みどりの野原

野原の便り

9月30日 金剛山 伏見峠 シラネセンキュウ モミジガサ オタカラコウ ミカエリソウ ヌルデ 果実

2022年09月30日 | Weblog

昨日の失敗をリベンジ。無事友達と合流した。

ロープウェイ駅バス停近くから山へ登るという。
途中の草花を見ながら、ゆっくりと登る。
以前に登ったことのある伏見峠への道だった。
1人で登ったこともある。その時に見つけたナベナは今回見なかった。


モミジガサ 地味だが開花中

面白かったシラネセンキュウ


上部葉柄の基部は袋状に膨らんでいる。
これはまだ袋がしっかり閉じていて、先端に小さい葉が出ていた。


袋が開いて花序が覗いている。


袋の先端の葉はしっかり伸びて大きくなった。(左の葉)
同じ袋から、枝が出て、先に葉の付いた袋ができている(右に写っている)
そして元の袋には小さい花序のつぼみが見えている。


次々と花序や茎や葉を繰り出す様子は面白い。
花にはハナアブの仲間が吸蜜に訪れていた。


オタカラコウ 大きい花序は目立つ。


以前(2019年)に雪の中アイゼンをつけて登った「細尾谷」はこの滝の横から登る。
人に尋ねて「シルバーコースで楽」と聞いたこの道は私にはとてもきつかった。
「どこがシルバーコースやねん」と愚痴りながら登ったのも、今になればよい思い出である。
入口に立ち入り禁止の看板があるが、登っていく人が見えた。


ミカエリソウ 開花中
虫食いでレース状になった葉をよく見かけるが、ここのはまだマシだ。
葉を食害している虫は私は見たことがないが、ネットによると、スギタニアオケンモンの幼虫だとか。


ずっと登って、伏見峠に到着 
ここからキャンプ場を通り、少し上まで行って、時間の都合で引き返した。
頂上はまだ少し先だが、ともかく山の上まで来れた。

登山道にはいろいろ花もあり、「これは何~?」という友達のそばへ、行きつ戻りつゆっくり登ったので、あまりしんどいと思わずに登れた。
友達の気遣いのお陰だ。

行きはよいよい、下り坂は(膝が)怖い
ステッキのお蔭で無事降りてこられた。


トイレ近くのボタンヅル 果実


ヌルデの果実 白いリンゴ酸カルシウムを分泌している。
手を伸ばして採った果実をなめてみる。辛い。

金剛山は面白い。

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9月29日 1人で・・金剛山麓 ヤママユ

2022年09月29日 | Weblog

古市駅あたりで「今日はよろしくね~」とラインしたら・・
「明日じゃなかった?」「ええ~っ。本当や。やっちゃった~」
「私湯豆腐食べに行ってきます~」って・・

ここまで来て仕方ないから、先日歩いた辺りをウォーキング。

先日来てからまだ日が経っていない。
蕾だったアキチョウジが咲いていたり、オタカラコウも花が咲いていたり・・
家に帰ればすることもいっぱいあるので、さっさとひと歩き。


トイレに落ちていたバラバラの翅 何の虫かな?


トイレの窓の外に・・ヤママユ?


表に回ってみたが窓の下には行けなかった。

昼過ぎのバスで帰宅。大失敗の巻。

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9月26日② 桃尾の滝(ジャコウソウ オカダイコン)&養国寺 鬼瓦・春日神社 佐吉狛犬と鬼瓦

