ~。建物も大好き。作品もいいし、私何回も行ってるわ~」という。
楽しみ~。


河合寛次郎記念館 長刀鉾の粽が吊るされている。


入ると河井寛次郎ワールドが広がる。
神棚に変わった形のしめ縄。神棚の側面は棚になっていた。

河合寛次郎といえば、知らない人もない陶芸家。
記念館には数々の作品が飾られているが、飾る・・というより建物に溶け込んでいた。
陶器が有名だが、彫刻や書、まだデザインや文筆もされているのを知る。

有名な方なので、記念館も作品もネットでいくらでも見れる。
受付で、申し出て署名すれば写真撮影もできるのはすごくうれしかったが、下手な写真よりネットのきれいな写真を見ていただくことにして、ここでは、私が好きなことを書く。

入ってすぐにある囲炉裏のある間。
前には丸木から削り出した木の椅子(左の写真)。素敵。


ここは陶房 ここで作陶されていた。整然と並ぶ道具。
寛次郎さんが出てきて轆轤を回しそう。

廊下を進むと・・


素焼き窯 
乾燥した粘土の作品は、この窯で火度600℃から700℃の低い温度で8時間前後素焼き。

その奥には登り窯が残されている。


登り窯 正面  登り窯は多くの人との共同窯だそう。
素焼き後は、この登り窯で赤松の薪を燃料に、1350℃で焼成。
薪は凄い量(2昼夜2000束)が必要だったようだ。


奥に向かってたくさんの焼成窯が並ぶ。
入口上部の穴は、焼成中に内部の状況を見る「色見穴」というものらしい。
入口はふさがれ、小さい火口から加減を見ながら燃料の赤松の薪を補充しながら焚き続けるようだ。
準備されたスリッパで窯の近くに行ける。

登り窯は5代清水六兵衛氏からゆずり受けられたものだとか。
寛次郎さんは登り窯と住居を得て、ここに住まわれるようになった。
そして、ここで、数々の名品が生み出された。
寛次郎さんがなくなって後、1971年(S48)京都府公害防止条例により、街中で火が焚けなくなり、登り窯は使われなくなったのだとか。
その後も登り窯は大事に保存されていて、こうやって見られるのはありがたい。

  
作品棚 手前の壷ほしい(笑)。

陶器はもちろん素晴らしいが、寛次郎氏が設計された建物が素晴らしい。
住まい兼工房となる建物は町家のようであり古民家のようであり、家具調度品なども用の美を重んじる民芸の心を取り入れた居心地のよい空間。
木製の家具や椅子、竹製の家具や椅子、デザイン性のある焼き物・・すべてが建物に溶け込んでいる。


作り出しの長椅子 他にもすてきな椅子があちこちに。


寛次郎氏がデザインして、台湾の竹職人に造ってもらったという竹製棚
竹がこんな風に使われるのか~。曲線の部分の処理に感心。


人間国宝 陶芸家 濱田庄司寄贈の箱階段を上って2階へ。


2階もいい! 朝鮮張りの床(1階も)


吹き抜けに滑車があった。2階へものを運ぶ時に使われるのだろう。


木製の椅子と臼?のテーブル。傷も埋め込んで模様となる。
木の傷、柱のカンナ跡・・みんなそのままいい景色となる。
重そうなこのテーブルも滑車がなければ上げられないだろうな。


拓本摺 (木版に紙を当てて写し取る)
「仕事が仕事をしています・・仕事の一番好きなのは苦しむことが好きなのだ・・」
仕事大好き、仕事一途の寛次郎氏のことばに感銘を受ける。


階段を下った所にあった? キセルの彫刻

オープンで美しい雰囲気に包まれ、心地よい時間を過ごせた。

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