先ずは鴨都波神社(かもつばじんじゃ)へ。
式内社 鴨都波神社 葛城氏・鴨氏によって祀られた。天保12年の建立
右)明治の狛犬の台石には奉納者「初嵐」の名 明治の相撲取りで勢力を持った侠客だった。
もう一方の狛犬には「京亀」の名が彫ってある。初嵐の夫人らしい。
第5代孝昭天皇の御陵にも立ち寄り・・
江戸時代の町並みが残る御所町へ
午前中は、円照寺を中心とした寺内町の東御所町の町並みを巡る。
環濠もよく残る 町の4隅にあるという四地蔵のひとつ
黒壁・親子格子・うだつのある町屋。 三段の立派なうだつ
蔵の窓をよく見れば・・・ 鍾馗さまがしっかり蔵を守ってくださってます。
元大和絣の問屋だったというお家 虫籠窓 うだつのある立派なつくり。
円照寺 天保15年開基 大和五ヶ所御坊のひとつと言われる。御所町は円照寺の寺内町として発展した。文政~天保の伽藍改築の後、平成16年にも修理が行われた。
右)上層の屋根の棟端に乗っていた「獅子口」と言われる鬼瓦 平成の修理で降ろされたもの。 間近で見ると大きい。
御所市原産の完全甘柿「御所柿」も境内に植えられ、実をつけていた。
江戸時代には宮中や将軍家に献上されていたという御所柿。小玉で収穫量が少ないため次第に栽培されなくなったという。
安位寺の丁石などを見て葛城川を渡る。
午後は西御所町を歩く。
江戸時代、木綿の大和絣・菜種油・運送・醸造・寺院・旅籠などで栄えた町。
栄えていた時代をうかがわせる町並みが残る。
衝波除け(しょうはよけ)入ってきた邪気を受け止める。魔除けの意味
石の右側面には「文政3年創業より百六十年間ここに営む。昭和54年・・建立」
左側面には「うおのたな 表具屋跡」の文字が刻まれていた。
右)旧御所郵便局の建物。
「中井家住宅」
寛政4年の棟札があるという、江戸時代に町庄屋を務められた商家。
江戸時代の歴史的建造物として国の登録有形文化財に指定されている。
昔の公文書をたくさん所蔵しておられるらしい。
ご主人が案内してくださった。
瓦の「型」の上に粘土を置き、たたいて瓦の形に成形するという。
「昔の瓦は角があります」とのこと。 右)角とはこのことかな?
良い粘土が取れる瓦の産地が近くにあり、作った瓦にはそれぞれの業者の刻印があるらしい。
刻印は見つけられなかった。
玄関を入ると正面に2つの高札が掲げられていた。
1つは「徒党札」もう1枚は「火つけ札」と読めた。最後に「奉行」と書かれていた。
高札には重要な規則が掲示される。
板の部分は痩せて、墨で書いた所だけが残り、浮き上がって見える。
右)所蔵しておられた「1742年(寛保2年)の御所町の検地地図」の写しを見せてくださった。
江戸時代最後の検地の時のものらしい。
通りの名・道幅・持ち主・面積・地番など、細かい記載がある。
道幅も濠や背割り下水なども、御所町の町並みは「江戸時代の昔の絵図そのまま残っている」というから驚く。御所藩を治めていた桑山氏が町を作ったという。
検地絵図の中に、家などの記載のない空白部分がある。それは川の氾濫から町を守る請堤。
いろいろ考えて町づくりをしたんだなあ。
その請堤があったところも今は住宅地になって人がすんでいるらしい。
お金を計る天秤 銀貨は1個の重さが決まっていなかったのだとか。そこで秤が必要だったそうだ年貢も銀貨で納めたらしい。
「平入り」の町屋が並ぶ中、1軒だけ「妻入り」の町屋がある。
カーブがきれいな「むくり屋根」の町屋。雨水の水切れがよい。
平成20年に復元された高札場
ここで史跡巡りは解散となる。
まだまだ見足りないところがある。娘や息子の興味もありそう。ゆっくりと見に来たい。