2022年09月26日 | Weblog

①桃尾の滝は何回か行ったことがある。
妹の車で滝の近くまで行く。


行ったことのない階段を登ってみる。鳥居の上にまだ階段がある。


上にあったのは「石上神社」 初めて来た。
『祭神は石上大神 地元では石上神宮の元社といわれている』(ネット記事)
古い神社には違いなさそう。

滝道に戻って桃尾の滝へ。

 
    桃尾の滝     滝壺はない。水が岩で砕け散る。
『布留川の上流桃尾山にあり・・高さ約23m
「布留の滝」と和歌にも詠まれる行場だった』説明板抜粋


滝の中にも不動明王がいらっしゃる。

滝のそばにも不動明王像が何体もある。






磨崖仏はよく見えなかった。


オカダイコン ちょうど花が咲いていた。久しぶりに見る。


ヤマルリソウの小群生 今は花はない。
ジャコウソウの花もあった。

大国見山への案内標識
大国見山登ったことがあるなあ。調べたら16年も前だ。
ここから登って、天理の櫟本の駅まで歩いている。


山の道を少し登ってみることに。坂は急。


奥に阿弥陀如来 梵字石 石仏など

他にも石仏があった。
上から法螺貝の音。
男性が降りてこられて、法螺貝を吹いてくださった。

ずっと登り道


阿弥陀如来の磨崖仏 石の横に字が見えるが判読できない。
この辺で引き返す。

途中の大きい六地蔵を入ってみると、お墓だった。
お坊さんのお墓のようだ。



古そうな・立派な 墓石がたくさん並んでいた。
桃尾の滝のあたりは、和銅3年義淵によって開かれた「龍福寺」の境内地だったと説明板にあった。
「義淵さんや」義淵僧正は奈良時代の高僧で、岡寺に御廟がある。
こんなところで再会した気分。

15年前に大国見山に登った時にはこの辺りを通り「龍福寺」の写真も残るが、今日はどこかわからなかった。

下って桃尾の滝を後にし、地蔵を1か所見た後、橿原へ。

②養国寺・春日神社
この前、数回来たところ。
狛犬好きの妹に佐吉狛犬を案内した。


鳥居の内側左右にあるのが丹波佐吉の狛犬。(前回の写真)
今日は天気が良すぎて光と影がはっきり過ぎて写真が撮れなかった。
「作師 照信 花押」がはっきり読める。
妹はここは知らなかったようで大喜び。見るなり「佐吉や~」


先日来て以来、こじんまりとしたお堂ながら「お気に入り」になった養国寺。
春日神社は養国寺の境内にある。

私はお堂しか見ていなかったが、瓦好きの妹は「鬼瓦に何か書いてある」と。


鬼瓦の、上の2か所に文字があった。


上の写真の、奥の鬼瓦には「宝暦九巳卯年 四月下旬」の文字


先端の鬼瓦の横には「作人 ○○村 大西又七 花押?」
○○がわからなくて、帰って息子に尋ねたら「五井村」だと教えてくれた。

お堂の四方の鬼瓦に銘があり、「高市郡五位村 大西又七」と彫ったのもあった。


養国寺の門の棟の左側の鬼瓦には「明和七庚 閏六月下旬」「高市郡五井村 大西治郎四(郎)」が見えた。

私はお堂しか見ていなくて、妹のお蔭で瓦の銘が読め、一層、養国寺に親しみが湧いた。

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9月26日① ジャコウアゲハ②が羽化 家に来て大きくなって、蛹になって、羽化するまでの記録

2022年09月26日 | Weblog

ジャコウアゲハ②が羽化した。

この子が家に来てからの記録です。

9月10日 

今日、近くのウマノスズクサの自生地から連れて帰った幼虫(②とする)体長2㎝


幼虫② 体の後ろにクチャクチャのもの。脱皮したようだ。

9月12日

13日 葉っぱ追加 
ジャコウアゲハの幼虫はこのウマノスズクサしか食べません。

9月14日

食欲旺盛で糞もすごい。
小さい糞は幼虫①のもの。幼虫②は大きい糞

激しく動き回り・・
あっちと思えばまたこちら・・大移動。動きは速い。
蛹になる場所を探しているように見える。

ちょっと目を離したすきに行方不明に・・・
どこへ行ったの~? 家の外へは出ていないはず・・


探しまわって・・近くのカーテンの一番上の隅で・・見~つけた。
どうやってこんな所へ? カーテンと棚はくっついてないのに。


連れ戻して・・


横のオオタニワタリの葉に乗せてやる。

そこでもあちらと思えばまたこちら。
オオタニワタリの葉はつるつるしているからイヤなのかな?


滑りにくい割りばしを立てて見たり・・
ススキの茎の方が好きかな?と茎を立てて幼虫を移してみたり・・
世話がやけます。
それでもまたオオタニワタリの葉っぱへ戻る。

頭を下に葉っぱの裏で首をフリフリ。足場の糸を掛けているのか?


その後、20:55 頭を上にした姿勢で動きを止めた。
やっと蛹になる位置を決めたと思われる。

9月15日

17:29 前蛹 になっていた。

同じ15日の昼、近くの自生地のそばを通ったら・・

ウマノスズクサ自生地1・2がきれいさっぱり草刈りされてしまった。
家にはまだ幼虫が1匹いるのに・・
餌の補充は少し足を延ばさないとあかんなあ・・

9月16日

朝5:50 蛹になっていた。蛹化の瞬間は見られず。


下には幼虫の抜け殻が落ちていた。まだ柔らかい。

前の(羽化した)子から考えると、羽化には10ぐらいはかかりそう。 
先ずはひと安心。

それから1週間ほどすると、蛹の体がだんだん黒ずんできた。

9月25日 蛹になって10日目

蛹の体が黒ずんで、もういつ羽化してもいい感じ。
夜遅くまだ羽化していない。今夜か? 

9月26日
朝6時に見るとまだ蛹のまま。まだなのか~。


そして、7時、朝食を食べようと、座ってふと見ると・・
あらら・・もう羽化してチョウになっていた。
また羽化の瞬間を見逃した。


しばらくは、こんな形でぶら下がっていて、やがて少し翅を広げたりまた閉じたり。
乾かし中。


おしっこもすることはわかっているので、下に紙をしいてある。
余分な水分を捨てているのかな?


翅を大きく広げて・・
もう少しで飛び立つところなのに、出かける時間。
後は家族に見守りを頼む。

結局飛び立ったのは12時半ごろだったよう。
5時間も翅を乾かしていた。

カーテンに飛び移ったので、窓を開けてやると・・
飛び立って近所の家の方に行った後、また家のベランダへ飛んできて・・
名残惜しかったのか・・親バカ。
それから遠くへ飛び去ったとか。

無事に飛び立ってほっとしたような、淋しいような。
娘を嫁にやった母親の心境。

とはいえ、家にはまだもう1匹、①がいるのだ。
家族ぐるみでああかこうかと成長を見守っている。
①についてはまた後日報告する。

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9月24日 小さい花 どんぐりクラフト

2022年09月24日 | Weblog

月1回の観察会
子ども2名を含む20人が参加された。
今日は「小さい花をじっくり見てみよう」ということで、参加者は虫メガネを持って・・
アレチヌスビトハギやヤブガラシはまだしも、ヒナタイノコズチの花、カラムシの花・エノコログサの仲間など・・・小さい花をじっくり観察された。

写真はほとんど撮れず・・


センニンソウの花がまだ残っていた。


園内の田んぼの畔にもヒガンバナ

今月のクラフトはどんぐりを使ったもの。
スタッフ仲間が材料も指導も。

私は参加者さんと一緒に作品作り。


マグネットを準備されていたが、私は持って帰って、家にあった木切れにつけて、ブローチや下げものにした。

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9月23日 日本書記 「軽」について。

2022年09月23日 | Weblog

天武天皇10年の10月
天皇が広瀬を観閲なさるというので、仮宮を作ったり準備も終わった。
なのに天皇は出てこられなかった。
親王や高官?達は、軽の市で飾り馬を検閲した。

ここにも出た「軽」について。調べたことを講義してくださった。

今も橿原市に「大軽町」という名が残る。

日本書記には「軽」がたくさん出てくる。

・軽の街(かるのちまた
  下ツ道と上ツ道の延長の道が交わる「橿原市丈六」は交通の要衝で賑わった。
・軽の市 現在の橿原市大軽町から石川町あたりにあった古代の市。
・軽の地(ところ)
  懿徳天皇④ 都を「軽の地」に遷す。
  孝元天皇⑧ 都を「軽の地」に遷す。境原宮という。
・軽の村 養鳥人を「軽村」と、磐余村に安置させた。
・軽曲峡宮(懿徳天皇④の宮)
・軽境原宮(孝元天皇⑧の宮)
・軽島(豊)明宮(応神天皇⑮の宮)
  応神天皇⑮天皇「明宮」(軽島豊明宮)で崩りましぬ。
・軽の曲殿(稲目の邸宅)
  大伴狭子彦が贈った2人の女性を蘇我稲目が妻として「軽の曲殿」に住まわす。
・軽の坂の上 良き馬を軽の坂の上の厩で飼った。
・軽池 剣池などと共に池を作ったという記述がある。軽池は今はない。
・軽寺 天武天皇⑩

、檜隈寺・軽寺・大窪寺に各百戸を与えた。

万葉集
・「軽の池」の浦廻行き廻る鴨すらに・・(紀皇女)
・天飛ぶや 「軽の路」は吾妹子が里にしあれば・・長歌と反歌2首
 (柿本人麻呂が妻が死んだ後に泣き悲しんで作った歌)

人名
・「木梨之軽王」 と 「軽郎女」 (同母兄妹の悲恋)
・孝徳天皇㊱の諱=「軽」
・文武天皇㊷の諱=珂瑠(かる)・「軽」

他、
「埴取り」の話もあったが・・
香久山で埴取りをした古い記録があるのに、畝傍山で採るようになったのはなぜか?

吉備真備が遣唐使として入唐の時、数々の難題を出され、鬼となった阿倍仲麻呂に助けられた話。
そこで出題された「野馬台詩」の話。
へ~~と思うばかり。むつかしい。

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9月22日 石舞台~稲渕周辺 ツルボ ホドイモ ヒヨドリジョウゴ 案山子 ナガサキアゲハ キアゲハ幼虫 セスジスズメ幼虫

2022年09月22日 | Weblog

石舞台から稲渕の棚田へ。


石舞台公園 ハギが満開


ススキの根元にナンバンギセル


フェンスに植栽の八重咲アサガオ


ガガイモ 花冠は毛が密生


ツルボ 畦道に群生


カラスウリ 若い果実


ヒヨドリジョウゴ 果実もあった。


トキリマメ


ホドイモ 竜骨弁がくるりと巻いた変わった花


イタドリ ピンクの果実もあった。


稲渕 案山子の写真が並ぶ。コンテスト実施中
今年のテーマは「世界平和」

弁当を食べて、案山子ロードへ。
個人や団体の可愛い作品が道端に並ぶ。






世界一小さな合唱団


棚田の米作り


今年のジャンボ案山子は「お地蔵さま」
世界が平和になるように見守ってくれています。


フジバカマの植栽 ツマグロヒョウモンの雄 雌が来ていた。


棚田の畔のヒガンバナ 今年は少ない。


斜面に植えたショウキズイセンとシロバナマンジュシャゲ


ペンタスにナガサキアゲハ 雌

 
ヤブガラシにセスジスズメの幼虫 シシウドにキアゲハの幼虫

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9月20日 桜井から三輪周辺 仏教伝来之地 金屋の石仏 志貴御縣神社 大神神社 久延毘古神社 若宮社 鳥居(一の鳥居 二の鳥居 大鳥居)

2022年09月20日 | Weblog

桜井駅出発の史跡巡り。

①仏教伝来之地


「仏教伝来之地」の碑
欽明天皇の頃、百済の聖明王の使節が、金銅仏と経論などを献上し、日本に仏教を最初に伝えたといわれる。
その使節が上陸したのがここだと言われている。


大和川 川幅は少し広くなっているとはいえ、船が遡ってくるのは想像できない。
昔の姿はどんなだったろうか。

②海石榴市観音堂


海石榴市観音堂の中には小さい石仏が2体 よく見えない。

海石榴市は金屋あたりにあった古代でもっとも大きい市場。 
大阪から大和川をさかのぼってくる川船の終着点で、山の辺の道・初瀬街道・磐余の道・竹ノ内街道が交錯する交通の要衝の地。
物品の交換 商い・男女が出会う歌垣の場、また刑罰や処刑の場にもなったとか・・

③金屋の石仏


金屋の石仏 収蔵館


中には2体の浮き彫りの石仏 だいぶ摩耗している。


収蔵庫の下 家型石棺の蓋で阿蘇のピンク石
もう1個石があった。

④「伝 崇神天皇 磯城瑞籬宮 址」「志貴御縣坐神社」

碑のところを入ると・・


志貴御縣坐神社 大和六御縣神社の1つ
御縣神社とは、朝廷に献上する野菜を栽培する御料地の神聖な菜園の霊を神として祀った神社だそうだ。

境内に「磯城瑞籬の宮伝承地」の説明板があった。
崇神天皇の頃、民が死に絶えるのではというような疫病が発生したらしい。
天皇の夢に現れた大物主が、大田田根子に自分を祀させるように告げ、天皇が大田田根子を探し出して、三輪山に大物主を祀らせ、他にもあらゆる神をお祀りすると、疫病は治まり、平和な世になったという。

大田田根子は「大田 田根子」ではなく、「大 田田根子」だそうだ。
初めて知った。女性か?と思っていた。

崇神天皇の別名は神武天皇の別名と同じ「ハツクニシラススメラミコト」の尊称を持つ。
漢字は違うらしいが、同じ名というのは面白い。
神武天皇と崇神天皇が同じ人物では?との本を読んだことがある。

⑤三輪山 平等寺

三輪山平等寺 聖徳太子の創建と伝わる。
かつては堂坊が立ち並ぶ大伽藍だったらしい。
明治の廃仏毀釈で壊滅したが、その後境内地の寄進を受け・・昭和52年に再興されたとか。

⑥大神神社(おおみわじんじゃ)

本殿はなく、拝殿の奥にある「三つ鳥居」を通して三輪山を拝するという原初の神祀りの形が伝わる。

大神神社は酒造・方除け・・生活全般の守護神として尊崇を集めている。

三輪は素麵の産地だが、三輪素麺の値段と景況を占う「卜定祭」が毎年行われているのだとか。 
初めて知った。

⑦狭井神社

大神神社の摂社 狭井神社
ここから登る「三輪山への登拝」は、コロナの拡大で受付は中止中とのこと。
ご神水をひと口いただいて、展望台へ。

〇展望台 

展望台で昼食

⑧久延毘古神社

神山遥拝所があった。三輪山が見えた。 ここも知らなかった。

祭神は「久延毘古命」山田の案山子のこと。
動けないが、天下のことはことごとくしっているという古事記の神話に登場する神様。
田の神・農業の神・学業の神・知恵の神として有名。

⑧若宮社(大神神社 摂社 大直禰子神社)

若宮社(大直禰子神社) 
祭神は、大物主の子孫、大直禰子命(大田田根子と同じ)
明治の神仏分離までは、大神神社の神宮寺 大御輪寺(だいごりんじ)であった。
若宮社の本殿は、大御輪寺の本堂だったとか(重文)
今は聖林寺にある「十一面観音(国宝)」は元は大御輪寺に祀られていたのだとか。

〇大神神社 二の鳥居

大神神社 二の鳥居 お参りする時はいつも通る。

⑨三輪恵比須神社

三輪恵比須神社 市場の守護神

樹齢60年という御神木「ケヤキ」があった。

〇大神神社 一の鳥居

大神神社 一の鳥居  
JRで来るとここは通らない。初めて来た。

⑩大神神社 摂社 綱越神社

綱越神社は おんぱら社ともいわれる。
祓戸の4神を祀る。大神神社に参拝する前に、先ずお参りするお祓いの社。

綱越は「夏越」が訛ったものらしい。
夏越の行事「おんぱら祭」が行われるとか。

〇三輪の大鳥居

三輪の大鳥居。昭和59年天皇陛下在位60年記念の年に建立された。
高さ32.2m 日本一の大鳥居。遠くからでも見える。


大鳥居の台石も特大。丸い形の台石は「亀腹」ということを知った。

近いので、ほとんどが来たことがあるところだったが、知らないことがいっぱいだった。

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9月18日 万葉講座 萩 防人の歌 竹取の翁と娘子等

2022年09月18日 | Weblog

萩の歌から。
萩は万葉集で一番多く142首詠まれている。
2番目は梅で119首だそうだ。

大伴家持の歌「我が宿の 萩咲きにけり 秋風の吹かむを待たば いと遠きかも」
まだ秋には早い旧暦6月15日(新暦7月26日)に、秋風を待ちきれずに咲いた。
2句目に区切りがあり、2句切れという。
萩は万葉仮名で「芽子」と書かれている。

先月に続いて第20巻に載せられている「防人の歌」
初期には遠く東国から徴発され、九州沿岸の防備にあたった防人。

父母に挨拶もせずに来たことを悔いる歌。
母や子や妻への思い。
その中に、父を詠んだ歌はただ1首だそうだ。

防人の歌で好きな歌
「父母が 頭掻き撫で 幸くあれて 言ひし言葉ぜ 忘れかねつる」
「無事でね」と祈る父母の気持ちがわかる。

巻16「竹取翁の歌」
「竹取の翁」とは言うが、ここに言うのは、竹を採る翁ではないそうだ。

竹取の翁が丘に登って遠くを眺めていると、羹を煮る若い娘さんたちが9人。
みんな美貌ぞろい。おじいさんにお呼びがかかり、いそいそと行ってみると、「誰がこのおじいさんを呼んだの?」とみんながクスクス。
おじいさんはからかわれたのだ。

おじさんは「なれなれしく近寄ってきたのを歌で詫びましょう」と、長歌と反歌2首を読む。
長歌では、生まれた頃から子供の頃から青年の頃などのこと。
あなた方ぐらいの年頃の頃にはずいぶんもてたし、道行く人が振り返るほどだったと語る。
そして反歌で「昔はそんなだった私なのに今はからかわれている。
あなたたちも長生きしたら白髪も生えますよ。そしたら若い子らにバカにされたりするでしょう」と。
娘子等は感心して聞き、一人一人「あなたの心に沿いましょう」というような歌を詠む。 (勝手な解釈多し)

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9月17日 ミズオオバコ アメリカコナギ ホソバヒメミソハギ

2022年09月17日 | Weblog

友達から「ミズオオバコやアメリカコナギが咲いてるよ」との情報。
他に用事があったので、そこだけピンポイントで見てきた。
ありがとう。


ミズオオバコ 水の残る田の端の溝で。
葉の形はオオバコに似ているが、水の中にあるとワカメのように見える。


花柄にヒラヒラの翼がついている?・・と思ったが・・
「子房が縮れたひれのある苞葉に包み込まれている」とのこと。
今までは、もう少し離れた所で見ていたので「ひれ」には初めて気がついた。


ミズオオバコ 花 


アメリカコナギ 


アメリカコナギの花 すがすがしい白花
青紫色のコナギの花は今年はまだ見ていない。


これもアメリカコナギのようだが・・何かに食われてボロボロ。
リンゴスクミガイの仕業??


近くにあった ホソバヒメミソハギ

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